ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「はぁぁ…」

雨「ひとの頭のうえで溜息つくな」

悠「顎乗せるのにちょうどいい高さなんだよな。お前って」

神姫「噛まれるわよ」

悠「ひい、毒は勘弁」

雨「私は毒蜘蛛じゃねぇ!!」

摩耶「でも、ジョロウグモも獲物に毒入れてドロドロにして啜るんじゃないの」

悠「いやぁー、脳をすすられるぅー!」

雨「本当に脳ミソ喰らってやろうかしら」

悠「ちょっとしたお茶目だろ」

千世子「はーい、じゅぎょーしますなのだ。」

【夏候淵】
本名:夏候・淵・妙才
生没年:?~219

悠「淵ちゃんキター」

亘理『夏候惇のときも似たような反応してたね』

悠「惇ちゃんのおひげも、夏候淵の熊ひげもいいんだよ」

神姫「ひげ基準?」

千世子「夏候淵は従兄弟の夏候惇とともに、曹操が自分の軍を作ったころからつき従った、最古参の武将のひとりなのだ。夏候惇が主に内政や軍隊の管理など後方で活躍してたのに対し、夏候淵は戦闘指揮や食糧の補給など戦場で活躍しているのだ。」

摩耶「恋姫ならどっちかというと逆だね」

悠「むしろ内政的なことを春蘭に任せたら内部崩壊するだろうな」

亘理『いつも女の話題で持ち切りかっ!』

悠「そのキレ方はおかしいしゲームの話しだよ」

千世子「夏候淵は無鉄砲だが男気溢れる人物で、飢餓で民衆が苦しんでいるときは、我が子を二の次にして、亡くなった弟の子供を世話したのだ。また、曹操が夏候氏の家にいた頃には、曹操の親代わりになっ重い罪を被ったこともあるのだ。」

摩耶「君主に対する愛だね」

雨「身代わり」

悠「そんな言い方すんじゃねーッ!こそばすぞ!」

雨「妙なキレ方すんな!」

悠「じゃあ、普通にくすぐる」

雨「カチカチカチカチ」

悠「久々に見たけど毎回トラウマもんだわ。頭だけ蜘蛛化」

千世子「曹操が「黄巾の乱」討伐のため拳兵すると夏候淵は曹操の配下に加わったのだ。指揮官でありながら最前線で剣を振るい、すばやく軍を動かして敵を強襲する作戦が得意だったのだ。その行軍の速さは「三日で五百里、六日で千里」と味方が語り合うほどだったのだ。ちなみに中国の一里は約500メートルで、千里だと約500キロメートルとなるのだ。東京から大阪までの直線距離は約410キロなので、仮にこの話しが本当だとすれば、夏候淵の軍団は東京~大阪間を四日あまりで移動できることになるのだ。」

摩耶「風林火山もビックリの神速だね」

悠「マルコ六日で母のもとにたどり着けるもんな。ちょっとした旅行日数」

亘理『ららら、らららー、らんらんららららー』

神姫「それ、フランダースの犬よね」

亘理『///!?


悠「素かよ」

千世子「一方、夏候淵は個人的な行軍や武勇は得意だったが、兵士を使いこなすのは苦手だったようなのだ。さらに敵を見ると深く考えずに突撃してしまう癖があったのだ。ゆえに夏候淵は味方から、前後見境なく突撃する意味の「白地将軍」と呼ばれていたと伝えられているのだ。主君である曹操にも「勇気だけを頼りにせず、知略も用いよ」と、日頃から夏候淵を注意していたのだ。」

悠「武将は武力で勝負だよな」

神姫「私は軍師のが好きね」

悠「めっちゃ武将タイプなのに」

神姫「……」

悠「いや、軍略も得意なマルチ武しょ……痛いっ!?耳たぶ潰さないで!!」

摩耶「おー、これが噂の耳たぶ潰し」

亘理『噂なの?!』

千世子「猛将で知られた夏候淵の最後は、意外にもあっけないものだったのだ。夏候淵が守っていた地域に、蜀の劉備が進出し戦いとなると、夏候淵は戦死してしまったのだ。『演義』での夏候淵は、武勇が強調され、さらに弓矢の名手として描かれているのだ。「銅雀台」という宮殿が完成したときに行われた宴会の余興では、夏候淵は振り向きざまに矢をうち、既に的に当たった四本の矢のまんなかに矢を命中させるという腕前を見せているのだ。以上、夏候淵のじゅぎょーだったのだ。」
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