ー奇談ー學校へ行こう3
ー教室(7/22/夜)ー
毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業がはじまろうとしていた。
千世子「はーい、じゃあ、昨日は結局じゅぎょーできなかったから今日はばっちりじゅぎょーするのだ。」
要「はい、先生」
千世子「どしたのだ?」
要「不用意に女子生徒としかも女児と二人っきりになってムードを作ろうとする輩がいると思います」
悠「だーかーらー昨日は早く来てそうなっただけっていったやろが。そもそもムードとか作ってないし何より亘理もいたっーの。なあ?」
亘理『居たよ。だいぶいい雰囲気になってたようだけど……あ、お邪魔でしたか?』
悠「なんなんだお前のキャラは……。はぁ、なのはからもなんかいってくれ」
なのは「悠さんにはジュースをもらってお話してただけなの」
悠「ほーら。」
揺光【コンコンコンッ♪そのお話で好感度をあげるんじゃな】
悠「あげてねーし。あがらねェし。」
千世子「はいはい。そーゆー話はじゅぎょーが終わってからするのだ。」
悠「いや、これで終わっていいから」
千世子「鳥山石燕は日本の古い文献をよく知っていた画家であり、石燕が創作したオリジナル妖怪には古い文献の記述をもとに創作した物がおおいのだ。例えば天井嘗のもとになったのは、鎌倉時代の歌人、吉田兼好が書いた随筆で、現代でもしばしは教科書に登場する名文『徒然草』の記述だというのだ。」
フェイト「つれづれぐさ?」
神姫「つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 っていうの知らない?」
フェイト「ごめんなさい。知らないです」
花描「まだ、習って無いんじゃないかな」
神姫「別に謝らなくていいわ。」
灼羅「徒然草は、卜部兼好……兼好法師、兼好。吉田兼好は江戸期の俗称じゃ。書いたとされる随筆で。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されておるぞ。」
悠「いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。 御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。竹の園生(ソノフ) の、末葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらなり、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下( シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。 ……って、感じに続いていくんだけどな」
天空音「序段を含めて244段から成るですよ」
千世子「鎌倉時代末期、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたとする説が主流だけど、数多くの説があって定説はないのだ。って、徒然草のことはおいといて……石燕は天井嘗の解説文としてこんな内容の事を書いてるのだ。」
【天井が高いと明かりは暗くて冬は寒いというが、これは家のせいではなくて、この妖怪のせいだと気がついてぞっとする、という夢を見た】
神姫「なるほどね。その文章が、徒然草の一節「天井が高いと冬は寒く、明かりは暗い」っていう文章に対応してるのね。」
天空音「比べてみたらわかるですね」
千世子「吉田兼好の活躍した鎌倉時代でき、夏の暑さをしのぐために天井を高くするのが流行していたため、夜に明かりをつけも暗かったのだけど、石燕はこの「明かりをつけても暗い」ことを妖怪の仕業にしてしまったのだ。」
亘理『はいはいはーい。天井下は?』
千世子「天井下については、平安時代の妖怪ハンターである源頼光の家来筆頭、渡辺綱の鬼退治を引き合いに出しているのだ。天井下の解説文には……」
【茨城童子という鬼が、女に化けて、自分の腕を切った渡辺綱のもとに現れた。茨木童子は天井を突き破って飛び去った】
亘理『つまり……えと?』
千世子「続きに…世にいう天井を見せるとは、このような恐ろしいものを見せることだろう…っと締めてるのだ」
亘理『?』
悠「この絵が描かれたころ、江戸では「天井を見せる」って言い回しは一種の流行語で「人を困らせる」って意味で使われたんだよ」
千世子「今日はここまでなのだ」
毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業がはじまろうとしていた。
千世子「はーい、じゃあ、昨日は結局じゅぎょーできなかったから今日はばっちりじゅぎょーするのだ。」
要「はい、先生」
千世子「どしたのだ?」
要「不用意に女子生徒としかも女児と二人っきりになってムードを作ろうとする輩がいると思います」
悠「だーかーらー昨日は早く来てそうなっただけっていったやろが。そもそもムードとか作ってないし何より亘理もいたっーの。なあ?」
亘理『居たよ。だいぶいい雰囲気になってたようだけど……あ、お邪魔でしたか?』
悠「なんなんだお前のキャラは……。はぁ、なのはからもなんかいってくれ」
なのは「悠さんにはジュースをもらってお話してただけなの」
悠「ほーら。」
揺光【コンコンコンッ♪そのお話で好感度をあげるんじゃな】
悠「あげてねーし。あがらねェし。」
千世子「はいはい。そーゆー話はじゅぎょーが終わってからするのだ。」
悠「いや、これで終わっていいから」
千世子「鳥山石燕は日本の古い文献をよく知っていた画家であり、石燕が創作したオリジナル妖怪には古い文献の記述をもとに創作した物がおおいのだ。例えば天井嘗のもとになったのは、鎌倉時代の歌人、吉田兼好が書いた随筆で、現代でもしばしは教科書に登場する名文『徒然草』の記述だというのだ。」
フェイト「つれづれぐさ?」
神姫「つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 っていうの知らない?」
フェイト「ごめんなさい。知らないです」
花描「まだ、習って無いんじゃないかな」
神姫「別に謝らなくていいわ。」
灼羅「徒然草は、卜部兼好……兼好法師、兼好。吉田兼好は江戸期の俗称じゃ。書いたとされる随筆で。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されておるぞ。」
悠「いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。 御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。竹の園生(ソノフ) の、末葉(スヱバ)まで人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらなり、たゞ人(ビト)も、舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下( シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。 ……って、感じに続いていくんだけどな」
天空音「序段を含めて244段から成るですよ」
千世子「鎌倉時代末期、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたとする説が主流だけど、数多くの説があって定説はないのだ。って、徒然草のことはおいといて……石燕は天井嘗の解説文としてこんな内容の事を書いてるのだ。」
【天井が高いと明かりは暗くて冬は寒いというが、これは家のせいではなくて、この妖怪のせいだと気がついてぞっとする、という夢を見た】
神姫「なるほどね。その文章が、徒然草の一節「天井が高いと冬は寒く、明かりは暗い」っていう文章に対応してるのね。」
天空音「比べてみたらわかるですね」
千世子「吉田兼好の活躍した鎌倉時代でき、夏の暑さをしのぐために天井を高くするのが流行していたため、夜に明かりをつけも暗かったのだけど、石燕はこの「明かりをつけても暗い」ことを妖怪の仕業にしてしまったのだ。」
亘理『はいはいはーい。天井下は?』
千世子「天井下については、平安時代の妖怪ハンターである源頼光の家来筆頭、渡辺綱の鬼退治を引き合いに出しているのだ。天井下の解説文には……」
【茨城童子という鬼が、女に化けて、自分の腕を切った渡辺綱のもとに現れた。茨木童子は天井を突き破って飛び去った】
亘理『つまり……えと?』
千世子「続きに…世にいう天井を見せるとは、このような恐ろしいものを見せることだろう…っと締めてるのだ」
亘理『?』
悠「この絵が描かれたころ、江戸では「天井を見せる」って言い回しは一種の流行語で「人を困らせる」って意味で使われたんだよ」
千世子「今日はここまでなのだ」