ー奇談ー學校へ行こう(2)6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「……梅雨きてなくね?」

摩耶「確かに今年はなんか例年に比べると雨降ってないよね。」

神姫「このまま梅雨が来ずに梅雨明けするのかそれともここから大きく崩れるのか」

亘理『じめじめはいやだなぁ。』

悠「ナメクジが湧かなければそれでいい。」

【日本におけるダイヤモンド】

千世子「はい、じゅぎょーしますなのだ。ダイヤモンドの和名は「金剛石」といいますが、日本とダイヤモンドの歴史はそれほど深いものじゃないのだ。」

悠「金剛は深くない、と」

摩耶「デカくはあるけどね。」

神姫「いや、そうじゃないでしょ。」

悠「そうだよな。金剛は深いもんな」

神姫「……」

千世子「初めてダイヤモンドが日本の歴史に現れたのは、寛文6年。1666年のことだったのだ。オランダ商人が長崎の出島に持ちこんだのが初めてで、商取引の中のひとつだったのだ。宝石はどの国にも重要な商材だったのだ。」

悠「すごい睨まれたでござる」

神姫「ちょっと黙っててくれる?イラッとするから」

悠「お口チャックノリス」

亘理『そういう所だよ?』

悠「おぉん?」

千世子「ところがカラスも完全に復旧していなかった当時の日本では、無色透明のダイヤモンドは、水晶とどこが違うのかと思われていたようなのだ。」

サタン「我はダイヤモンドよりドラゴンのウロコとかのがいいのだ」

悠「宝石じゃないよな」

摩耶「宝石は勝手に献上させればいいってことだね。」

サタン「そういうことなのだ」

悠「魔王め」

千世子「日本では水晶の事をギヤマンと呼び、親しまれてきたのだ。そもそもこのギヤマンという言葉は、ダイヤモンドが変化したものなのだ。そこからも分かるように、そのころの日本では、ダイヤモンドよりも水晶の方が価値が高かったのだ。」

摩耶「そういえばギヤマンガラスの博物館ってあるよね。」

悠「山の手マリアージュガーデンだな」

亘理『ガラスが飾ってあるの?』

悠「黄色鶴首徳利とか緑色竹筋文四方蓋物を飾ってある。」

亘理『……ほーん?』

千世子「結局、その時のオランダとの取引で取引された宝石は、珊瑚、琥珀、べっこうで、ダイヤモンドはオランダに戻されてしまったのだ。」

悠「わかってないだろ」

亘理『ぶっちゃけ全然』

神姫「要するにガラス製徳利とか入れ物とかよ。」

亘理『わかりやすい!』

悠「えー……」

千世子「それから、ダイヤモンドは歴史上に登場せず、次に登場するのは初めて持ちこまれてからおよそ200年後の1860年のことなのだ。勝海舟がアメリカに訪れた際に、アメリカ政府から日本に5カラットのダイヤモンドが贈られたのだ。これが正式な日本のダイヤモンドの初上陸になるのだ。今日はここまでで続きは次回なのだ。」
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