ー奇談ー學校へ行こう(2)3

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「ブックカバーいる?」

摩耶「便座カバー?」

悠「ブック!B!o!o!k!Book!!」

神姫「うるさい」

悠「はい」

【件】

千世子「手紙や証文の作法で、文書の終わりに「件のごとし」と書くことがあるのだ。これは「件の語る言葉のように真実である」という意なのだが……この「件」というのは、妖怪だという説があるのだ。」

悠「よろしければ神姫さんもどうぞ、リバーシブルブックカバーでごぜーます」

神姫「猫?」

悠「ナツイチのよまにゃブックカバーでごぜーます。」

亘理『口調』

悠「おっと、てやんでーべらんでー。」

千世子「「件」はそもそも中国、四国、九州地方に伝わる妖怪で「人べんに牛」と書くことからも分かるように、牛の身体に人間の頭という奇怪な姿をしているのだ。一説では、件は人間と牛の間に生まれたハーフなのだといわれているのだ。」

亘理『なんで江戸っ子!?』

悠「江戸っ子だからだよ」

摩耶「違うよね」

悠「うん」

サタン「悠は嘘つきなのだ」

千世子「「件のごとし」という言葉に件の名前が使われるのには理由があるのだ。件は生まれるとすぐに予言を残すことで知られ、しかもこの予言は必ず当たり、外れることがないというのだ。件が予言する内容は、流行病や戦争など、社会全体を襲う凶事に関することが多いのだが、ときには豊作の予言など、人間にとって喜ばしい予言をすることもあったようなのだ。」

悠「えへっ」

摩耶「あと、悠くんが叫んでるときも大概嘘」

悠「オオカミが出たぞー!」

義鷹「あ?」

悠「もっとヤバいのが出た」

千世子「この妖怪の存在は、江戸時代の中期には広く知られるようになっており、江戸時代末期の天保7年(1836年)には、丹波国(現在の京都府)に出現したという、豊作を予言した件の姿が瓦版に掲載されたこともあるのだ。文末には、件の絵図を貼っておけば、家内繁盛、病気除けのお守りになる、と書かれていたのだ。売り物の薬の効き目をアピールするために、トレードマークに件の姿を使い、さらに効き目が「件のごとし」とうたう商売上手もいたようなのだ。」

神姫「で、このブックカバーは結局なんなの?」

悠「本をたくさん買ったらたくさんくれた。」

摩耶「これ全何種類?」

悠「四種類」

摩耶「何セットある?」

悠「4セット」

千世子「このように件は、真実を語り吉凶を告げる存在であるとされ、広く民衆に知られていたのだ。しかしそんな件の寿命はとても短く、予言を残した後、最高でも4~5日程度しか生きることができないというのだ。」

神姫「すくなくとも16冊以上はかったのね。」

悠「沢山でていのだー」

サタン「そうなのだー」

悠「ちがう、そうじゃない」

摩耶「そーなの……ね」

悠「最後が違うぅん」

千世子「件は、なぜか社会情勢が不安定な時に生まれることが多いというのだ。例えば件の絵が描かれた瓦版が発行された天保7年には「天保の大飢饉」が起こり全国的に多くの餓死者が出た年であり、また第二次世界大戦中にも件は現れ、各地で空襲を予言したり、「日本は戦争に負ける」「戦争が終われば病が流行る」などと告げたといわれているのだ。以上、件のじゅぎょーだったのだ。」
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