ー奇談ー學校へ行こう(2)2
ー教室ー
毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。
悠「ココロジョジョルって動画見たんだがよかったよ」
摩耶「好きだね」
悠「うん、好きなんだ……ココナッツ」
神姫「カブト虫を食べさせましょうか」
亘理『虫食!』
【払子守&木魚ダルマ】
千世子「江戸時代の中期、1750年前後に江戸で活躍した画家「鳥山石燕」は、妖怪画集「画図百鬼夜行」で、自ら考えだした新しい妖怪を数多く描いているのだ。今回授業する「払子守」と「木魚ダルマ」もそのひとつなのだ。この二体の妖怪は、仏教の道具をモチーフとして、石燕が創作した妖怪なのだ。」
サタン「蜘蛛とか食べるのだ?」
雨「……」
悠「タランチュラの素揚げとかはなんかもうテレビでメジャーになってきたよな。」
神姫「罰ゲームっていうけど世界ふしぎ発見とかだと普通に食べてるわよね。」
摩耶「不思議ハンターすごい。」
亘理『ところで払子ってなに?』
千世子「払子というのは、はたきのような形をした仏具で、修行者の煩悩を払う道具なのだ。木魚はお経を上げるときに叩き、お経のリズムをとったり修行僧の眠気を覚ます効果があるのだ。」
亘理『ああ、おはらい棒?』
悠「ちょっと違う。もっと柔らかいのだ。」
神姫「はたきのようなものっていってるでしょ」
摩耶「こういうのだよ」
スッ
【払子】
亘理『へー』
千世子「石燕はこのふたつのほかにも、位の高い僧侶が着る衣が化けた襟立衣、お経そのものが化けた教凛々という妖怪をデザインしているのだ。本来ありがたいものであるはずの仏具が、妖怪にされているのはなぜなのだろうか?」
悠「どこで拾った」
摩耶「廊下で」
悠「相変わらず何が落ちてるかわからんなここも……」
サタン「我はパンを拾ったのだ。」
スキュラ「私は銀のナイフを拾いました。」
千世子「答えは「払子守」の解説文にあるのだ。石燕はここで、日本が平安時代だった9世紀、中国の唐で活躍した僧侶「趙洲和尚」の「犬にも仏性がある」という言葉を引用しているのだ。さらに石燕は「犬にも仏性があるなら、お寺で九年間使われ続けた払子にも仏性があるだろう」と続けているのだ。ここでいう仏性とは仏教用語で、やや語弊はあるが「悟りを開く意思の力」と説明できるのだ。つまり石燕は、お寺で長年使われた道具には意思が宿ると考え、その典型的な例として払子守という妖怪を想像したと考えられるのだ。」
悠「食料と武器……杖とか札とか巻物とか壺は?」
摩耶「ここは不思議なダンジョンじゃないよ?」
悠「不思議なダンジョンみたいなもんだろ」
亘理『モンスターはぞろぞろしてるけどね。』
悠「お前もなー」
千世子「石燕がこのような妖怪を生み出した背景には、室町時代に盛んになった「付喪神」という概念があるのだ。これは長く使われた道具は変身して妖怪になるという考え方なのだ。室町時代は、今と違って物の少ない時代。大切に使われた道具への強い思いが、古い物が妖怪に化けるという考えを生み出したのだろうなのだ。以上、払子守&木魚ダルマのじゅぎょーだったのだ。」
毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。
悠「ココロジョジョルって動画見たんだがよかったよ」
摩耶「好きだね」
悠「うん、好きなんだ……ココナッツ」
神姫「カブト虫を食べさせましょうか」
亘理『虫食!』
【払子守&木魚ダルマ】
千世子「江戸時代の中期、1750年前後に江戸で活躍した画家「鳥山石燕」は、妖怪画集「画図百鬼夜行」で、自ら考えだした新しい妖怪を数多く描いているのだ。今回授業する「払子守」と「木魚ダルマ」もそのひとつなのだ。この二体の妖怪は、仏教の道具をモチーフとして、石燕が創作した妖怪なのだ。」
サタン「蜘蛛とか食べるのだ?」
雨「……」
悠「タランチュラの素揚げとかはなんかもうテレビでメジャーになってきたよな。」
神姫「罰ゲームっていうけど世界ふしぎ発見とかだと普通に食べてるわよね。」
摩耶「不思議ハンターすごい。」
亘理『ところで払子ってなに?』
千世子「払子というのは、はたきのような形をした仏具で、修行者の煩悩を払う道具なのだ。木魚はお経を上げるときに叩き、お経のリズムをとったり修行僧の眠気を覚ます効果があるのだ。」
亘理『ああ、おはらい棒?』
悠「ちょっと違う。もっと柔らかいのだ。」
神姫「はたきのようなものっていってるでしょ」
摩耶「こういうのだよ」
スッ
【払子】
亘理『へー』
千世子「石燕はこのふたつのほかにも、位の高い僧侶が着る衣が化けた襟立衣、お経そのものが化けた教凛々という妖怪をデザインしているのだ。本来ありがたいものであるはずの仏具が、妖怪にされているのはなぜなのだろうか?」
悠「どこで拾った」
摩耶「廊下で」
悠「相変わらず何が落ちてるかわからんなここも……」
サタン「我はパンを拾ったのだ。」
スキュラ「私は銀のナイフを拾いました。」
千世子「答えは「払子守」の解説文にあるのだ。石燕はここで、日本が平安時代だった9世紀、中国の唐で活躍した僧侶「趙洲和尚」の「犬にも仏性がある」という言葉を引用しているのだ。さらに石燕は「犬にも仏性があるなら、お寺で九年間使われ続けた払子にも仏性があるだろう」と続けているのだ。ここでいう仏性とは仏教用語で、やや語弊はあるが「悟りを開く意思の力」と説明できるのだ。つまり石燕は、お寺で長年使われた道具には意思が宿ると考え、その典型的な例として払子守という妖怪を想像したと考えられるのだ。」
悠「食料と武器……杖とか札とか巻物とか壺は?」
摩耶「ここは不思議なダンジョンじゃないよ?」
悠「不思議なダンジョンみたいなもんだろ」
亘理『モンスターはぞろぞろしてるけどね。』
悠「お前もなー」
千世子「石燕がこのような妖怪を生み出した背景には、室町時代に盛んになった「付喪神」という概念があるのだ。これは長く使われた道具は変身して妖怪になるという考え方なのだ。室町時代は、今と違って物の少ない時代。大切に使われた道具への強い思いが、古い物が妖怪に化けるという考えを生み出したのだろうなのだ。以上、払子守&木魚ダルマのじゅぎょーだったのだ。」