銀司はおれを無視して、大前のおっさんに顔を突きだした。目と目の距離は五センチもない。ある種の昆虫の求愛行動みたいだ。

「おまえ、一之瀬組のもんか。拳二の手下が偉そうなツラしてんじゃねぇぞ。」

おれは大前のおっさんを観察していた。顔は無表情だが、だらりと下げた指先はバイトの制服のパンツの横を細かく叩いていた。このおっさんもヤクザが怖いのだ。

「店のロゴやデザインには商標権というものがあります。明らかにあなたの「陽来軒」はうちの「夏水堂」の商標権を侵害しています。法的手段をとれば、あなたの店を営業停止にすることも可能でしょう。わたしは瓦谷さんに報告します。」

ぎょっとした顔で、銀司は大前のおっさんを見つめた。ヤクザや半グレの相手は得意でも、一部上場企業の会社員は苦手なのかもしれない。

「だから、おまえナニモンだっていってんだよ!」

銀司の口から、おっさんに細かな唾が飛んだ。顔色を変えずに、月見ハゲのおっさんがいった。

「わたしは瓦谷さんに雇われた「夏水堂」のアルバイトです。」

おれは危うく口笛を吹きそうになった。ごくたまにだが、おれも茶屋の店番や街中にいるアルバイトが世の中で一番カッコいい仕事だと思うことがある。その時の大前のおっさんは、ど゜んなファッションモデルやユーチューバーよりいかしていた。大前のおっさんは腰を折って頭を下げた。

「店の仕事が残っていますので、帰らせていただきます。先ほどの伝言は内の店長に伝えておきます。」

大きい声でいうと、歩いて十歩とない夏水堂に帰っていく。毒気を抜かれた銀司は呆然とおっさんの背中を見送った。おれは拳二のライバルに会釈して、夕焼けのグリーン通りを肩で風切り歩いていった。足は羽のように軽い。実にいい気分だ。