薄っぺらな合板の扉に耳を寄せた。内部から音はしない。人の気配もない。おれはジープに戻り、スズカに電話をかけた。

『おはようございます。』

朝イチで聞くにも、いい声だ。額の汗をぬぐいながら言う。

「園田のアパートにいる。部屋には誰もいないみたいだ。あいつは夜勤とかあるのかな。」

『よくわかりませんけど、ないと思います。』

フロントウィンドウ越しにアパートを見上げる。

「ふーん、そうか。そっちのスケジュールを知りたいんだけど。」

『わたしは土曜日まで仕事です。お休みは日曜と火曜』

「オフィス何処?」

『今の派遣先は東池袋の専門学校。声優とアニメと音楽の』

若者の夢を食い物にするスクールか。だけど、社会人になれば好きでもない仕事を一生やるんだから、学生時代くらい好きなことをしたいってガキの気持ちはよく分かる。

その場でもう一時間ぐらい粘ったが、園田の部屋には人の動きがなかった。ストーカーが自分の住み家を捨てたとなると、かなり面倒なことになりそうだ。

ジープを転がし、東池袋に向かった。東京声優＆アーティスト専門学校は、川越街道沿いにある高層ビルの八階から最上階の十五階まで貸し切っていた。モダンな全面ガラス張り。近くにあるヴィクトリアに負けない大きさだから、かなり繁盛しているのだろう。今のガキはほんとアニメ好きだよな。まぁ、おれもだけど。

専門学校のまえは広場になっていて、コーヒーショップがありテーブルが並んでいる。こんなところで友達と待ち合わせて、声優の勉強をしにいくのか。ちょっと夢みたいな学園生活。まあ、卒業後の進路にあまり期待はできないが。

スズカの仕事は十字六時の八時間勤務。この店は園田がスズカを出待ちするには、ベストの場所だった。おれはジープを降りて、周囲を見回した。川越街道のむかいにファミレスとカフェが一店ずつ。こちら側にコンビニが一軒。最近のコンビニにはイートインのコーナーがあるから、張り込みにも待ち伏せにも使える。いちおうチェックはしたが、最有力はやはり広場のコーヒーショップだった。

あらためて、コンピューターをつかい設計した複雑な多面体構成のガラスのビルを見上げた。ここの資料館は決して安くないだろう。音楽業界ならおれも少しは知っている。クラシック、ロック、ポップスを問わず音楽で生きていくのはますます大変になってきた。音楽を制作する側の仕事はやせ細っているのだ。その中で唯一盛んなビジネスが音楽学校だという。プロになることが決してないアマチュアを大量生産しているのに、肝心の音楽はちっとも聞かれない。

なんだか救われない話。