ー特別編ー北口スモークタワー
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まっすぐ帰るのが嫌で、東口にわたる陸橋のほうへ歩いていった。高さ100メートルもありそうな白い煙突はゴミ焼却場だ。煙はまったく出ていなかった。おれはジ・エンドをポケットから抜いて、端を裂いた。乾燥した植物片を陸橋のうえからJRの線路にばらまいてやった。ほんの数グラムの葉っぱだ。すぐに北風にまかれて見えなくなった。
西の空では冬の夕日が燃えていた。心に切りつけて来るほどのあざやかさ。
「なんだかおかしなトラブルだったなあ」
教授はなにもいわずにうなずき、欄干にもたれて全身に西日を浴びている。
「おれ、ひとつわからないことがあるんだけど、どうしてミオンにあってから、急にやる気になったんだ?あんたはただの相談役だか、顧問だったんじゃないのか」
S・ウルフのメンバーにも薬物汚染で困ったやつがいたことだろう。ドラッグというのは一部のガキには鉄の規律をも溶かすような威力がある。
「うちの子があのくらいの歳なんだ」
はずかしそうに教授がいった。
「なんだ、アンタ結婚してるんだ。」
教授は無表情に首を振る。
「してるんじゃなくて、していただ。わたしは研究のストレスで大麻にハマってしまった。毎月の給料から大麻の分数万円を抜いて、妻に渡していた。週末は横になってマリファナを吸い、ビールを飲む。それだけしかしなかった。六~七年になるかな」
DMオオコシの本を思い出した。大麻はほんとうに健康被害は無いかもしれない。教授は精神的にも肉体的にも無事なように見える。
「子育ても家族サービスも一切しなかった。妻は耐えられなくなって、離婚を申し出た。無条件で受けるしかなかった。悪いのは、わたしだ」
「子供って女の子なんだよな」
教授がはじめて笑った。冬を耐える硬くてちいさなつぼみのような笑いだった。
「ああ、そうだ。大麻をやめたいまでは月に一度会わせてもらっている。だがね、会うたびに胸が潰れそうになる。」
ソレは離婚して親権を手放した子供に会うのは、つらいだろう。おれには経験は無いが、その気持ちは想像がつく。だが現実はもう一枚うわてだった。教授は淡々と言う。
「わたしには赤ん坊のころと、成長した十二歳のあの子の記憶しかないんだ」
教授が震えていた。寒さにではなく、失われた記憶への恐怖だ。
「マリファナには健忘作用がある。つらくて嫌なことを忘れさせてくれる。だが、同時に良いことや忘れてはいけないことも失ってしまうんだ。わたしは自分の子が、どんな風に最初の言葉を話し、どんな風に歩き、幼稚園や小学校にどう入学したのか、まったく覚えていないんだ。記憶は二度と取りかえすことはできない。わたしは最低の父親だ」
父親であることの喜びを、わずかな麻薬成分により消去されてしまった。おれはマリファナ無害説を、誰がなんといっても信じない。人の心にこんな働きをするものが、自然に優しくオーガニックなドラッグであるはずがない。
「罪滅ぼしっていったてよな、アンタ」
教授は自分の心に錨でも降ろすかのようにうなずいた。
「あの子を見たとき、自分の娘を思い出した。せめてものつぐないに、なにかをしたかった。それでもわたしがダメな父親であることに変わりない。ほんの気休めだ。スモークタワーは倒せるかもしれない。でも似たような店は東京中にいくらでもある。わたしたちは無駄なことに必死になっているだけだ」
陸橋をダンプカーが駆け抜けて、橋全体で揺れた。おれの確信は揺れない。
「そんなことはない。アンタがほんとうにダメな父親かどうか、これからの時間で決まる。記憶をなくしたからといって、それに縛られたらドラッグの思うつぼだろ。あんたと娘の想い出は、これから新しく作っていけるはずだ。おれはアンタを信じるから、アンタも自分を信じてみろよ。ミオンもミオンのばあも、タカシもこの街のガキも、皆アンタがしてくれたことに感謝してるよ。アンタがなにを忘れても、アンタのまわりの人間がアンタがしてくれたことを覚えているさ。」
教授の顔がゆがんだ。欄干に顔を押し付けて、肩を震わせている。さすがに研究者だけあって、やつは決して泣き声は漏らさなかった。おれはべたりと夕日に染められて、やさしい闇がおりるまで記憶をなくした父親の側に立っていた。
西の空では冬の夕日が燃えていた。心に切りつけて来るほどのあざやかさ。
「なんだかおかしなトラブルだったなあ」
教授はなにもいわずにうなずき、欄干にもたれて全身に西日を浴びている。
「おれ、ひとつわからないことがあるんだけど、どうしてミオンにあってから、急にやる気になったんだ?あんたはただの相談役だか、顧問だったんじゃないのか」
S・ウルフのメンバーにも薬物汚染で困ったやつがいたことだろう。ドラッグというのは一部のガキには鉄の規律をも溶かすような威力がある。
「うちの子があのくらいの歳なんだ」
はずかしそうに教授がいった。
「なんだ、アンタ結婚してるんだ。」
教授は無表情に首を振る。
「してるんじゃなくて、していただ。わたしは研究のストレスで大麻にハマってしまった。毎月の給料から大麻の分数万円を抜いて、妻に渡していた。週末は横になってマリファナを吸い、ビールを飲む。それだけしかしなかった。六~七年になるかな」
DMオオコシの本を思い出した。大麻はほんとうに健康被害は無いかもしれない。教授は精神的にも肉体的にも無事なように見える。
「子育ても家族サービスも一切しなかった。妻は耐えられなくなって、離婚を申し出た。無条件で受けるしかなかった。悪いのは、わたしだ」
「子供って女の子なんだよな」
教授がはじめて笑った。冬を耐える硬くてちいさなつぼみのような笑いだった。
「ああ、そうだ。大麻をやめたいまでは月に一度会わせてもらっている。だがね、会うたびに胸が潰れそうになる。」
ソレは離婚して親権を手放した子供に会うのは、つらいだろう。おれには経験は無いが、その気持ちは想像がつく。だが現実はもう一枚うわてだった。教授は淡々と言う。
「わたしには赤ん坊のころと、成長した十二歳のあの子の記憶しかないんだ」
教授が震えていた。寒さにではなく、失われた記憶への恐怖だ。
「マリファナには健忘作用がある。つらくて嫌なことを忘れさせてくれる。だが、同時に良いことや忘れてはいけないことも失ってしまうんだ。わたしは自分の子が、どんな風に最初の言葉を話し、どんな風に歩き、幼稚園や小学校にどう入学したのか、まったく覚えていないんだ。記憶は二度と取りかえすことはできない。わたしは最低の父親だ」
父親であることの喜びを、わずかな麻薬成分により消去されてしまった。おれはマリファナ無害説を、誰がなんといっても信じない。人の心にこんな働きをするものが、自然に優しくオーガニックなドラッグであるはずがない。
「罪滅ぼしっていったてよな、アンタ」
教授は自分の心に錨でも降ろすかのようにうなずいた。
「あの子を見たとき、自分の娘を思い出した。せめてものつぐないに、なにかをしたかった。それでもわたしがダメな父親であることに変わりない。ほんの気休めだ。スモークタワーは倒せるかもしれない。でも似たような店は東京中にいくらでもある。わたしたちは無駄なことに必死になっているだけだ」
陸橋をダンプカーが駆け抜けて、橋全体で揺れた。おれの確信は揺れない。
「そんなことはない。アンタがほんとうにダメな父親かどうか、これからの時間で決まる。記憶をなくしたからといって、それに縛られたらドラッグの思うつぼだろ。あんたと娘の想い出は、これから新しく作っていけるはずだ。おれはアンタを信じるから、アンタも自分を信じてみろよ。ミオンもミオンのばあも、タカシもこの街のガキも、皆アンタがしてくれたことに感謝してるよ。アンタがなにを忘れても、アンタのまわりの人間がアンタがしてくれたことを覚えているさ。」
教授の顔がゆがんだ。欄干に顔を押し付けて、肩を震わせている。さすがに研究者だけあって、やつは決して泣き声は漏らさなかった。おれはべたりと夕日に染められて、やさしい闇がおりるまで記憶をなくした父親の側に立っていた。