ー特別編ードラゴン・オーシャン
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夜のドレスではひとせく大人びて見えたクーも、昼間の格好では年相応だった。デニムのミニスカートに、長袖のカットソーとタンクトップを重ね着している。ピンクとオレンジの組み合わせは、ひどくポップで、どこか日本的ではなかった。
クーは何故か見送りをしてやがる親父を見ると、おれの顔を見た。頭を下げて言う。
「悠さんのお兄さんですか。わたしはクーシュンクイ、今日は一日だけ弟さんをお借りします」
気持ち悪いな、こいつはおれの親父だと言おうとしたら、敵がレーザービームみたいな視線で、おれを射貫いた。あまりの迫力に何も言えなくなる。親父がにこやかにいった。
「こんなやつでよければ、いくらでも貸しますよ。せいぜいたのしんでくるといい」
親父はそこでおれの方に向き直って、また怖い顔をした。
「悠、こんなにかわいいお嬢さんに失礼するんじゃないぞ。ちゃんとエスコートするのが男の役目だ」
罵詈雑言と嫌味のありったけが咽のスレスレまでせり上がって来たが、おれはそれを何とかのみこんで思いきり皮肉な笑顔で返事をした。
「わかってるよ、兄さん」
クーといっしょに家を出る。おれたちの背中に向かって老けた兄が叫んだ。
「帰りもうちに寄って行きなさい、クー君」
「はい、分かりました。」
振り向いて、ていねいに頭を下げる。確かにクーは日本では絶滅したタイプかも知れない。
おれ達はあてもなく、ぶらぶらと池袋駅西口にむかって歩いた。
「これから、どうする?なにか見たいものとかあるのか」
おれがそうきくと、クーは軽く首を横に振った。
「いえ、とくにはないです。この街の普通の人がいくようなところにいきたいです。」
生涯最後の池袋観光か……。ガイドとしてはおれはちょっと頼りないが、それもいいかもしれない。
「OK。わからないことがあったら、なんでもきいてくれ」
春風が吹いて、街角のソメイヨシノがほんの少し花をつけていた。枝先だけピンクのペンキに浸したようだ。本格的な春は間近だった。それはクーにとっては別れの季節なのかもしれない。だがすくなくとも今日じゃない。
おれは自分の生まれ育った街をしっかり見せてやろうと思った。
最初にいったのは西口公園。
現在進行形でここでどんな悪さをしてるのか、物語仕立てにしてたっぷりと話してやった。クーは笑いながら聞いている。S・ウルフってなんなのでしょうか。そういう人たちは集団農場で働かないんですか。的外れ的な質問も大歓迎だった。池袋ではほとんどのガキがブラブラ遊んでいると言ったら、クーは目を丸くしていた。
次にいったのは、東部と西部のデパート。世界中から集められた美しい品々を手に取り、クーはため息をつく。値札を見ると爆発物にでも触れたように手をひいた。そこで売られている欧州の高級ブランドの中国原産シルクのシャツ一枚で、貧しい農村なら何家族が一年間暮らせることだろうか。
おれたちはグリーン大通りを散策しながら、サンシャインシティに向かった。アルパの噴水のまえでアイスクリームを食べ、二本の若い女向けのブティックのあまりに露出の激しい服に笑ってしまった。マネキンの誰もかれも、黒人のソウルディーバか、百ドルで身体を売るストリートガールのような着こなしだ。
それからおれ達は高速エレベーターに乗り、サンシャイン水族館にいった。水槽の中には貧しさも豊かさも知らない魚がたくさん。ひとはなぜ魚のようにただ今の瞬間だけを生きられないのだろうか。クーはよちよちと歩くペンギンを見て、一匹欲しいと言った。おれは水族館の売店で、一番ちいさなペンギンのぬいぐるみをプレゼントする。
最後はサンシャイン60の展望台だった。ここは地元の人間はめったにこない。東京タワーの足元で暮らしていると、タワーにのぼらないのと同じだ。
そのころには夕日がさして、眼科に広がる東京中のビルで、西側の面だけオレンジに輝いていた。クーはガラスの手すりに腰掛けて、池袋の街を眺めていた。
「こんなにたくさんの建物があって、ぴかぴかの新車が走っていて、病気になってもお金を心配しないで病院に行ける。女の子はみんな可愛いし、男の子も優しそうでおしゃれ。悠さんは素敵なところに生まれたね。」
この街の裏通りで転げ回るように育って、そんなふうに言われたのは初めてだった。池袋は誰もが憧れるような場所ではぜんぜんない。だが、クーの夢を壊すのは気がすすまなかった。
「そうかもしれないな。」
豊かさは魚に水が見えないように、東京の人間には見えないのかもしれない。
「今日はとても楽しかった。悠さん、どうもありがとう。わたしは明日、リンさんといっしょに工場に帰ることにします。お母さんのことはとてもつらいけど……」
クーは言葉を呑みこんで、開かない窓のほうを向いた。涙が両目ににじんだ、研修生は意思の力で抑え込んでしまう。この女ならどんな過酷な勤務でも大丈夫だろう。ひとの三倍働き、文句を言わないという楊の言葉を思い出した。
「お母さんも納得してくれると思います。うちには母だけでなく弟や妹もいますから、あの子たちの教育費も必要です。あの子たちの将来のためなら、母もきっと納得してくれるはずです。この国の法律はキチンと守らなければいけませんし」
おれには言葉はなかった。クーが悩み抜いて自分で下した決断だ。うなずいていった。
「そうか。わかった。よく決心したな。うちに帰って晩飯でも食ってけよ。おや……兄貴も来いって言ってたし、日本の家庭料理もなかなか美味いぞ。」
クーは何故か見送りをしてやがる親父を見ると、おれの顔を見た。頭を下げて言う。
「悠さんのお兄さんですか。わたしはクーシュンクイ、今日は一日だけ弟さんをお借りします」
気持ち悪いな、こいつはおれの親父だと言おうとしたら、敵がレーザービームみたいな視線で、おれを射貫いた。あまりの迫力に何も言えなくなる。親父がにこやかにいった。
「こんなやつでよければ、いくらでも貸しますよ。せいぜいたのしんでくるといい」
親父はそこでおれの方に向き直って、また怖い顔をした。
「悠、こんなにかわいいお嬢さんに失礼するんじゃないぞ。ちゃんとエスコートするのが男の役目だ」
罵詈雑言と嫌味のありったけが咽のスレスレまでせり上がって来たが、おれはそれを何とかのみこんで思いきり皮肉な笑顔で返事をした。
「わかってるよ、兄さん」
クーといっしょに家を出る。おれたちの背中に向かって老けた兄が叫んだ。
「帰りもうちに寄って行きなさい、クー君」
「はい、分かりました。」
振り向いて、ていねいに頭を下げる。確かにクーは日本では絶滅したタイプかも知れない。
おれ達はあてもなく、ぶらぶらと池袋駅西口にむかって歩いた。
「これから、どうする?なにか見たいものとかあるのか」
おれがそうきくと、クーは軽く首を横に振った。
「いえ、とくにはないです。この街の普通の人がいくようなところにいきたいです。」
生涯最後の池袋観光か……。ガイドとしてはおれはちょっと頼りないが、それもいいかもしれない。
「OK。わからないことがあったら、なんでもきいてくれ」
春風が吹いて、街角のソメイヨシノがほんの少し花をつけていた。枝先だけピンクのペンキに浸したようだ。本格的な春は間近だった。それはクーにとっては別れの季節なのかもしれない。だがすくなくとも今日じゃない。
おれは自分の生まれ育った街をしっかり見せてやろうと思った。
最初にいったのは西口公園。
現在進行形でここでどんな悪さをしてるのか、物語仕立てにしてたっぷりと話してやった。クーは笑いながら聞いている。S・ウルフってなんなのでしょうか。そういう人たちは集団農場で働かないんですか。的外れ的な質問も大歓迎だった。池袋ではほとんどのガキがブラブラ遊んでいると言ったら、クーは目を丸くしていた。
次にいったのは、東部と西部のデパート。世界中から集められた美しい品々を手に取り、クーはため息をつく。値札を見ると爆発物にでも触れたように手をひいた。そこで売られている欧州の高級ブランドの中国原産シルクのシャツ一枚で、貧しい農村なら何家族が一年間暮らせることだろうか。
おれたちはグリーン大通りを散策しながら、サンシャインシティに向かった。アルパの噴水のまえでアイスクリームを食べ、二本の若い女向けのブティックのあまりに露出の激しい服に笑ってしまった。マネキンの誰もかれも、黒人のソウルディーバか、百ドルで身体を売るストリートガールのような着こなしだ。
それからおれ達は高速エレベーターに乗り、サンシャイン水族館にいった。水槽の中には貧しさも豊かさも知らない魚がたくさん。ひとはなぜ魚のようにただ今の瞬間だけを生きられないのだろうか。クーはよちよちと歩くペンギンを見て、一匹欲しいと言った。おれは水族館の売店で、一番ちいさなペンギンのぬいぐるみをプレゼントする。
最後はサンシャイン60の展望台だった。ここは地元の人間はめったにこない。東京タワーの足元で暮らしていると、タワーにのぼらないのと同じだ。
そのころには夕日がさして、眼科に広がる東京中のビルで、西側の面だけオレンジに輝いていた。クーはガラスの手すりに腰掛けて、池袋の街を眺めていた。
「こんなにたくさんの建物があって、ぴかぴかの新車が走っていて、病気になってもお金を心配しないで病院に行ける。女の子はみんな可愛いし、男の子も優しそうでおしゃれ。悠さんは素敵なところに生まれたね。」
この街の裏通りで転げ回るように育って、そんなふうに言われたのは初めてだった。池袋は誰もが憧れるような場所ではぜんぜんない。だが、クーの夢を壊すのは気がすすまなかった。
「そうかもしれないな。」
豊かさは魚に水が見えないように、東京の人間には見えないのかもしれない。
「今日はとても楽しかった。悠さん、どうもありがとう。わたしは明日、リンさんといっしょに工場に帰ることにします。お母さんのことはとてもつらいけど……」
クーは言葉を呑みこんで、開かない窓のほうを向いた。涙が両目ににじんだ、研修生は意思の力で抑え込んでしまう。この女ならどんな過酷な勤務でも大丈夫だろう。ひとの三倍働き、文句を言わないという楊の言葉を思い出した。
「お母さんも納得してくれると思います。うちには母だけでなく弟や妹もいますから、あの子たちの教育費も必要です。あの子たちの将来のためなら、母もきっと納得してくれるはずです。この国の法律はキチンと守らなければいけませんし」
おれには言葉はなかった。クーが悩み抜いて自分で下した決断だ。うなずいていった。
「そうか。わかった。よく決心したな。うちに帰って晩飯でも食ってけよ。おや……兄貴も来いって言ってたし、日本の家庭料理もなかなか美味いぞ。」