ー特別編ードラゴン・オーシャン
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夜九時過ぎに、おれはウチの店を出た。
さすがにこの不景気で、夜が来ると茶屋の客入りは無い。人通りさえ少ないのだ。西口のターミナルには空車のタクシーの長い列。おれは何度かでたらめに路地に飛び込み、あたりを一周して、尾行がついてないか確認した。夜の街で相手が追われているのを意識したら、尾行は極端に困難になる。
それからピンクの名刺の住所を目指した。西口公園から歩いてほんの五分。その雑居ビルは池袋駅北口から、二百メートルの交差点の角にあった。クラブは四階だった。エレベーターに乗り込んでおれは驚いた。扉が閉まるときに、あの金属音を聞いたのだ。このエレベーターは東龍のアジトがあるビルのものと同じだ。こんな近くに楊たちはいたのである。池袋は狭い。
おれは日本のキャバクラと同じ大箱のクラブを想像していた。だが、黒い革張りの扉を開けると、狭いロビーになっていた。受付にはボウタイの中国人が立っている。軍パンのおれをつまみだしたげな目でにらんだ。受付のカウンターには、アクリルの小箱が置いてあった。中には小銭がぎっしり。札も何枚か見える。なにか募金でもしているのだろうか。おれはピンクの名刺を片手でつまんでいった。
「楊さんから紹介された小鳥遊悠だ。麗華さんに話しを聞きたい」
受付の態度が急に変わった。中腰になって、おれを案内してくれる。ここでは楊の名には絶大な威力があった。店の中はカラオケ屋のように個室が続く造り。おれは不思議に思い、ボーイに聴いてみた。
「ここはどういう店なんだ。大箱じゃないんだな」
男は中国語なまりでいった。
「いえ、普ちゅーのクラブです。大箱だと中国のお客さんはトラブルを起こしやちゅいんです。自分の席についていた女の子が別な客を接待すると、嫉妬してしまうんですね」
なるほど、同じ東アジアといっても、クラブも様々だった。おれが通されたのは、六畳ほどの個室。壁にはL字型に造りつけの白いソファが置いてある。白い大理石のテーブルに四十二インチの液晶テレビ着きカラオケセット。ちょっと豪華なカラオケボックスみたいだ。おれは、ボーイにミネラルウォーターだけ注文した。
こつこつとドアを叩く音がしたのは、十分後。
「どうぞ」
不安げに顔をのぞかせたのは、白いラメのロングドレスの女。ベアショルダーだから、筋肉質なのが良く分かった。働いている女の肩。顔は香港の映画女優といってもとおりそうだ。髪をアップにしたうなじが長く美しい。ファンデーションもラメ入りできらきら光っていた。
「失礼します。」
郭順貴も日本語はしっかりしていた。まあ研修生のあの倍率では、誰もがとびきり優秀なのも無理はない。すこし距離を置いて、ソファに腰掛けたクーに言った。
「おれは小鳥遊悠。組合のアドバイザー林高泰に頼まれて、東龍と組合のあいだの仲介をしているんだ。いくつか話を聞きたいんだけど、いいかな。おれは日本の警察や入管とはなんの関係もないから安心していい」
クーの顔が青ざめていた。もっとも軍パンに長袖の和柄Tシャッの入管Gメンなどいないから、そちらのほうは最初から問題外だろう。
「まず最初に言っておきたいのは、もうアンタは東龍から自由だということだ。アンタは自分の意思で、どこでも行ける。リンから聞いたんだが、ひとりが逃げれば残りの二百人以上もいっしょに強制送還されるんだろう。なぜ、アンタは池袋に来たんだ」
クーは胸を張っている。妙に姿勢がいいのは、貧しい生まれでも誇り高いからかもしれない。
「みんなには謝りたいです。けれど、わたしにもここで働かなければならない事情があります。わたしはただ仕事が厳しいとか、給料が安いから逃げたわけではありません」
「じゃあ、なぜ、東龍の誘いに乗ったんだ」
クーはテーブルの上にあるミネラルウォーターのグラスをじっとみつめた。しばらくして口を開く。
「故郷から手紙が届いたからです。わたしの母の腎臓病がいよいよいけないようだ。助かるにはもう移植手術しかない。わたしはなんとしても、手早く大金をつくらなければなりませんでした。東龍の噂は縫製工場でも有名でした。面倒見がよく、世紀の研修生の何倍も稼げる。わたしには他に選択肢がありませんでした。」
おれは楊の言葉を思い出していた。伝染する死の病、それは貧乏。
「ちょっと待ってくれ。中国には健康保険とかないのか。年寄りが病気になれば、医療費の大部分は国が面倒見てくれるもんだろ」
クーはわずかに目を見開いておれを見た。驚いたのかもしれない。
さすがにこの不景気で、夜が来ると茶屋の客入りは無い。人通りさえ少ないのだ。西口のターミナルには空車のタクシーの長い列。おれは何度かでたらめに路地に飛び込み、あたりを一周して、尾行がついてないか確認した。夜の街で相手が追われているのを意識したら、尾行は極端に困難になる。
それからピンクの名刺の住所を目指した。西口公園から歩いてほんの五分。その雑居ビルは池袋駅北口から、二百メートルの交差点の角にあった。クラブは四階だった。エレベーターに乗り込んでおれは驚いた。扉が閉まるときに、あの金属音を聞いたのだ。このエレベーターは東龍のアジトがあるビルのものと同じだ。こんな近くに楊たちはいたのである。池袋は狭い。
おれは日本のキャバクラと同じ大箱のクラブを想像していた。だが、黒い革張りの扉を開けると、狭いロビーになっていた。受付にはボウタイの中国人が立っている。軍パンのおれをつまみだしたげな目でにらんだ。受付のカウンターには、アクリルの小箱が置いてあった。中には小銭がぎっしり。札も何枚か見える。なにか募金でもしているのだろうか。おれはピンクの名刺を片手でつまんでいった。
「楊さんから紹介された小鳥遊悠だ。麗華さんに話しを聞きたい」
受付の態度が急に変わった。中腰になって、おれを案内してくれる。ここでは楊の名には絶大な威力があった。店の中はカラオケ屋のように個室が続く造り。おれは不思議に思い、ボーイに聴いてみた。
「ここはどういう店なんだ。大箱じゃないんだな」
男は中国語なまりでいった。
「いえ、普ちゅーのクラブです。大箱だと中国のお客さんはトラブルを起こしやちゅいんです。自分の席についていた女の子が別な客を接待すると、嫉妬してしまうんですね」
なるほど、同じ東アジアといっても、クラブも様々だった。おれが通されたのは、六畳ほどの個室。壁にはL字型に造りつけの白いソファが置いてある。白い大理石のテーブルに四十二インチの液晶テレビ着きカラオケセット。ちょっと豪華なカラオケボックスみたいだ。おれは、ボーイにミネラルウォーターだけ注文した。
こつこつとドアを叩く音がしたのは、十分後。
「どうぞ」
不安げに顔をのぞかせたのは、白いラメのロングドレスの女。ベアショルダーだから、筋肉質なのが良く分かった。働いている女の肩。顔は香港の映画女優といってもとおりそうだ。髪をアップにしたうなじが長く美しい。ファンデーションもラメ入りできらきら光っていた。
「失礼します。」
郭順貴も日本語はしっかりしていた。まあ研修生のあの倍率では、誰もがとびきり優秀なのも無理はない。すこし距離を置いて、ソファに腰掛けたクーに言った。
「おれは小鳥遊悠。組合のアドバイザー林高泰に頼まれて、東龍と組合のあいだの仲介をしているんだ。いくつか話を聞きたいんだけど、いいかな。おれは日本の警察や入管とはなんの関係もないから安心していい」
クーの顔が青ざめていた。もっとも軍パンに長袖の和柄Tシャッの入管Gメンなどいないから、そちらのほうは最初から問題外だろう。
「まず最初に言っておきたいのは、もうアンタは東龍から自由だということだ。アンタは自分の意思で、どこでも行ける。リンから聞いたんだが、ひとりが逃げれば残りの二百人以上もいっしょに強制送還されるんだろう。なぜ、アンタは池袋に来たんだ」
クーは胸を張っている。妙に姿勢がいいのは、貧しい生まれでも誇り高いからかもしれない。
「みんなには謝りたいです。けれど、わたしにもここで働かなければならない事情があります。わたしはただ仕事が厳しいとか、給料が安いから逃げたわけではありません」
「じゃあ、なぜ、東龍の誘いに乗ったんだ」
クーはテーブルの上にあるミネラルウォーターのグラスをじっとみつめた。しばらくして口を開く。
「故郷から手紙が届いたからです。わたしの母の腎臓病がいよいよいけないようだ。助かるにはもう移植手術しかない。わたしはなんとしても、手早く大金をつくらなければなりませんでした。東龍の噂は縫製工場でも有名でした。面倒見がよく、世紀の研修生の何倍も稼げる。わたしには他に選択肢がありませんでした。」
おれは楊の言葉を思い出していた。伝染する死の病、それは貧乏。
「ちょっと待ってくれ。中国には健康保険とかないのか。年寄りが病気になれば、医療費の大部分は国が面倒見てくれるもんだろ」
クーはわずかに目を見開いておれを見た。驚いたのかもしれない。