ー特別編ードラゴン・オーシャン
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
けれどホテルのバーというのは、すかした場所だ。身なりの良くない街のガキがひとりくらい驚きの叫びをあげても、見事にあの静寂の中に吸収してしまう。誰もおれのことなど気にしてはいなかった。遠くで身なりのいい誰かが声をひそめて話し、グラスをコースターに戻すくぐもった音が重なるくらい。おれは低く叫んだ。
「襲撃だって……そんな話聞いてないぞ、リン」
拳二が腕組みを解いて苦々しげな顔をした。
「だからいっただろ。こいつは暴力が嫌いなんだ。文化省推薦のトラブルシューターなのさ」
リンの顔は真剣だった。
「残念ですが、あと六日しかありません。楊の様子では、このままでは郭順貴の回収については平行線で終わりそうです。なんとか揺さぶりをかけなければいかない。もう手段を限定している場合ではありません。わたしは組合の上部から、命令を受けています。」
一気におれの熱が冷めていった。おれはいつだって、問題解決の手段として暴力は最小限に収めていたつもりだ。無駄な血を見るのが嫌いなのだ。それはどんな間抜けや犯罪者相手でも変わらなかった。拳二がにやりと笑う。
「お前、しってるか。池袋の中国街でも、裏の世界は一枚岩じゃない。チャイニーズマフィアにも東龍みたいな東北系残留孤児のグループもいれば、福建や上海なんかの南方出身もいるし、昔ながらの台湾系もいる。嬉しいことに、中国人同士はお互いひどく中が悪いんだとさ」
瑚が拳二を睨んで、なにか早口の中国語でまくし立てた。最後に舌打ちをする。リンがうなずいてから上品に訳した。
「あなたがた日本人と同じだと言っています。京極会、一ノ瀬組、虎狗琥組、その他大勢。日本の組織同士もみな仲が悪い」
おれにも異論はなかった。何故か世界中のどこの国でも、その手の組織はおたがいがおたがいにとって最悪の敵なのだ。拳二がいった。
「まあ、そうだな。別にウチのほうは上海と手を組むわけじゃないから、どうでもいい。東龍のガキを襲って、傷めつければそれでいいんだろ。あのラーメン屋の件もあるから、ウチのオヤジも若い衆も喜ぶだろう」
リンはうなずいた。
「はい、とりあえず一度だけ小規模の仕掛けをお願いします。ただし死者を出してはいけません。それではこの街のイメージダウンになりますし、中国街の長老たちも喜ばない。それは瑚さんのほうでも同じです。」
上海系マフィアの男は話すのは苦手でも、日本語はよく理解できるようだった。黙ってうなずく。
「悠、あなたにはこれから働いてもらわなくてはいけない。今回の作戦は気にいらないところがあるかもしれませんが、きちんと話を聞いておいてください。陽動をかけたら、また東龍のボスに面会を求めなければなりません」
おれはだんだんとイラついてきた。この元中国人はいつもなら、おれがやる役を全て自分でこなしてしまう。
「なあ、リン、アンタがそれだけ池袋で動けるなら、おれは必要ないんじゃないか。圧力をかけて楊が音をあげる。それで逃げた女は手に入るんだろ。よくできた筋書きだが、どこにおれが必要なんだ。」
そいつはずっと感じていたことだった。リンは中国系の長老だけでなく、一ノ瀬組にまでコネがあるようだ。おれなんかが出る幕はない。リンは微かに悲しそうな顔をした。
「悠のいうとおりです。でも、最後に重要な役が待っています」
拳二がおれの方を見ていた。上海系の男も薄い目でこちらを睨んでいる。リンは時間を置いてからいった。
「郭順貴はわたしたちの組合をもう信用していません。それは楊のことも同じでしょう。どこに行っても同胞に散々搾取されてきたのですから。だから、第三者の仲介が必要なのです。それも日本の公的な機関でなく、一般市民のほうがいい」
リンはジッとアナウンサーのような顔でおれのほうを見つめてきた。なんだか尻がむずがゆくなってきた。
「わたしはあなたがこの街で行ってきた数々の仲裁について調べました。あなたの最上の能力は、推理でも調査でもなく、対立している両者のあいだに和解を促す力のようだ。わたしは上司の命令に反して、その力に賭けてみようと思ったのです。」
リンの目におかしな熱がこもっていた。
「うえの命令ってどんな奴だ」
リンは微笑んで見せた。
「郭順貴の強制的な身柄拘束です。けれど、その方法が上手くいくとは思えない。わたしたちは力ずくで郭を工場に連れ戻すことが出来ますが、それではいつつぎに脱走が起こるか分からない。あと二年半以上も契約は残っている。何としても郭には自分の意思で工場に戻ってもらう必要がある。わたしはそう判断しました。」
そうなるとおれの仕事は重要だった。何と奴隷契約の現場にもどれと若い女を説得する役である。うららかな春に、もっともやりたくない仕事。
「襲撃だって……そんな話聞いてないぞ、リン」
拳二が腕組みを解いて苦々しげな顔をした。
「だからいっただろ。こいつは暴力が嫌いなんだ。文化省推薦のトラブルシューターなのさ」
リンの顔は真剣だった。
「残念ですが、あと六日しかありません。楊の様子では、このままでは郭順貴の回収については平行線で終わりそうです。なんとか揺さぶりをかけなければいかない。もう手段を限定している場合ではありません。わたしは組合の上部から、命令を受けています。」
一気におれの熱が冷めていった。おれはいつだって、問題解決の手段として暴力は最小限に収めていたつもりだ。無駄な血を見るのが嫌いなのだ。それはどんな間抜けや犯罪者相手でも変わらなかった。拳二がにやりと笑う。
「お前、しってるか。池袋の中国街でも、裏の世界は一枚岩じゃない。チャイニーズマフィアにも東龍みたいな東北系残留孤児のグループもいれば、福建や上海なんかの南方出身もいるし、昔ながらの台湾系もいる。嬉しいことに、中国人同士はお互いひどく中が悪いんだとさ」
瑚が拳二を睨んで、なにか早口の中国語でまくし立てた。最後に舌打ちをする。リンがうなずいてから上品に訳した。
「あなたがた日本人と同じだと言っています。京極会、一ノ瀬組、虎狗琥組、その他大勢。日本の組織同士もみな仲が悪い」
おれにも異論はなかった。何故か世界中のどこの国でも、その手の組織はおたがいがおたがいにとって最悪の敵なのだ。拳二がいった。
「まあ、そうだな。別にウチのほうは上海と手を組むわけじゃないから、どうでもいい。東龍のガキを襲って、傷めつければそれでいいんだろ。あのラーメン屋の件もあるから、ウチのオヤジも若い衆も喜ぶだろう」
リンはうなずいた。
「はい、とりあえず一度だけ小規模の仕掛けをお願いします。ただし死者を出してはいけません。それではこの街のイメージダウンになりますし、中国街の長老たちも喜ばない。それは瑚さんのほうでも同じです。」
上海系マフィアの男は話すのは苦手でも、日本語はよく理解できるようだった。黙ってうなずく。
「悠、あなたにはこれから働いてもらわなくてはいけない。今回の作戦は気にいらないところがあるかもしれませんが、きちんと話を聞いておいてください。陽動をかけたら、また東龍のボスに面会を求めなければなりません」
おれはだんだんとイラついてきた。この元中国人はいつもなら、おれがやる役を全て自分でこなしてしまう。
「なあ、リン、アンタがそれだけ池袋で動けるなら、おれは必要ないんじゃないか。圧力をかけて楊が音をあげる。それで逃げた女は手に入るんだろ。よくできた筋書きだが、どこにおれが必要なんだ。」
そいつはずっと感じていたことだった。リンは中国系の長老だけでなく、一ノ瀬組にまでコネがあるようだ。おれなんかが出る幕はない。リンは微かに悲しそうな顔をした。
「悠のいうとおりです。でも、最後に重要な役が待っています」
拳二がおれの方を見ていた。上海系の男も薄い目でこちらを睨んでいる。リンは時間を置いてからいった。
「郭順貴はわたしたちの組合をもう信用していません。それは楊のことも同じでしょう。どこに行っても同胞に散々搾取されてきたのですから。だから、第三者の仲介が必要なのです。それも日本の公的な機関でなく、一般市民のほうがいい」
リンはジッとアナウンサーのような顔でおれのほうを見つめてきた。なんだか尻がむずがゆくなってきた。
「わたしはあなたがこの街で行ってきた数々の仲裁について調べました。あなたの最上の能力は、推理でも調査でもなく、対立している両者のあいだに和解を促す力のようだ。わたしは上司の命令に反して、その力に賭けてみようと思ったのです。」
リンの目におかしな熱がこもっていた。
「うえの命令ってどんな奴だ」
リンは微笑んで見せた。
「郭順貴の強制的な身柄拘束です。けれど、その方法が上手くいくとは思えない。わたしたちは力ずくで郭を工場に連れ戻すことが出来ますが、それではいつつぎに脱走が起こるか分からない。あと二年半以上も契約は残っている。何としても郭には自分の意思で工場に戻ってもらう必要がある。わたしはそう判断しました。」
そうなるとおれの仕事は重要だった。何と奴隷契約の現場にもどれと若い女を説得する役である。うららかな春に、もっともやりたくない仕事。