ー特別編ードラゴン・オーシャン
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「日本ではどこで生まれても、好きな場所にいって、好きな仕事に就けます。自由は素晴らしい」
「中国は違うのか」
「戸口(フーコウ)の問題があります」
「なに、それ」
「戸口は居住証明書です。出生地と居住するべき地域が明記され、それ以外の土地で暮らすこと、働くことは基本的にできません。農村戸籍の者が都市戸籍を取得するのは、ほぼ不可能です。豊かな日本に生まれ、華やかな東京で生活する小鳥遊さんには想像できないでしょう。中国では農民は生涯都市に住めないのです。」
驚いてしまった。同じ国のなかに絶対に越えられない壁があり、その内側と外側で数十倍の富の格差がある。正規だ、非正規だといっている日本はまだ、島国らしく穏やかだったのだ。辛抱強く笑って、リンはいった。
「だから、農民たちは黄金の国日本への夢にかけます。この国の3K労働で三年間必死に頑張れば、十五万元稼げる。これは貧しい農民の生涯賃金にひとしいのです。」
西口公園のベンチで考えてしまった。三年間で二億の報酬になるといわれたら、日本中のガキが殺到することだろう。ジパングの黄金は伝説ではなかったのだ。
「だけど仕事は厳しいんだよな」
リンは平然としていた。この男は弱みを見せることがあるのだろうか。
「はい。だからごくまれにですが、脱走者が出ます。それは受け入れる日本の工場にとっても、中国の送り出し機関にとっても、大変に不幸なこと。」
整った顔が曇った。そこからの話しで、おれはまたびっくりしてしまった。中国が自由の国でないことはわかったが、この日本も同じくらい自由では無かったからだ。
ようやく先ほどの失踪した女の話しになるのだろう。じれったくなって、おれはいった。
「消えた女は、なにか犯罪にでも巻き込まれたのか」
「まだわかりません。ですが、雇われた先から逃げたことが既に危険です。脱走者は必ずつぎにどこかで働くことになる。お金を稼ぐためだけに日本に来たのですから。定められた以外の場所で働けば、不法就労になる。見つかれば入管法違反で強制退去処分になります。」
ということは、どれほど厳しい職場でも仕事先は自由に替えられないのだ。辞めることも、転職することも絶対に許されない仕事。おれなんかでは息がつまりそうだ。
「だけどさ、失踪した女だけの問題だよな。他の研修生はどかの工場で、ちゃんと働いてるんだろ。だったら、いいじゃないか」
リンは軽蔑したようにおれを横目で見た。
「そうは問屋が卸さないという慣用句がありますね。日本政府はそれほど研修生に優しくありません。」
「どういうこと?」
「河南小にある送り出し組合では、茨城県のみっつの工場に現在二百五十人の研修生を派遣しています。失踪者がひとりでも発生すると、厳しいペナルティが待っています。」
「それじゃあ、逃げた女だけでなく……」
「そうです。その組合から派遣されているすべての研修生が強制退去になります。一度退去処分になれば、五年間は日本に戻れません。日本で働くには何百倍もの倍率を勝ち抜いて選別される必要があります。一度失敗した人間には、二度目のチャンスはない。送り出し組合もペナルティとして、三年間派遣を禁じられます。もちろん日本の工場も安価で優良な働き手を一気に失うことになる。関係者すべてにとって、悲惨な結末になるのです。」
なるほど、それでようやくおれにも全体の絵が見えてきた。
「だから、そのなんとか組合では、日本語と中国語両方つかえるアドバイザーを雇うわけだな。研修生が逃げ出さないようにしっかり見張る。あんたはお目付け役というわけか」
この黒いスーツの男は、研修生専門用の刑務官なのだ。リンはにこりと子供でも褒めるような顔をした。
「素晴らしい。小鳥遊さんは頭がいいですね。」
まったく感情を変えずにアナウンサー口調でそういわれると、ものすごくバカにされた気になる。おれはぶっきらぼうにいった。
「一週間しかないんだろ。その女の名前は?」
「郭順貴(クーシュンクイ)。十九歳。この写真の女性です」
土と同じ色をした掘っ立て小屋のまえに、白い半そでシャツの真面目そうな少女と年老いた女が写っている。若い女はなにかを憎むようにカメラを強く睨んでいた。なかなか整った顔立ちをしている。となりにいる女はよく似ているから血がつながっているのは確かだろうが、ひどく老けているので母親ではなく祖母なのかもしれない。
貧しさは人をはやく老いさせる。
「中国は違うのか」
「戸口(フーコウ)の問題があります」
「なに、それ」
「戸口は居住証明書です。出生地と居住するべき地域が明記され、それ以外の土地で暮らすこと、働くことは基本的にできません。農村戸籍の者が都市戸籍を取得するのは、ほぼ不可能です。豊かな日本に生まれ、華やかな東京で生活する小鳥遊さんには想像できないでしょう。中国では農民は生涯都市に住めないのです。」
驚いてしまった。同じ国のなかに絶対に越えられない壁があり、その内側と外側で数十倍の富の格差がある。正規だ、非正規だといっている日本はまだ、島国らしく穏やかだったのだ。辛抱強く笑って、リンはいった。
「だから、農民たちは黄金の国日本への夢にかけます。この国の3K労働で三年間必死に頑張れば、十五万元稼げる。これは貧しい農民の生涯賃金にひとしいのです。」
西口公園のベンチで考えてしまった。三年間で二億の報酬になるといわれたら、日本中のガキが殺到することだろう。ジパングの黄金は伝説ではなかったのだ。
「だけど仕事は厳しいんだよな」
リンは平然としていた。この男は弱みを見せることがあるのだろうか。
「はい。だからごくまれにですが、脱走者が出ます。それは受け入れる日本の工場にとっても、中国の送り出し機関にとっても、大変に不幸なこと。」
整った顔が曇った。そこからの話しで、おれはまたびっくりしてしまった。中国が自由の国でないことはわかったが、この日本も同じくらい自由では無かったからだ。
ようやく先ほどの失踪した女の話しになるのだろう。じれったくなって、おれはいった。
「消えた女は、なにか犯罪にでも巻き込まれたのか」
「まだわかりません。ですが、雇われた先から逃げたことが既に危険です。脱走者は必ずつぎにどこかで働くことになる。お金を稼ぐためだけに日本に来たのですから。定められた以外の場所で働けば、不法就労になる。見つかれば入管法違反で強制退去処分になります。」
ということは、どれほど厳しい職場でも仕事先は自由に替えられないのだ。辞めることも、転職することも絶対に許されない仕事。おれなんかでは息がつまりそうだ。
「だけどさ、失踪した女だけの問題だよな。他の研修生はどかの工場で、ちゃんと働いてるんだろ。だったら、いいじゃないか」
リンは軽蔑したようにおれを横目で見た。
「そうは問屋が卸さないという慣用句がありますね。日本政府はそれほど研修生に優しくありません。」
「どういうこと?」
「河南小にある送り出し組合では、茨城県のみっつの工場に現在二百五十人の研修生を派遣しています。失踪者がひとりでも発生すると、厳しいペナルティが待っています。」
「それじゃあ、逃げた女だけでなく……」
「そうです。その組合から派遣されているすべての研修生が強制退去になります。一度退去処分になれば、五年間は日本に戻れません。日本で働くには何百倍もの倍率を勝ち抜いて選別される必要があります。一度失敗した人間には、二度目のチャンスはない。送り出し組合もペナルティとして、三年間派遣を禁じられます。もちろん日本の工場も安価で優良な働き手を一気に失うことになる。関係者すべてにとって、悲惨な結末になるのです。」
なるほど、それでようやくおれにも全体の絵が見えてきた。
「だから、そのなんとか組合では、日本語と中国語両方つかえるアドバイザーを雇うわけだな。研修生が逃げ出さないようにしっかり見張る。あんたはお目付け役というわけか」
この黒いスーツの男は、研修生専門用の刑務官なのだ。リンはにこりと子供でも褒めるような顔をした。
「素晴らしい。小鳥遊さんは頭がいいですね。」
まったく感情を変えずにアナウンサー口調でそういわれると、ものすごくバカにされた気になる。おれはぶっきらぼうにいった。
「一週間しかないんだろ。その女の名前は?」
「郭順貴(クーシュンクイ)。十九歳。この写真の女性です」
土と同じ色をした掘っ立て小屋のまえに、白い半そでシャツの真面目そうな少女と年老いた女が写っている。若い女はなにかを憎むようにカメラを強く睨んでいた。なかなか整った顔立ちをしている。となりにいる女はよく似ているから血がつながっているのは確かだろうが、ひどく老けているので母親ではなく祖母なのかもしれない。
貧しさは人をはやく老いさせる。