ー特別編ー水の中の目
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八月の第二週、おれのなかで、ようやくすべての片がついた。夏休みも真っ盛り。今年も池袋の夏は、でたらめな日差しと、でたらめな肌の露出をした女たちでにぎわっている。
マドカは、ルカ姉といっしょにあい変わらず、大人のパーティで稼いでいるらしい。ときどき、うちの店でパーティのお菓子を注文してくれる。いいお得意様だ。買春で得た金を使い、ベトナムでふたクラス分の子供たちを学校に活かせるマドカと、アホ面をさげて店番しいるおれ。どちらが立派だといわれたら、おれはマドカのほうだと正直思う。
放火されたラスタ・ラヴは火災保険がたんまりとおりて改装中のあいだ、オーナーの美喜とバイトの澪はリッチな夏休みを送っているらしい。見事な焼き太りだ。
タカシはそろそろS・ウルフの王様から、引退を考えてるそうだ。小さな店でも開き、二十歳で隠居する。まえまえから考えていたというが、おれは鼻で笑ってやった。スリルが無くなったぬるい人生に、タカシが耐えられるわけがない。
柏は池袋警察署でまたデカイ顔をしてふんぞり返っている。今回の短銃強奪事件の迅速な解決で、また点数を稼いだらしい。どんなトラブルがあっても、なぜか上手く自分に有利に運んでしまう運の強いやつが、世の中にはいるらしい。なんでも好きな酒を奢ってやるというから、ホテル・メトロポリタンのバーで一杯三千円のスコッチを、がんがんおかわりしてやった。実のところ、おれにはそんな高い酒の味は分からないんだが。
店を休んだある日、おれは東京駅から久しぶりの東海道線に乗った。薄曇りの眩しい空が広がる一日だった。海側のボックス席に座り、二時間のあいだビルと家並みを見続けた。海はたまに遠くで光っているだけで、全然電車からは見えなかった。ミナガワの生まれた町でおり、腹が減ったので駅前の定食屋にはいった。マグロの刺身定食を注文する。切り身は池袋のあの居酒屋のように、短冊ではなくぶ厚い楔形だった。おれは金の鎖をテーブルのまえに置いて、ひとりで定食を食べた。
タクシー乗り場に戻り、ミナガワと同じくらいの年のよく日焼けした運転手にいった。
「このあたりのガキが遊ぶ海岸にやってくれないか。」
クルマは市街地を抜けると、海水浴客でごった返す濁った砂浜を横目に、山間の入り江にむかった。海岸沿いの狭い道を何度かおり返して、運転手はタクシーを止めた。あたりに民家はなかった。両側に迫る磯に挟まれて真っ白な砂の浜辺がほんのの二十メートルほど続いている。ここで待っていてくれるよう、運転手に言い残し、おれはタクシーを降りた。
ガードレールを超えて、夏草の茂る、踏みわけ道をおりていった。青い草の匂いと潮の匂い。短い岩場の先は、砂浜になっていた。タバコの吸い殻や花火の燃えカスが落ちていない清潔な浜だった。歩くと砂の鳴く音がする。おれは浜辺に立ち、背後に振りむいた。入り江を囲む山は険しく、夏の木々が深い。
海と向きあった。つねに揺れ動きながら、永遠に変わらない海。軍パンのポケットに手を入れて、ミナガワの鎖を出す。軽く手首を返しただけで、白く泡立つ波のあいだに投げてやった。金色の輝きは、すぐに波にもまれて見えなくなった。おれは待たせていたタクシーに戻った。アツシのときと同じように、途中一度も振り返らなかったと思う。
その日の夕方には、おれは池袋に帰っていた。ミナガワと野約束を果たせば、港町なんかに用はない。西口公園の定位置のベンチに座り、なにもせずにビルのあいだに沈んでいく太陽を一時間半見ていた。ミナガワとアツシは、もうこんな夕日を見ることはないのだろう。それとも今この瞬間も、おれと同じ景色を見ているのだろうか。おれにはよくわからなかった。だが、どちらの死者も、確かにすぐ近くにいるように感じられた。ベンチの隣や、おれの後ろの生垣で、ふたりとも笑っておれを見ている。
ミナガワとアツシのことを思い出し、涙ぐんだこともあったような気がするが、それは熱のない夕日のせいだったのかもしれない。空は冷たく燃え、街はバラ色に染まり、行き交う人は欲望に頬を紅くしている。見馴れた池袋の景色が、とても美しく見えた。
なんといっても、その日はすごくバラけた夏の夕暮れだったのだから。
ー水の中の目・完ー
マドカは、ルカ姉といっしょにあい変わらず、大人のパーティで稼いでいるらしい。ときどき、うちの店でパーティのお菓子を注文してくれる。いいお得意様だ。買春で得た金を使い、ベトナムでふたクラス分の子供たちを学校に活かせるマドカと、アホ面をさげて店番しいるおれ。どちらが立派だといわれたら、おれはマドカのほうだと正直思う。
放火されたラスタ・ラヴは火災保険がたんまりとおりて改装中のあいだ、オーナーの美喜とバイトの澪はリッチな夏休みを送っているらしい。見事な焼き太りだ。
タカシはそろそろS・ウルフの王様から、引退を考えてるそうだ。小さな店でも開き、二十歳で隠居する。まえまえから考えていたというが、おれは鼻で笑ってやった。スリルが無くなったぬるい人生に、タカシが耐えられるわけがない。
柏は池袋警察署でまたデカイ顔をしてふんぞり返っている。今回の短銃強奪事件の迅速な解決で、また点数を稼いだらしい。どんなトラブルがあっても、なぜか上手く自分に有利に運んでしまう運の強いやつが、世の中にはいるらしい。なんでも好きな酒を奢ってやるというから、ホテル・メトロポリタンのバーで一杯三千円のスコッチを、がんがんおかわりしてやった。実のところ、おれにはそんな高い酒の味は分からないんだが。
店を休んだある日、おれは東京駅から久しぶりの東海道線に乗った。薄曇りの眩しい空が広がる一日だった。海側のボックス席に座り、二時間のあいだビルと家並みを見続けた。海はたまに遠くで光っているだけで、全然電車からは見えなかった。ミナガワの生まれた町でおり、腹が減ったので駅前の定食屋にはいった。マグロの刺身定食を注文する。切り身は池袋のあの居酒屋のように、短冊ではなくぶ厚い楔形だった。おれは金の鎖をテーブルのまえに置いて、ひとりで定食を食べた。
タクシー乗り場に戻り、ミナガワと同じくらいの年のよく日焼けした運転手にいった。
「このあたりのガキが遊ぶ海岸にやってくれないか。」
クルマは市街地を抜けると、海水浴客でごった返す濁った砂浜を横目に、山間の入り江にむかった。海岸沿いの狭い道を何度かおり返して、運転手はタクシーを止めた。あたりに民家はなかった。両側に迫る磯に挟まれて真っ白な砂の浜辺がほんのの二十メートルほど続いている。ここで待っていてくれるよう、運転手に言い残し、おれはタクシーを降りた。
ガードレールを超えて、夏草の茂る、踏みわけ道をおりていった。青い草の匂いと潮の匂い。短い岩場の先は、砂浜になっていた。タバコの吸い殻や花火の燃えカスが落ちていない清潔な浜だった。歩くと砂の鳴く音がする。おれは浜辺に立ち、背後に振りむいた。入り江を囲む山は険しく、夏の木々が深い。
海と向きあった。つねに揺れ動きながら、永遠に変わらない海。軍パンのポケットに手を入れて、ミナガワの鎖を出す。軽く手首を返しただけで、白く泡立つ波のあいだに投げてやった。金色の輝きは、すぐに波にもまれて見えなくなった。おれは待たせていたタクシーに戻った。アツシのときと同じように、途中一度も振り返らなかったと思う。
その日の夕方には、おれは池袋に帰っていた。ミナガワと野約束を果たせば、港町なんかに用はない。西口公園の定位置のベンチに座り、なにもせずにビルのあいだに沈んでいく太陽を一時間半見ていた。ミナガワとアツシは、もうこんな夕日を見ることはないのだろう。それとも今この瞬間も、おれと同じ景色を見ているのだろうか。おれにはよくわからなかった。だが、どちらの死者も、確かにすぐ近くにいるように感じられた。ベンチの隣や、おれの後ろの生垣で、ふたりとも笑っておれを見ている。
ミナガワとアツシのことを思い出し、涙ぐんだこともあったような気がするが、それは熱のない夕日のせいだったのかもしれない。空は冷たく燃え、街はバラ色に染まり、行き交う人は欲望に頬を紅くしている。見馴れた池袋の景色が、とても美しく見えた。
なんといっても、その日はすごくバラけた夏の夕暮れだったのだから。
ー水の中の目・完ー