ー特別編ー水の中の目
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缶ビールの六本パックをさげて、アツシが俺を連れていったのは千早の住宅街だった。さすがに駅から一キロも離れると、池袋も静かなものだ。アツシは俺の先にたち、この児童遊園で遊んだ、この自動販売機から小金をくすねたと昔語りをする。
ちいさな通りの先にコンクリートの塀と高い金網が見えた。濃紺の夜空に四階建ての校舎が、地面から生えだしたように黒いシルエットを描いている。誰も居ない皇帝の広さが不気味だった。アツシは金網の破れ目に手をかけていった。
「ここ、ぼくが卒業した中学なんだ。鍵はかかっているけど、夜は誰も居ないよ」
アツシはするりと境を超えた。俺も真夜中の学校に続いた。
俺たちは無人の校舎を素通りして、校庭の隅にあるプールにむかった。倉庫のような両開きのスライドドアには鍵がかかっていたが、腋にある消毒用の通路には金網を乗り越え、簡単にはいることが出来た。白いカルキの溶液が溜まった水路の手まえで、アツシと俺はスニーカーとブーツを脱いだ。裸の足先を白い水に浸す。なつかしいプールの匂いが立ちあがった。長方形の水の面が帯のように波打つ。なぜかミナガワが死んだ朝を思い出した。やつもあの朝、こんな白い水を渡ったんだろうか。
消毒液を飛ばさぬように静かに足を運び、水を落としていないシャワーの水栓の列をくぐった。六段ほどのコンクリートの階段が正面に見える。アツシはいった。
「ぼくは、ここの階段が好きなんだ。悠さん、あわてないでゆっくり、のぼってね」
黙ってうなずいた。俺はアツシにいわれた通り、一段ずつ踏みしめるように階段をあがった。視線がしだいに高くなると、二十五メートルプールの揺れる水面が形を変えながら、俺の目のまえでのびやかに広がっていった。無人のプールのおもては、鮮やかな青から黒に近い濃紺まで、角度によって微妙な色を指しながら、ひとときも静止することなく、振るえるように細かな波を立てている。
俺たちはすっかり乾いたプールサイドに腰をおろした。滑り止めのタイルは、手を突くと軽石のような肌ざわりだ。アツシは缶ビールの一本を取り、プルトップを開けてまわしてくれる。俺はやつの目を見ずに受け取った。少しぬるくなったビールがのどに冷たい線を描いて落ちていった。俺はプールの縁ギリギリに座り、斜めうしろにはアツシのほてった身体がある。涼しい夜で、俺はほのかにアツシの体温を感じることが出来た。アツシはいった。
「ひと休みしたら、いっしょに泳ごうよ」
ビールを飲んだばかりなのに、俺ののどはからからに乾いていた。下唇をかんでいった。
「そのまえに、アツシに話しておきたいことがある。」
「なあに」
アツシの声が、Tシャツでも脱ぐ布擦れの音といっしょに聞こえた。
「アキラの遺言だ」
俺は揺れる水面を見たまま言った。アツシが息を止めるのがわかった。
「日本中で誰ひとり気がつかなかったかもしれないが、やつは引き金を引くまえにひとりごとをいっている、俺はそれが何だったのか確かめた。」
アツシはぽつりといった。
「アキラ君は、なんていったの」
「これが全部作り話だったらと、俺も思うよ。やつは最後にこういった。のり代えやがって。やつはハッキリといったんだ。のり代えやがってとな」
風が吹いて、水面の一方に細かなしわが寄った。アツシの声は聞き取れないほどちいさい。
「そう」
「そうだ。あのとき西口公園にアキラの知った顔は、俺とお前しか居なかった。やつは確かに、お前にむかってそういったんだ。俺はまえからおかしいなとは思っていた。なぜ、パーティ潰しは俺とミナガワが、やつらを探すために動いているのを感づいたのか。なぜ、少しばかり手伝っただけのマドカをさらったのか。俺たちの細かな動きが筒抜けなのはなぜか」
「そうなんだ」
俺はアツシを振り向かなかった。正直どうにでもなれという気持ちだったのだ。
ちいさな通りの先にコンクリートの塀と高い金網が見えた。濃紺の夜空に四階建ての校舎が、地面から生えだしたように黒いシルエットを描いている。誰も居ない皇帝の広さが不気味だった。アツシは金網の破れ目に手をかけていった。
「ここ、ぼくが卒業した中学なんだ。鍵はかかっているけど、夜は誰も居ないよ」
アツシはするりと境を超えた。俺も真夜中の学校に続いた。
俺たちは無人の校舎を素通りして、校庭の隅にあるプールにむかった。倉庫のような両開きのスライドドアには鍵がかかっていたが、腋にある消毒用の通路には金網を乗り越え、簡単にはいることが出来た。白いカルキの溶液が溜まった水路の手まえで、アツシと俺はスニーカーとブーツを脱いだ。裸の足先を白い水に浸す。なつかしいプールの匂いが立ちあがった。長方形の水の面が帯のように波打つ。なぜかミナガワが死んだ朝を思い出した。やつもあの朝、こんな白い水を渡ったんだろうか。
消毒液を飛ばさぬように静かに足を運び、水を落としていないシャワーの水栓の列をくぐった。六段ほどのコンクリートの階段が正面に見える。アツシはいった。
「ぼくは、ここの階段が好きなんだ。悠さん、あわてないでゆっくり、のぼってね」
黙ってうなずいた。俺はアツシにいわれた通り、一段ずつ踏みしめるように階段をあがった。視線がしだいに高くなると、二十五メートルプールの揺れる水面が形を変えながら、俺の目のまえでのびやかに広がっていった。無人のプールのおもては、鮮やかな青から黒に近い濃紺まで、角度によって微妙な色を指しながら、ひとときも静止することなく、振るえるように細かな波を立てている。
俺たちはすっかり乾いたプールサイドに腰をおろした。滑り止めのタイルは、手を突くと軽石のような肌ざわりだ。アツシは缶ビールの一本を取り、プルトップを開けてまわしてくれる。俺はやつの目を見ずに受け取った。少しぬるくなったビールがのどに冷たい線を描いて落ちていった。俺はプールの縁ギリギリに座り、斜めうしろにはアツシのほてった身体がある。涼しい夜で、俺はほのかにアツシの体温を感じることが出来た。アツシはいった。
「ひと休みしたら、いっしょに泳ごうよ」
ビールを飲んだばかりなのに、俺ののどはからからに乾いていた。下唇をかんでいった。
「そのまえに、アツシに話しておきたいことがある。」
「なあに」
アツシの声が、Tシャツでも脱ぐ布擦れの音といっしょに聞こえた。
「アキラの遺言だ」
俺は揺れる水面を見たまま言った。アツシが息を止めるのがわかった。
「日本中で誰ひとり気がつかなかったかもしれないが、やつは引き金を引くまえにひとりごとをいっている、俺はそれが何だったのか確かめた。」
アツシはぽつりといった。
「アキラ君は、なんていったの」
「これが全部作り話だったらと、俺も思うよ。やつは最後にこういった。のり代えやがって。やつはハッキリといったんだ。のり代えやがってとな」
風が吹いて、水面の一方に細かなしわが寄った。アツシの声は聞き取れないほどちいさい。
「そう」
「そうだ。あのとき西口公園にアキラの知った顔は、俺とお前しか居なかった。やつは確かに、お前にむかってそういったんだ。俺はまえからおかしいなとは思っていた。なぜ、パーティ潰しは俺とミナガワが、やつらを探すために動いているのを感づいたのか。なぜ、少しばかり手伝っただけのマドカをさらったのか。俺たちの細かな動きが筒抜けなのはなぜか」
「そうなんだ」
俺はアツシを振り向かなかった。正直どうにでもなれという気持ちだったのだ。