ー特別編ー水の中の目
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八月になった。事件の翌日は騒がしかったが、おれのまわりではすぐに熱は冷めていった。警察からの電話が一度あったきりで、おれにはもう用はなくなったみたいだった。マスコミにはおれのおとり作戦はながれていない。タカシのいうように女たちにモテるようにはならなかった。池袋のガキどもに遠くから指さされ、あいつあいつといわれるくらいのもの。スマホが繋がらないあいだ、おれはずっとアツシのことを考えていた。
うつむいたときの長いまつげ、紅くやわらかそうな唇、美少女よりもきれいな顔、おどおどした態度。おれはすべてが演技だとは思えなかった。だが、人を動かすのに、なにもいつも強くある必要はない。人の心は弱さや、はかなさによっても、間違いなく動くのだ。
八月最初の金曜日の午後、気温は記録破りの摂氏三十五度、エアコンのない店でへばっているおれのスマホがなった。アツシだった。
「久しぶり。なにしてたんだ」
ためらうようにアツシはいう。
『悠さんのいう通り、あの、ちょっと東京を離れて……今回のことは、ほととどうもありがとう……うちには、警察から連絡はなかったみたい』
「そうか……どこかの社長と遊びにでもいってたんじゃないんだ」
アツシはわけがわからないという様子でいう。
『社長って……なあに』
いいんだといった。するとアツシは急に明るい声を出した。
『せっかく池袋に戻ってきたんだが、いっしょに飲もうよ』
おれ達は夜八時に、西口公園で落ち合う約束をして通話を切った。
円形広場の夜八時。石畳はまだ昼間の熱で揺らめいていて、夏休み中の広場の人では毎日が夏まつりのようだった。ちょっと気温が高いというだけで、男も女もなぜこれほど底抜けに騒げるのだろうか。おれは沈んだ気分で、ベンチに座りアツシを待っていた。
いきなりやわらかな手がおれの両目を覆う。まだ少年の声が、耳もとで囁いた。
「誰だ?」
「わかってるから、座れよ」
その日、アツシはおれの前で初めて半そでを着ていた。顔から手をはずすとき、黒いかさぶたのように固まった五角形の火傷痕が見えた。期間をおいて何度もタバコの火を押し付けたのだろう。アツシはかすかに盛りあがった火傷痕を細い指でこすりながらいう。
「もう、悠さんには隠さないでも、いいんだね」
天使のような笑顔を見せる。おれの気持ちは、心の奥深くで萎えていった。
それから安い居酒屋を二軒はしごした。いつかの夜、ミナガワといった店にはいかなかった。なんとなくミナガワの思い出が汚れるような気がしたのだ。おれはまだ、やつの金鎖をポケットにいれてもっていた。いいたいことを切り出せずにいるおれの臆病さを、ミナガワに見られたら、なんというだろうかと思った。おれはバラけているのだろうか。だらだらと飲み続け、二軒目をでたときには、とっくに終電の時間を過ぎていた。
おれ達はたくさんの酔っ払いに混ざり、生温かい池袋の路上をクラゲのように漂った。アツシはひとりでひどくハイになっていた。なにを見てもおかしいらしく、でたらめに街の細部を指さしては笑い続ける。やつはいった。
「ねえ、誰も来ない、とっておきの場所があるんだ。冷たいビールでも買って、そこにいかない」
おれは黙ってうなずいた。するとアツシは短パンの腰にさげていたチェーンを、じゃらじゃらとならしながら、解き放たれた子犬のようにコンビニの明かり目掛けて走っていく。風になびく髪と薄い背中を見ながら、おれ……俺は決心した。
今夜、すべてを明らかにしなければならない。死んだミナガワと犯されたマドカ、あごの半分を無くしたアキラに、どこかに埋まったシゲトのためにに。
うつむいたときの長いまつげ、紅くやわらかそうな唇、美少女よりもきれいな顔、おどおどした態度。おれはすべてが演技だとは思えなかった。だが、人を動かすのに、なにもいつも強くある必要はない。人の心は弱さや、はかなさによっても、間違いなく動くのだ。
八月最初の金曜日の午後、気温は記録破りの摂氏三十五度、エアコンのない店でへばっているおれのスマホがなった。アツシだった。
「久しぶり。なにしてたんだ」
ためらうようにアツシはいう。
『悠さんのいう通り、あの、ちょっと東京を離れて……今回のことは、ほととどうもありがとう……うちには、警察から連絡はなかったみたい』
「そうか……どこかの社長と遊びにでもいってたんじゃないんだ」
アツシはわけがわからないという様子でいう。
『社長って……なあに』
いいんだといった。するとアツシは急に明るい声を出した。
『せっかく池袋に戻ってきたんだが、いっしょに飲もうよ』
おれ達は夜八時に、西口公園で落ち合う約束をして通話を切った。
円形広場の夜八時。石畳はまだ昼間の熱で揺らめいていて、夏休み中の広場の人では毎日が夏まつりのようだった。ちょっと気温が高いというだけで、男も女もなぜこれほど底抜けに騒げるのだろうか。おれは沈んだ気分で、ベンチに座りアツシを待っていた。
いきなりやわらかな手がおれの両目を覆う。まだ少年の声が、耳もとで囁いた。
「誰だ?」
「わかってるから、座れよ」
その日、アツシはおれの前で初めて半そでを着ていた。顔から手をはずすとき、黒いかさぶたのように固まった五角形の火傷痕が見えた。期間をおいて何度もタバコの火を押し付けたのだろう。アツシはかすかに盛りあがった火傷痕を細い指でこすりながらいう。
「もう、悠さんには隠さないでも、いいんだね」
天使のような笑顔を見せる。おれの気持ちは、心の奥深くで萎えていった。
それから安い居酒屋を二軒はしごした。いつかの夜、ミナガワといった店にはいかなかった。なんとなくミナガワの思い出が汚れるような気がしたのだ。おれはまだ、やつの金鎖をポケットにいれてもっていた。いいたいことを切り出せずにいるおれの臆病さを、ミナガワに見られたら、なんというだろうかと思った。おれはバラけているのだろうか。だらだらと飲み続け、二軒目をでたときには、とっくに終電の時間を過ぎていた。
おれ達はたくさんの酔っ払いに混ざり、生温かい池袋の路上をクラゲのように漂った。アツシはひとりでひどくハイになっていた。なにを見てもおかしいらしく、でたらめに街の細部を指さしては笑い続ける。やつはいった。
「ねえ、誰も来ない、とっておきの場所があるんだ。冷たいビールでも買って、そこにいかない」
おれは黙ってうなずいた。するとアツシは短パンの腰にさげていたチェーンを、じゃらじゃらとならしながら、解き放たれた子犬のようにコンビニの明かり目掛けて走っていく。風になびく髪と薄い背中を見ながら、おれ……俺は決心した。
今夜、すべてを明らかにしなければならない。死んだミナガワと犯されたマドカ、あごの半分を無くしたアキラに、どこかに埋まったシゲトのためにに。