ー特別編ー水の中の目
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
朝九時、ドアを開けると昨日の夜の捜査員が黙っておれにうなずいた。また、お隣の池袋署まで護送される。VIPなのか囚人なのか、よくわからない気分だ。
例の会議室で防弾ヴェストと防刃ヴェストを重ね着させられた。その上からだぶだぶのナイロンパーカーをかぶる。この暑さではきつそうだが、怖い顔をしておれを見ている柏の手前、冗談も言えなかった。
胸元にはちいさなマイクがとめられた。声を殺してつぶやくだけで、おれの声は近くに止められた指揮車に届くことになる。ヘッドホンとポータブルCDも用意されていた。音楽好きのおれのためではなく、無線の受信機だという。ヘッドホンは片チャンネルがスピーカーで、残りは中身をはずし周囲の音がみみに入るようになっていた。
準備完了。おれは覆面パトカーに乗せられ、西口公園のJR口近くまで連れて行かれた。
朝十時、夏の太陽はすでに盛りの位置までのぼっている。でたらめにまぶしい日差しと歩道からの照り返し。おれはいつものように、小脇にWindowsvistaのノートプクパソコンをかかえて、ゆっくりと西口公園にはいった。あたりを歩く人間の姿が、スローモーションにでもなったようにはっきりと見える。信号の色が変わったり、そよ風でケヤキの枝先が揺れたりするのが、なぜか異様に鮮明に感じられた。
バームクーヘンみたいに円環状に水煙をあげる噴水の横を通り、左手に太陽とフクロウのブロンズ像を見ながら、円形広場に足を踏み入れた。ダーツの的のように白と灰色の石畳が巨大な同心円を描いている。ど真ん中の最高点のところは、ぴかぴかに磨き上げられた黒い御影石張りだ。周囲を取り巻くのはケヤキやソメイヨシノの色濃い緑で、木々のうえには池袋西口のビル街が思いおもいに背を伸ばし、さらにその上は巨大な積乱雲を軽々と浮かべる東京の渇いた夏空だった。
池袋西口公園。やっと帰ってきた。ここがおれの場所だ。
だが、ハイな気分は長くは続かなかった。木陰のベンチに座っていても、じりじりと汗の玉が防弾ヴェストのしたを流れていく。おとり作戦なんていって、いくら厳重にまわりを固めたところで、おとりがただの餌であることに変わりはない。ミミズ、ゴカイ、ミジンコの類。ときどき、無線で異常はないか確かめられたが、おれのまわりではなにも起こらなかった。
ノートパソコンを閉じては開き、文章のかけらでも打とうと思ったが、さすがにキーボードに集中できるほど、おれの神経は太く無かった。一時間も過ぎるころには、すっかり退屈してしまった。
暑さにしびれてぼんやりとした頭に、こたえがわかっている質問が何度も浮かぶ。
なんでおれは、こんなところに座っているんだろう。
十二時すこしまえ、公園裏の持ち帰り弁当の店で、でかいおにぎりが二個はいったパックと冷たい麦茶を買ってベンチに戻った。サラリーマンとホームレスが多いなと思ったら、みんな捜査員のようだった。おれはだんだん自分の計画に自身が無くなってきた。
逃げようと思えばアキラはいつでも逃げられた。それでも危険を冒して警官から銃を奪うくらいだから、絶対に池袋でやり残したことがあるはずだ。おれが自分にそう言い聞かせながら、最初に紀州梅のおにぎりにかぶりつくと、芸術劇場のほうからやってくるおかしなカップルが目にはいった。
けんかでもしたのだろうか。厚底サンダルに外国の娼婦みたいな格好をした女は、男に無理やり手を引かれて歩いてくる。男は肌にぴったりとあった現職ペイズリー柄のサイケデリックなシャツとファクトリーウォッシュのベルボトムジーンズ。頭は流行りのカーリーヘアでメタルフレームのレイバンをかけていた。
「もうー、痛い。離してよ、あれっぽっちの金じゃやってらんないよ」
男は女に足払いをかけると、乱暴に石畳につき倒した。女は倒れたまま立ち上がって来ない。西口公園が液体にでもなったように、おれのまわりのすべてが流れるように動き出した。
例の会議室で防弾ヴェストと防刃ヴェストを重ね着させられた。その上からだぶだぶのナイロンパーカーをかぶる。この暑さではきつそうだが、怖い顔をしておれを見ている柏の手前、冗談も言えなかった。
胸元にはちいさなマイクがとめられた。声を殺してつぶやくだけで、おれの声は近くに止められた指揮車に届くことになる。ヘッドホンとポータブルCDも用意されていた。音楽好きのおれのためではなく、無線の受信機だという。ヘッドホンは片チャンネルがスピーカーで、残りは中身をはずし周囲の音がみみに入るようになっていた。
準備完了。おれは覆面パトカーに乗せられ、西口公園のJR口近くまで連れて行かれた。
朝十時、夏の太陽はすでに盛りの位置までのぼっている。でたらめにまぶしい日差しと歩道からの照り返し。おれはいつものように、小脇にWindowsvistaのノートプクパソコンをかかえて、ゆっくりと西口公園にはいった。あたりを歩く人間の姿が、スローモーションにでもなったようにはっきりと見える。信号の色が変わったり、そよ風でケヤキの枝先が揺れたりするのが、なぜか異様に鮮明に感じられた。
バームクーヘンみたいに円環状に水煙をあげる噴水の横を通り、左手に太陽とフクロウのブロンズ像を見ながら、円形広場に足を踏み入れた。ダーツの的のように白と灰色の石畳が巨大な同心円を描いている。ど真ん中の最高点のところは、ぴかぴかに磨き上げられた黒い御影石張りだ。周囲を取り巻くのはケヤキやソメイヨシノの色濃い緑で、木々のうえには池袋西口のビル街が思いおもいに背を伸ばし、さらにその上は巨大な積乱雲を軽々と浮かべる東京の渇いた夏空だった。
池袋西口公園。やっと帰ってきた。ここがおれの場所だ。
だが、ハイな気分は長くは続かなかった。木陰のベンチに座っていても、じりじりと汗の玉が防弾ヴェストのしたを流れていく。おとり作戦なんていって、いくら厳重にまわりを固めたところで、おとりがただの餌であることに変わりはない。ミミズ、ゴカイ、ミジンコの類。ときどき、無線で異常はないか確かめられたが、おれのまわりではなにも起こらなかった。
ノートパソコンを閉じては開き、文章のかけらでも打とうと思ったが、さすがにキーボードに集中できるほど、おれの神経は太く無かった。一時間も過ぎるころには、すっかり退屈してしまった。
暑さにしびれてぼんやりとした頭に、こたえがわかっている質問が何度も浮かぶ。
なんでおれは、こんなところに座っているんだろう。
十二時すこしまえ、公園裏の持ち帰り弁当の店で、でかいおにぎりが二個はいったパックと冷たい麦茶を買ってベンチに戻った。サラリーマンとホームレスが多いなと思ったら、みんな捜査員のようだった。おれはだんだん自分の計画に自身が無くなってきた。
逃げようと思えばアキラはいつでも逃げられた。それでも危険を冒して警官から銃を奪うくらいだから、絶対に池袋でやり残したことがあるはずだ。おれが自分にそう言い聞かせながら、最初に紀州梅のおにぎりにかぶりつくと、芸術劇場のほうからやってくるおかしなカップルが目にはいった。
けんかでもしたのだろうか。厚底サンダルに外国の娼婦みたいな格好をした女は、男に無理やり手を引かれて歩いてくる。男は肌にぴったりとあった現職ペイズリー柄のサイケデリックなシャツとファクトリーウォッシュのベルボトムジーンズ。頭は流行りのカーリーヘアでメタルフレームのレイバンをかけていた。
「もうー、痛い。離してよ、あれっぽっちの金じゃやってらんないよ」
男は女に足払いをかけると、乱暴に石畳につき倒した。女は倒れたまま立ち上がって来ない。西口公園が液体にでもなったように、おれのまわりのすべてが流れるように動き出した。