ー特別編ー水の中の目
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ミナガワは苦しい息のした、淡々という。
「俺が死んだら……身体はどっかの山のなか……にでも、埋められちまうだろう……なあ、悠……こいつを取ってくれ」
目線だけで、寝巻の胸にさがっている金のネックレスを示した。
「ネックレスを外すのか」
ミナガワはあごの先だけでうなずいた。おれはやつの鎖をはずしてやった。ネックレスの先には長方形の切手ほどのペンダントトップがついている。表は艶消しの金、裏返すとGKとイニシャルが彫られていた。ミナガワがいった。
「そいつが……俺の本名だ……俺の本当の名前さえ……知らない悠には悪いが……そいつを故郷の海に……なげてくれないか……町の名は……」
ミナガワはそれから太平洋沿岸の港町の名をいった。遠洋のマグロ漁で有名なところだった。ミナガワが生まれ、育ち、肉屋になった町だ。この稼業にはいってから、一度も戻ったことはないといっていた。それでも、最後はその町の、子供のころから遊んだ海に帰りたいというのだろうか。おれはいった。
「今度の一件が片付いたら、必ず行くよ」
真剣な目つきでミナガワはいう。
「代わりに……俺が今もっている金は……全部やる」
いらないといった。そんなものもらってもうれしくない。
「じゃあ……ベトナムのガキにでも……くれてやれ……ほっときゃ……組が持っていく」
いうだけいうと気が済んだのか、ミナガワはつまらないバカ話を始めた。その夜が山場の重患にはとても見えなかった。むかし寝た女の話しやガキのころの悪さの話。信じられないかもしれないが、ミナガワは死ぬ間際に、AKB48や椎名林檎の話をするのだ。心電波形の緑の線が、うねりを大きく四つ刻んだ。
ミナガワは眠そうなのだが寝るのが嫌なようで、真夜中近くに酒が飲みたいといいだした。シューティングゲームに夢中の医者に聞くと、好きにさせてもいいという。おれは駒込駅前の居酒屋に走り、飛び切りの日本酒を買ってきてやった。ビール会社のロゴが入ったコップに半分注ぎ、手をそえて唇を濡らしてやる。ミナガワは飲みこめもしないくせに、しきりにバラけてる、うまいといった。ありがとな、お前はいいやつだと。
おれは涙で目のまえが見えなくなった。
日本酒をなめてしばらくすると、ミナガワは眠りこんだ。おれはベッドの脇の床に横になり、しばらくうとうとしていた。ミナガワの容体が急変したのは明け方で、心電モニターの耳を刺す音で目を覚ますと、闇医者が部屋にはいってくるところだった。
やつはちらりと水平になったモニターの緑の線を見てから、ミナガワの首筋に手をおき呼吸と心音を確かめ、ペンライトを胸のポケットから抜くと、ミナガワの目のまえで振った。手慣れた一連の動作だった。おれにむかってうなずく。
「残念だ。こんな医者でも、患者が死ぬと自分のせいだと思うんだ。聖玉社にはこちらから連絡をいれておけばいいのかな。」
おれは黙ってうなずいた。立ち上がり、ごつい手を握った。ミナガワの身体は、死んでもまだあたたかかった。六十兆の細胞のほとんどは、まだ魂が居なくなったことに気づいていないのだ。死はおれ達の隣にいる親しい友達だと思った。オカルトでもカルトでもない。おれには向こうの世界からこちらをみつめているミナガワの視線を感じられた。それは空が青く見えたり、自分の心臓の鼓動を聞いたりするのと同じように、絶対的な感覚だ。
その夜明け、狭い病室の天井の隅から、確かにやつは笑っておれを見ていた。
ありがとな、悠。
おれは明けがたの本郷通りをぶらぶら歩いた。眠くはなかった。昨日岡野に殴られた傷が鈍く痛んだが、ミナガワに比べたら蚊に刺されたようなものだ。よく晴れた日で、通りの隅々まで朝日がさしていた。光は鈍く透明で、ハイガス臭い空気さえ、高原のようにさわやかだった。おれは意味もなく歩道橋のうえにのぼった。東京の薄青い空の下、通りの果てまで、ビルと自動車の列が続いていた。
ミナガワはあちらへ行き、おれはこちらに残っている。たまたまそうなっただけで、逆でもおかしく無かった。生きているのも、死んでいるのも紙一重。大したかわりは無いんだと思った。強がりではない。一歩を踏み出せば、歩道橋の手すりの向こう側に、死んだおれが立っている。やつは生きているおれを見て、哀れだと笑っているかもしれない。
しばらく東京の朝を見ていると、腰のスマホケースが震えた。耳に当てる。タカシの声は朝日のように硬い。
『パーティ潰しのアジトが見つかった。朝一で突入する、来るか』
もちろんだといった。いいだろう、死者について考えるのはいつでもできる。生きてる限り動き回り、自己淋漓と自己嫌悪の材料をつくり続ければいい。どうせおれはただのガキで、バカな動物で、池袋の底に張り付いてるゴミのような生き物だ。
「俺が死んだら……身体はどっかの山のなか……にでも、埋められちまうだろう……なあ、悠……こいつを取ってくれ」
目線だけで、寝巻の胸にさがっている金のネックレスを示した。
「ネックレスを外すのか」
ミナガワはあごの先だけでうなずいた。おれはやつの鎖をはずしてやった。ネックレスの先には長方形の切手ほどのペンダントトップがついている。表は艶消しの金、裏返すとGKとイニシャルが彫られていた。ミナガワがいった。
「そいつが……俺の本名だ……俺の本当の名前さえ……知らない悠には悪いが……そいつを故郷の海に……なげてくれないか……町の名は……」
ミナガワはそれから太平洋沿岸の港町の名をいった。遠洋のマグロ漁で有名なところだった。ミナガワが生まれ、育ち、肉屋になった町だ。この稼業にはいってから、一度も戻ったことはないといっていた。それでも、最後はその町の、子供のころから遊んだ海に帰りたいというのだろうか。おれはいった。
「今度の一件が片付いたら、必ず行くよ」
真剣な目つきでミナガワはいう。
「代わりに……俺が今もっている金は……全部やる」
いらないといった。そんなものもらってもうれしくない。
「じゃあ……ベトナムのガキにでも……くれてやれ……ほっときゃ……組が持っていく」
いうだけいうと気が済んだのか、ミナガワはつまらないバカ話を始めた。その夜が山場の重患にはとても見えなかった。むかし寝た女の話しやガキのころの悪さの話。信じられないかもしれないが、ミナガワは死ぬ間際に、AKB48や椎名林檎の話をするのだ。心電波形の緑の線が、うねりを大きく四つ刻んだ。
ミナガワは眠そうなのだが寝るのが嫌なようで、真夜中近くに酒が飲みたいといいだした。シューティングゲームに夢中の医者に聞くと、好きにさせてもいいという。おれは駒込駅前の居酒屋に走り、飛び切りの日本酒を買ってきてやった。ビール会社のロゴが入ったコップに半分注ぎ、手をそえて唇を濡らしてやる。ミナガワは飲みこめもしないくせに、しきりにバラけてる、うまいといった。ありがとな、お前はいいやつだと。
おれは涙で目のまえが見えなくなった。
日本酒をなめてしばらくすると、ミナガワは眠りこんだ。おれはベッドの脇の床に横になり、しばらくうとうとしていた。ミナガワの容体が急変したのは明け方で、心電モニターの耳を刺す音で目を覚ますと、闇医者が部屋にはいってくるところだった。
やつはちらりと水平になったモニターの緑の線を見てから、ミナガワの首筋に手をおき呼吸と心音を確かめ、ペンライトを胸のポケットから抜くと、ミナガワの目のまえで振った。手慣れた一連の動作だった。おれにむかってうなずく。
「残念だ。こんな医者でも、患者が死ぬと自分のせいだと思うんだ。聖玉社にはこちらから連絡をいれておけばいいのかな。」
おれは黙ってうなずいた。立ち上がり、ごつい手を握った。ミナガワの身体は、死んでもまだあたたかかった。六十兆の細胞のほとんどは、まだ魂が居なくなったことに気づいていないのだ。死はおれ達の隣にいる親しい友達だと思った。オカルトでもカルトでもない。おれには向こうの世界からこちらをみつめているミナガワの視線を感じられた。それは空が青く見えたり、自分の心臓の鼓動を聞いたりするのと同じように、絶対的な感覚だ。
その夜明け、狭い病室の天井の隅から、確かにやつは笑っておれを見ていた。
ありがとな、悠。
おれは明けがたの本郷通りをぶらぶら歩いた。眠くはなかった。昨日岡野に殴られた傷が鈍く痛んだが、ミナガワに比べたら蚊に刺されたようなものだ。よく晴れた日で、通りの隅々まで朝日がさしていた。光は鈍く透明で、ハイガス臭い空気さえ、高原のようにさわやかだった。おれは意味もなく歩道橋のうえにのぼった。東京の薄青い空の下、通りの果てまで、ビルと自動車の列が続いていた。
ミナガワはあちらへ行き、おれはこちらに残っている。たまたまそうなっただけで、逆でもおかしく無かった。生きているのも、死んでいるのも紙一重。大したかわりは無いんだと思った。強がりではない。一歩を踏み出せば、歩道橋の手すりの向こう側に、死んだおれが立っている。やつは生きているおれを見て、哀れだと笑っているかもしれない。
しばらく東京の朝を見ていると、腰のスマホケースが震えた。耳に当てる。タカシの声は朝日のように硬い。
『パーティ潰しのアジトが見つかった。朝一で突入する、来るか』
もちろんだといった。いいだろう、死者について考えるのはいつでもできる。生きてる限り動き回り、自己淋漓と自己嫌悪の材料をつくり続ければいい。どうせおれはただのガキで、バカな動物で、池袋の底に張り付いてるゴミのような生き物だ。