ー特別編ー水の中の目
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重い頭蓋骨の両脇に、雄牛の角のようにひじをとがらせて、おれはやつの腹をぶち抜いた。バギリと壊れるような音がして、やつの背中のガラス一面が瞬時に白くひび割れる。左の目に血が入ったが、おれ自身の血のようだった。岡野はタイヤが裂けねように、爆発的に息を吐く。やつは焦ってこぶしの底でおれの背中をたたいたが、おれは相手にしなかった。腰を落としたまま身体をねじり、岡野の脇腹に体重をのせた左右のひじを打ちこみ続けた。おれの左右のひじに、助骨が折れる感触が残る。
今度腰を落とすのは、岡野の番だった。
電話ボックスの濡れた床に尻を落とした岡野の顔を、俺は掌底で殴った。やつの長い顎が砕けて左右に揺れ動く。別に中国拳法が俺のstyleというわけではないが、この体勢から一番痛みを与えられるのはこぶしで殴るより、これの方が良いからだ。狭い空間の中でごつごつと骨を打つ音が響いていた。四方八方から降り注ぐ打撃の雨音。殴りながら、俺はだんだん怖くなってきた。腕を振るうたびに、身体の底から新しい感情が湧いてくる。もっと殴れ、壊してやれ。コイツのやったことを考えろ。こんなやつは死んでもいい。殺してしまえ……。殴り合っている最中の本当の敵は、自分の中の殺意という底知れぬ抑えられない恐怖だ。
俺は豪雨のなか、半分気を失った岡野を電話ボックスからひきずりだした。誰かが荒い息をしていると思ったら、俺だった。水たまりにシャリパンの足を伸ばしてやり、レッドウイングの九十インチブーツで、やつの右ひざの裏を思い切り踏み抜いた。肉と骨と腱が壊れる音は、ごうごうと耳を打つ激しい雨脚のなか異様に鮮やかに響く。それだけやって、ようやく、俺……おれは現場から離れることが出来た。それ以上やつを見ていると本気で殺意が抑えられなくなりそうで、怖くてしようがなかった。
おれが潰したのはおつの右ひざだと思うが、本当はどっちだったか、よく覚えていないんだ。
おれは顔から血を流したまま、雨のなか足早に家に戻った。ふらつく足で玄関に向かう。ブーツの中に水が入り、間の抜けた音がする。出迎えてくれた駒裡さんは目を丸くして驚いたが、おれは大丈夫だといって風呂場に向かった。洗面台で鏡を見ると髪の中にできた傷口は血が固まり始めていた。さっきはなんでもないと思っていた背中が、熱をもって痛みだす。
熱いシャワーを浴び、濡れた軍パンを着替えた。冷蔵庫から一・五リットルいりのスポーツドリンクをだして、ひと息で全部飲み干してしまう。舌がしびれるほど甘かった。自分の部屋に戻り、ミナガワに携帯をいれた。マドカとおれが狙われたのだ。残るはミナガワしか居ない。ミナガワのプリペイド携帯は、呼出音が鳴っても、なんの反応もなかった。
おれの頭のなかでは、単純な算数が繰り返しはあらわれては消えていた。四引く一は三。アキラとエイジとスミオとシゲト引くエイジは、パーティ潰しが三人。いくらミナガワが暴力のプロとはいえ、やつらが三人がかりでいきなり襲ってきても、なんとかなるだろうか。おれはミナガワが泊まっているホテルが、どこにあるのかさえ知らない。
心配でたまらなかったが、身体は正直なものだ。もう少し起きていようと深呼吸を繰り返したが、おれはいつの間にかベッドのうえで眠りこけてしまった。丸くなり頭と腹をかばった恰好のまま。
夢のなかでうんざりするほどしつこく、スマホが鳴っていた。半分眠った心に、ミナガワの名前が浮かんで急激に目が覚める。おれは頭もとに投げ出していたスマホを手に取った。送話口に向かって叫ぶ。
「ミナガワさん、アンタ、大丈夫か!」
おれはなぜか相手がミナガワだと思いこんでいた。部屋の時計は夜十時をまわったところ。返ってきたのは、まるで別な男の太い声だった。
『ミナガワじゃない。こちらは聖玉社の里見だ。肉屋が医者にかつぎ込まれた。アンタの名前をいってるそうだ。これから、足を運ぶ気あるか。あるなら、医者の住所を教えてやる。』
「教えてくれ、傷は重いのか」
『だいぶひどいようだ。医者は打つ手がないといってる』
【兄弟船】をうなるミナガワのだらけた笑顔が浮かんだ。力の魂のようだった荒事師が、簡単につぶされる。暴力モーターの争いに果てはない。ようやく返事をした。
「パーティ潰しは逃げたのか」
里見は愉快そうに笑う。
『ひとりをおいてな。そいつは重いなんてもんじゃねぇ。すくなくとも最後にひとりは仕留めたわけだ。相手が何人だったか知らないが、さすが肉屋だ』
ミナガワがもう死人になったつもりでいる。おれはもぐりの医者の住所を聞いて、スマホを切った。窓を開けて、外を見る。気まぐれな雨はあがって、灰色の雲が空を走っていた。おれはさっきよろよろとのぼった階段を、一段飛ばしで駆け下りて、池袋へと向かった。酔っ払いと呼びこみとビラまきの女たちが、ネオンサインの下で海藻のように揺れている。水たまりの映るいつもの池袋の景色が酷くやわらかで、優雅に見えた。
今度腰を落とすのは、岡野の番だった。
電話ボックスの濡れた床に尻を落とした岡野の顔を、俺は掌底で殴った。やつの長い顎が砕けて左右に揺れ動く。別に中国拳法が俺のstyleというわけではないが、この体勢から一番痛みを与えられるのはこぶしで殴るより、これの方が良いからだ。狭い空間の中でごつごつと骨を打つ音が響いていた。四方八方から降り注ぐ打撃の雨音。殴りながら、俺はだんだん怖くなってきた。腕を振るうたびに、身体の底から新しい感情が湧いてくる。もっと殴れ、壊してやれ。コイツのやったことを考えろ。こんなやつは死んでもいい。殺してしまえ……。殴り合っている最中の本当の敵は、自分の中の殺意という底知れぬ抑えられない恐怖だ。
俺は豪雨のなか、半分気を失った岡野を電話ボックスからひきずりだした。誰かが荒い息をしていると思ったら、俺だった。水たまりにシャリパンの足を伸ばしてやり、レッドウイングの九十インチブーツで、やつの右ひざの裏を思い切り踏み抜いた。肉と骨と腱が壊れる音は、ごうごうと耳を打つ激しい雨脚のなか異様に鮮やかに響く。それだけやって、ようやく、俺……おれは現場から離れることが出来た。それ以上やつを見ていると本気で殺意が抑えられなくなりそうで、怖くてしようがなかった。
おれが潰したのはおつの右ひざだと思うが、本当はどっちだったか、よく覚えていないんだ。
おれは顔から血を流したまま、雨のなか足早に家に戻った。ふらつく足で玄関に向かう。ブーツの中に水が入り、間の抜けた音がする。出迎えてくれた駒裡さんは目を丸くして驚いたが、おれは大丈夫だといって風呂場に向かった。洗面台で鏡を見ると髪の中にできた傷口は血が固まり始めていた。さっきはなんでもないと思っていた背中が、熱をもって痛みだす。
熱いシャワーを浴び、濡れた軍パンを着替えた。冷蔵庫から一・五リットルいりのスポーツドリンクをだして、ひと息で全部飲み干してしまう。舌がしびれるほど甘かった。自分の部屋に戻り、ミナガワに携帯をいれた。マドカとおれが狙われたのだ。残るはミナガワしか居ない。ミナガワのプリペイド携帯は、呼出音が鳴っても、なんの反応もなかった。
おれの頭のなかでは、単純な算数が繰り返しはあらわれては消えていた。四引く一は三。アキラとエイジとスミオとシゲト引くエイジは、パーティ潰しが三人。いくらミナガワが暴力のプロとはいえ、やつらが三人がかりでいきなり襲ってきても、なんとかなるだろうか。おれはミナガワが泊まっているホテルが、どこにあるのかさえ知らない。
心配でたまらなかったが、身体は正直なものだ。もう少し起きていようと深呼吸を繰り返したが、おれはいつの間にかベッドのうえで眠りこけてしまった。丸くなり頭と腹をかばった恰好のまま。
夢のなかでうんざりするほどしつこく、スマホが鳴っていた。半分眠った心に、ミナガワの名前が浮かんで急激に目が覚める。おれは頭もとに投げ出していたスマホを手に取った。送話口に向かって叫ぶ。
「ミナガワさん、アンタ、大丈夫か!」
おれはなぜか相手がミナガワだと思いこんでいた。部屋の時計は夜十時をまわったところ。返ってきたのは、まるで別な男の太い声だった。
『ミナガワじゃない。こちらは聖玉社の里見だ。肉屋が医者にかつぎ込まれた。アンタの名前をいってるそうだ。これから、足を運ぶ気あるか。あるなら、医者の住所を教えてやる。』
「教えてくれ、傷は重いのか」
『だいぶひどいようだ。医者は打つ手がないといってる』
【兄弟船】をうなるミナガワのだらけた笑顔が浮かんだ。力の魂のようだった荒事師が、簡単につぶされる。暴力モーターの争いに果てはない。ようやく返事をした。
「パーティ潰しは逃げたのか」
里見は愉快そうに笑う。
『ひとりをおいてな。そいつは重いなんてもんじゃねぇ。すくなくとも最後にひとりは仕留めたわけだ。相手が何人だったか知らないが、さすが肉屋だ』
ミナガワがもう死人になったつもりでいる。おれはもぐりの医者の住所を聞いて、スマホを切った。窓を開けて、外を見る。気まぐれな雨はあがって、灰色の雲が空を走っていた。おれはさっきよろよろとのぼった階段を、一段飛ばしで駆け下りて、池袋へと向かった。酔っ払いと呼びこみとビラまきの女たちが、ネオンサインの下で海藻のように揺れている。水たまりの映るいつもの池袋の景色が酷くやわらかで、優雅に見えた。