ー特別編ー水の中の目
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その日は夜まで夜まで千早町の町内にあるパーティ潰しの実家四軒をまわった。もちろん誰も家にはいなかった。友人だといって家を訪れると、どの親も迷惑そうな顔をした。そのあたりは住んでいるS・ウルフのメンバーを集めて、成瀬アキラたちの話をした。アキラはその町では有名な悪だった。ケンカ、カツアゲ、シンナー、自販機荒らし、器物損壊、強姦。それだけならどの町内でもよくいる悪ガキだったが、最後に女子高生監禁事件でハクがついた。
誰に聞いても、みなアキラのことを呼び捨てにするやつはいなかった。アツシと同じようにアキラくんと呼ぶ。アレから三年たっても、ガキどものあいだで恐れられている有名人というわけだ。
朝方の雨は昼にいったんあがったが、日が暮れるころまた空模様が怪しくなった。ころころと変わる夏の空。そんなときは間違いなく吹き降りの激しい雨がくる。七時過ぎ、有楽町線の要町駅前で、おれはミナガワと別れた。やつは聖玉社の里見のところに顔を出してくるという。おれは西池袋駅までは歩いて帰るつもりだった。
立教大五号館の裏の人けのない小道を歩いてると、急にあたりが暗くなり灰色の空から溢れるように雨が落ちて来た。家の屋根やビルの角が水煙で白くかすむくらいの大粒の雨だった。傘を持っていなかったおれは、とりあえず近くにある電話ボックスに避難した。雨水は滝のように四方のガラスを滑り落ち、狭いボックス内の空気もびしょぬれで、おれはえら呼吸してるみたいな気分だった。肺の中までじっとり濡れる。雨脚が弱まるのを待つあいだ、腰にぶら下げたJOJOのスマホケースからスマホをだし、崇に電話をした。
取り次ぎがすぐにまわしてくれる。夕立のなかで聞くタカシの声は、日に干したシーツのようにサラッと乾いて、耳に心地よかった。
『悠か。今、どこだ』
「西池袋、立教大学の裏。ついさっきミナガワと別れてきたところだ。そっちの張りこみの調子はどうだ」
タカシの声はいつものように冷静だった。
『コンビニ二十二件にS・ウルフを三交代ではりつけた。この雨だから、なかなか苦労しているようだが、二、三有力な目撃情報があがっている。決着までに、そう時間はかからないだろう。やつらが見つかったときの、つぎの手はずだが……』
通りに背を向けて立つおれのうしろで、電話ボックスの扉が開く音がした。おれはタカシにいった。
「ちょっと待ってくれ、他に電話を使う奴がいるみたいだ」
振り向くと黒いフードをかぶった男が、ぬっと入ってくるところだった。塗れ光るウインドブレイカーとトレーニングパンツ。背はおれと同じくらい。ディップで立てた短い茶色の前髪。馬面。目の色を見て、おれが誰なのかやつがしているのがわかった。同時におれもやつがわかった。岡野と名乗って、身障者パーティに最初にはいった男。パーティ潰しのひとり。本名は間野英二、監禁事件の少年Bだ。やつは狭い電話ボックスの中で、黙って右の拳を振るった。右指を切り落とした手袋の角に金属の光が見えた。ナイロンの布がこすれて、風を切る音がする。
おれの左こめかみのうえ、頭のてっぺん近くに熱い衝撃がきて、反対側に抜けていった。
いきなり殴られると、人がなにをするか分かるだろうか。
見ず知らずのやつにいきなり殴られて、あんたならどうする?もちろん一撃で意識を失うほどのダメージが残らない場合だ。急所をかばう、走って逃げる、助けを呼ぶ、それとも即座に殴り返す。おれの場合はどれも違っていた。それに大抵の人間なら、おれと同じことをするだろう。
答えは簡単。「考える」だ。わかるかな、いきなり殴られたら、誰だって必死になって考える。頭の中のもう一つの回路が目を覚まし、自分の肉体を守るために全速力で動き出す。殴られたら、考える。それが人間だ。つぎにどう殴られないようにするか、どうやったら自分を守り、こっちも殴り返せるか。
おれはブッ叩かれた二秒後の鐘のように、じんじんと衝撃の余韻が残る頭で必死に考えた。背は同じくらいでも、岡野は細い。力ならおれの方が強い。おれだって伊達に毎日、自身の全体重を指先であげおろししている訳じゃない。狭い電話ボックスのなかでは、やつは長い手足をもてあますだろう。左右のひじで頭を両側からくるむようにガードして、おれは上目づかいにやつを見つめ、でたらめな速さで考えていた。
岡野は左のこぶしを引いて、またおれにフックをいれようとした。やつの袖から滴が飛んで、電話ボックスの内側を濡らした。ひじが緑の公衆電話にあたり、鈍い音がする。頭にかすった二発目のフックは、手で押しただけのスピードのないパンチだった。それでもゴツンと頭の骨が鳴る。おれは効いているとみせかけて、腰をしっかり落とした。ひざにバネを溜める。両肩に力を入れ、ひじの角度を固定する。空気を握りつぶすように、こぶしを握りこんだ。
それから、思い切り腹の底から叫び声をあげ、目のまえで黒い黒いファスナーを閉じているやつの腹に、頭ごと突っ込んでいった。
誰に聞いても、みなアキラのことを呼び捨てにするやつはいなかった。アツシと同じようにアキラくんと呼ぶ。アレから三年たっても、ガキどものあいだで恐れられている有名人というわけだ。
朝方の雨は昼にいったんあがったが、日が暮れるころまた空模様が怪しくなった。ころころと変わる夏の空。そんなときは間違いなく吹き降りの激しい雨がくる。七時過ぎ、有楽町線の要町駅前で、おれはミナガワと別れた。やつは聖玉社の里見のところに顔を出してくるという。おれは西池袋駅までは歩いて帰るつもりだった。
立教大五号館の裏の人けのない小道を歩いてると、急にあたりが暗くなり灰色の空から溢れるように雨が落ちて来た。家の屋根やビルの角が水煙で白くかすむくらいの大粒の雨だった。傘を持っていなかったおれは、とりあえず近くにある電話ボックスに避難した。雨水は滝のように四方のガラスを滑り落ち、狭いボックス内の空気もびしょぬれで、おれはえら呼吸してるみたいな気分だった。肺の中までじっとり濡れる。雨脚が弱まるのを待つあいだ、腰にぶら下げたJOJOのスマホケースからスマホをだし、崇に電話をした。
取り次ぎがすぐにまわしてくれる。夕立のなかで聞くタカシの声は、日に干したシーツのようにサラッと乾いて、耳に心地よかった。
『悠か。今、どこだ』
「西池袋、立教大学の裏。ついさっきミナガワと別れてきたところだ。そっちの張りこみの調子はどうだ」
タカシの声はいつものように冷静だった。
『コンビニ二十二件にS・ウルフを三交代ではりつけた。この雨だから、なかなか苦労しているようだが、二、三有力な目撃情報があがっている。決着までに、そう時間はかからないだろう。やつらが見つかったときの、つぎの手はずだが……』
通りに背を向けて立つおれのうしろで、電話ボックスの扉が開く音がした。おれはタカシにいった。
「ちょっと待ってくれ、他に電話を使う奴がいるみたいだ」
振り向くと黒いフードをかぶった男が、ぬっと入ってくるところだった。塗れ光るウインドブレイカーとトレーニングパンツ。背はおれと同じくらい。ディップで立てた短い茶色の前髪。馬面。目の色を見て、おれが誰なのかやつがしているのがわかった。同時におれもやつがわかった。岡野と名乗って、身障者パーティに最初にはいった男。パーティ潰しのひとり。本名は間野英二、監禁事件の少年Bだ。やつは狭い電話ボックスの中で、黙って右の拳を振るった。右指を切り落とした手袋の角に金属の光が見えた。ナイロンの布がこすれて、風を切る音がする。
おれの左こめかみのうえ、頭のてっぺん近くに熱い衝撃がきて、反対側に抜けていった。
いきなり殴られると、人がなにをするか分かるだろうか。
見ず知らずのやつにいきなり殴られて、あんたならどうする?もちろん一撃で意識を失うほどのダメージが残らない場合だ。急所をかばう、走って逃げる、助けを呼ぶ、それとも即座に殴り返す。おれの場合はどれも違っていた。それに大抵の人間なら、おれと同じことをするだろう。
答えは簡単。「考える」だ。わかるかな、いきなり殴られたら、誰だって必死になって考える。頭の中のもう一つの回路が目を覚まし、自分の肉体を守るために全速力で動き出す。殴られたら、考える。それが人間だ。つぎにどう殴られないようにするか、どうやったら自分を守り、こっちも殴り返せるか。
おれはブッ叩かれた二秒後の鐘のように、じんじんと衝撃の余韻が残る頭で必死に考えた。背は同じくらいでも、岡野は細い。力ならおれの方が強い。おれだって伊達に毎日、自身の全体重を指先であげおろししている訳じゃない。狭い電話ボックスのなかでは、やつは長い手足をもてあますだろう。左右のひじで頭を両側からくるむようにガードして、おれは上目づかいにやつを見つめ、でたらめな速さで考えていた。
岡野は左のこぶしを引いて、またおれにフックをいれようとした。やつの袖から滴が飛んで、電話ボックスの内側を濡らした。ひじが緑の公衆電話にあたり、鈍い音がする。頭にかすった二発目のフックは、手で押しただけのスピードのないパンチだった。それでもゴツンと頭の骨が鳴る。おれは効いているとみせかけて、腰をしっかり落とした。ひざにバネを溜める。両肩に力を入れ、ひじの角度を固定する。空気を握りつぶすように、こぶしを握りこんだ。
それから、思い切り腹の底から叫び声をあげ、目のまえで黒い黒いファスナーを閉じているやつの腹に、頭ごと突っ込んでいった。