ー特別編ー水の中の目
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「でもな、俺が店を辞めたのは、指のせいじゃない。大晦日の夜だった。無事に一月分のボーナスを受け取り、正月休みに実家に戻る支度をしていると、店のオヤジが酒を喰らって帰ってきた。大掃除がなっちゃいないと難癖をつけて、いつものように俺を殴り始めた。ギャンブルも女もやらない、近所では評判の硬いオヤジだが、それがやつの気晴らしだったのさ。俺はただ頭を抱えて耐えていたよ。その夜、家に帰り、雑煮を食ってひと眠りして、紅白歌合戦でも見ようと起き出すと、目のまえの右半分がぼうっとかすんで見えなくなってる。クック、クック、クックー、桜田敦子の振りが暗くて見えねえ。あわてて鏡の前に行くと、白目は真っ赤で、黒い目玉だけ血の中に浮かんでるみたいだった。右目を潰された。俺が親にもらったこの身体が、傷を付けられた。かっとしたよ。おれはその足で、隣町の肉屋に走った。頭んなかでは同じ言葉がグルグル回ってたよ」
マドカもおれも息をのんでいた。ミナガワの目は今、とろりと濁っている。じっとしていられないように、貧乏ゆすりを始めた。届いたビールをひと息で半分開けてしまうと、溶岩がふつふつと煮えたぎるように漏らした。
「野郎が俺の目を潰した。野郎が俺の目を潰したってな」
おれは昼間のアツシの話しを思い出していた。悪いことや暴力がカッコイイっていう、アレだ。馬鹿らしい。だが、おれは聞かずにはいられなかった。
「それで、アンタはどうしたんだ」
「一杯かげんの肉屋をこたつから叩き起こし、店の前に連れていった。女房は泣き叫んだが、相手にしなかった。俺はやつを米袋のようににかつぎあげると、フックに吊るしてやった。フックはな、肉や骨に当てるようじゃダメなんだ。皮と脂だけさしときゃいい。オヤジはエビのように跳ねたよ。ジャージはすぐに血だらけだ。俺はやつに俺がやられたのと同じことをしてやった。鳥ももを焼く串でやつのまぶたの上からえぐりだし、肉切り包丁で左の小指を落としてやった。肉をさばくのと変わらない。俺はそれから家に帰り、紅白歌合戦の続きを見た。おまわりが俺を補導したときには、正月になっていた。俺はまだ十七になっちゃいなかったよ」
乾杯でもするようにマドカがいった。
「いい気味。そいつはどうなったの」
ミナガワは小さく首を振る。
「なにも変わりはしねえ。殺しとけばよかった。やつは片目になったが、やつはまた同じように別の若いやつを店に入れては、殴りつけているらしい。今もな」
日本のどこかの海のそばの静かな町で起きた、よくある話。ミナガワは少年院から戻ると、どこかの組に入った。そこで自分の適性と才能に目覚めたらしい。出入りがいくつか続き、いつの間にかあちこちの組織から、危ないことがあるたびに声をかけられるようになった。組織の縦の繋がりも、いつしか切れてしまった。あっちの世界でも、ちょっと毛色の違うやつははねられていく。日本的組織なのだ。そして腕貸しを開業した。機嫌良く酔っ払ったミナガワはいう。
「よくな、手相で生命線っていうだろ。俺には街を歩く人間の胴体の真ん中に、一本の筋が見えるのさ。どこでもいい、その線を一本ぷつりと切ってやる。するとそいつは死んじまう。引っ越しの荷ほどきより簡単にな」
気が重くなった。それは昼間ミナガワがヒモを気絶させたときから気づいていたことだ。ぬるくなったビールで唇だけ湿らせ、おれはいった。
「わかっていたよ。あんたは、なにもおれを守るためにいっしょにいるんじゃない。おれはただの猟犬なんだろ、パーティ潰しを見つけ出すための。おれが見つけ、あんたが仕留める」
ミナガワはそんなことどうでもいいという調子で、楽しそうに言う。
「そういうことになるのかな。ところで、このあとカラオケ行かないか」
ミナガワは昔のムード歌謡が得意だという。せつないマドロスもの。センチメンタルな肉屋。マドカも乗り気になって、おれたちは三人は近くのカラオケボックスにはいった。店を出たのは午前三時。タクシーをつかまえ、そこで別れた。
おれはでたらめに疲れていた。早く一般市民に戻りたかった。
それには組織やミナガワに冷たい固まりにされる前に、パーティ潰しを発見し、より安全な警察にでも引き渡さなければならない。被害届の出されていない、幻の凶悪事件の犯人として。だけど、そんなことがいったい可能なんだろうか。
おれは自分の部屋の窓から、ひさびさに街の夜明けを見た。夏の朝のカラスと生ごみの王国。さわやかな光景だった。眠たがったが、頭が冴えて眠れなかった。音楽を聞こうと思ったが、なにを聴いたらいいのか分からなかった。おれにしたら珍しい話。
マドカもおれも息をのんでいた。ミナガワの目は今、とろりと濁っている。じっとしていられないように、貧乏ゆすりを始めた。届いたビールをひと息で半分開けてしまうと、溶岩がふつふつと煮えたぎるように漏らした。
「野郎が俺の目を潰した。野郎が俺の目を潰したってな」
おれは昼間のアツシの話しを思い出していた。悪いことや暴力がカッコイイっていう、アレだ。馬鹿らしい。だが、おれは聞かずにはいられなかった。
「それで、アンタはどうしたんだ」
「一杯かげんの肉屋をこたつから叩き起こし、店の前に連れていった。女房は泣き叫んだが、相手にしなかった。俺はやつを米袋のようににかつぎあげると、フックに吊るしてやった。フックはな、肉や骨に当てるようじゃダメなんだ。皮と脂だけさしときゃいい。オヤジはエビのように跳ねたよ。ジャージはすぐに血だらけだ。俺はやつに俺がやられたのと同じことをしてやった。鳥ももを焼く串でやつのまぶたの上からえぐりだし、肉切り包丁で左の小指を落としてやった。肉をさばくのと変わらない。俺はそれから家に帰り、紅白歌合戦の続きを見た。おまわりが俺を補導したときには、正月になっていた。俺はまだ十七になっちゃいなかったよ」
乾杯でもするようにマドカがいった。
「いい気味。そいつはどうなったの」
ミナガワは小さく首を振る。
「なにも変わりはしねえ。殺しとけばよかった。やつは片目になったが、やつはまた同じように別の若いやつを店に入れては、殴りつけているらしい。今もな」
日本のどこかの海のそばの静かな町で起きた、よくある話。ミナガワは少年院から戻ると、どこかの組に入った。そこで自分の適性と才能に目覚めたらしい。出入りがいくつか続き、いつの間にかあちこちの組織から、危ないことがあるたびに声をかけられるようになった。組織の縦の繋がりも、いつしか切れてしまった。あっちの世界でも、ちょっと毛色の違うやつははねられていく。日本的組織なのだ。そして腕貸しを開業した。機嫌良く酔っ払ったミナガワはいう。
「よくな、手相で生命線っていうだろ。俺には街を歩く人間の胴体の真ん中に、一本の筋が見えるのさ。どこでもいい、その線を一本ぷつりと切ってやる。するとそいつは死んじまう。引っ越しの荷ほどきより簡単にな」
気が重くなった。それは昼間ミナガワがヒモを気絶させたときから気づいていたことだ。ぬるくなったビールで唇だけ湿らせ、おれはいった。
「わかっていたよ。あんたは、なにもおれを守るためにいっしょにいるんじゃない。おれはただの猟犬なんだろ、パーティ潰しを見つけ出すための。おれが見つけ、あんたが仕留める」
ミナガワはそんなことどうでもいいという調子で、楽しそうに言う。
「そういうことになるのかな。ところで、このあとカラオケ行かないか」
ミナガワは昔のムード歌謡が得意だという。せつないマドロスもの。センチメンタルな肉屋。マドカも乗り気になって、おれたちは三人は近くのカラオケボックスにはいった。店を出たのは午前三時。タクシーをつかまえ、そこで別れた。
おれはでたらめに疲れていた。早く一般市民に戻りたかった。
それには組織やミナガワに冷たい固まりにされる前に、パーティ潰しを発見し、より安全な警察にでも引き渡さなければならない。被害届の出されていない、幻の凶悪事件の犯人として。だけど、そんなことがいったい可能なんだろうか。
おれは自分の部屋の窓から、ひさびさに街の夜明けを見た。夏の朝のカラスと生ごみの王国。さわやかな光景だった。眠たがったが、頭が冴えて眠れなかった。音楽を聞こうと思ったが、なにを聴いたらいいのか分からなかった。おれにしたら珍しい話。