ー特別編ー水の中の目
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
しばらくすると喫茶店の紺の色つきかガラスの扉に若い女のシルエットが映った。レジの横を通って先ほどのマドカと三十代初めの女が入ってくる。もうひとりの女は身体にピタリと張りつくストレッチ素材のワンピース姿だった。マイクロミニでヒョウ柄。おまけにノーブラ。色っぽい。
女たちはおれ達のボックス席に滑り込んできた。マドカは緊張した表情で、もうひとりはにこにこと笑いかけてくる。マドカはどう見てもプロの女には見えなかった。
「アンタはマドカさんだよね。そっちの人はなんて名?」
その女ではなくマドカが答えた。
「ルカ。ルカ姉さんは、耳が聞こえないの。聞きたいことがあるなら私が手話で通訳するわ。」
ルカという女はうなずいて笑った。引き締まった乳房に、中距離選手のような手足をしている。障害のことなど知らされなければ、まったくわからないだろう。おれはいった。
「店のほうはどう?」
ルカはおれの唇を読んだみたいだ。手入れのいき届いた両手が、細やかな傷だらけのテーブルの上で舞った。強い風の中に飛ぶ蝶のように、明け方に開く花のように、古釘を打つ錆びたハンマーのように。マドカが訳してくれる。
「稼ぎも良いし、前の店より、こっちの方が、お客さんみんな優しいって」
「へえ、そうなんだ。ほかにはどんな障害を持ってる人がいるの」
マドカが皮肉そうに笑う。
「それ、うちに来るお客さんが必ず最初に聞く質問なんだよね。目が見えない人も、足が不自由な人もいるよ」
考えてみれば当たり前の話しだ。障害があっても恋をする、結婚もする、不倫もする。障害者だって、娼婦になる自由くらいあるに決まってる。
「マドカさんも、不自由なところがあるのかな」
「残念でした。私は大学の福祉科にいってるの。地方から出てきて、ひとり暮らしをしながら、学校に行くのは大変なんだ。だから、時間があるときはここで働いてる。ときどき店の子相手にボランティアをやりながらね」
マドカはいたずらっ子のように唇の端をあげた。そのあいだも手話の通訳は止まらない。
「それに、そんなに嫌いな仕事でもないし。エッチは結構得意だったから」
それで一日二十人の男と寝るわけか。仕事は何でも大変だ。
「強盗があった日のことだけど、何か覚えてることは無いかな」
マドカは天井を見上げた。
「何度も聞かれたからなぁ。私は組の人にお話ししたことくらいしか、覚えてない」
それならレポート用紙にまとまっていた。おれは三つの組からそれぞれを受け取っている。ルカがミナガワの組んだ腕を見つめていた。ミナガワのたくましい腕には、テーブルに負けないくらい古い傷跡がたくさん残っていた。ルカはマドカの肩を軽く叩いて、手で話し始めた。
「ルカさん、思い出したことがあるって。最初に入ってきた覆面をしていなかった男の、左腕のひじの内側に……ちょっと待って」
そういうと女の薄い手のひらが四つ、めまぐるしい速さで情報を交換した。触手と羽を触れ合わせる昆虫のようだ。きらきらと光を放つ不思議な粉があたりに降りそうだった。ようやくマドカが言う。
「根性焼きっていうの、あのタバコの火を押しあてたような丸い跡が残っていたって。それもひとつじゃなく、五角形の形で五つ。なにかのマークの刺青みたいに」
おれはアクション映画で見たアメリカ国防省のペンタゴンを思い出した。そういうくだらないサインを身体に残すとなると、犯人はますますおれの守備範囲のガキどもの匂いがしてくる。おれは思い付きでいってみた。
「マドカさんて、今日何時に上がるの」
マドカは不思議な顔をする。ルカは肘でマドカを小突き、にやにやと笑うと、手で冗談をいった。
「今、ルカさん、なんていったんだ」
マドカは少しだけ頬を赤くした。
「この人アンタをナンパしてるよ。それほど悪い男でもないじゃんだって」
おれはルカに向かって手と手をクロスさせ、バツをつくった。これなら通訳の必要はないだろう。
「残念でした。つぎの聞きこみに行く大人のパーティは金髪専門店なんだ。女の子はみんなコロンビア人なんだけど、大学生なら手話だけじゃなく、英語の通訳も出来ないかなと思って。」
ルカはまたひらひらと手のひらを泳がせる。マドカが訳してくれた。
「おもしろそうじゃん。いってきなよだって。ルカ姉さんって横浜出身なんだよね。だから「じゃん」のところは、自分で作ってサインがあるの。」
マドカはそういうと握ったシャープペンから芯を出すように、親指の関節を素早く二度折った。おれはルカの視線をとらえて、目をいっぱいに開き、口からよだれを垂らすジェスチャーをした。親指を二度曲げる。
(ルカ姉さん、すげーカッコいいじゃん!)
そう伝えたかったつもりなのだが、分かってもらえただろうか。マドカは笑顔のまま、おれの気持ちを通訳はしてはくれなかった。
女たちはおれ達のボックス席に滑り込んできた。マドカは緊張した表情で、もうひとりはにこにこと笑いかけてくる。マドカはどう見てもプロの女には見えなかった。
「アンタはマドカさんだよね。そっちの人はなんて名?」
その女ではなくマドカが答えた。
「ルカ。ルカ姉さんは、耳が聞こえないの。聞きたいことがあるなら私が手話で通訳するわ。」
ルカという女はうなずいて笑った。引き締まった乳房に、中距離選手のような手足をしている。障害のことなど知らされなければ、まったくわからないだろう。おれはいった。
「店のほうはどう?」
ルカはおれの唇を読んだみたいだ。手入れのいき届いた両手が、細やかな傷だらけのテーブルの上で舞った。強い風の中に飛ぶ蝶のように、明け方に開く花のように、古釘を打つ錆びたハンマーのように。マドカが訳してくれる。
「稼ぎも良いし、前の店より、こっちの方が、お客さんみんな優しいって」
「へえ、そうなんだ。ほかにはどんな障害を持ってる人がいるの」
マドカが皮肉そうに笑う。
「それ、うちに来るお客さんが必ず最初に聞く質問なんだよね。目が見えない人も、足が不自由な人もいるよ」
考えてみれば当たり前の話しだ。障害があっても恋をする、結婚もする、不倫もする。障害者だって、娼婦になる自由くらいあるに決まってる。
「マドカさんも、不自由なところがあるのかな」
「残念でした。私は大学の福祉科にいってるの。地方から出てきて、ひとり暮らしをしながら、学校に行くのは大変なんだ。だから、時間があるときはここで働いてる。ときどき店の子相手にボランティアをやりながらね」
マドカはいたずらっ子のように唇の端をあげた。そのあいだも手話の通訳は止まらない。
「それに、そんなに嫌いな仕事でもないし。エッチは結構得意だったから」
それで一日二十人の男と寝るわけか。仕事は何でも大変だ。
「強盗があった日のことだけど、何か覚えてることは無いかな」
マドカは天井を見上げた。
「何度も聞かれたからなぁ。私は組の人にお話ししたことくらいしか、覚えてない」
それならレポート用紙にまとまっていた。おれは三つの組からそれぞれを受け取っている。ルカがミナガワの組んだ腕を見つめていた。ミナガワのたくましい腕には、テーブルに負けないくらい古い傷跡がたくさん残っていた。ルカはマドカの肩を軽く叩いて、手で話し始めた。
「ルカさん、思い出したことがあるって。最初に入ってきた覆面をしていなかった男の、左腕のひじの内側に……ちょっと待って」
そういうと女の薄い手のひらが四つ、めまぐるしい速さで情報を交換した。触手と羽を触れ合わせる昆虫のようだ。きらきらと光を放つ不思議な粉があたりに降りそうだった。ようやくマドカが言う。
「根性焼きっていうの、あのタバコの火を押しあてたような丸い跡が残っていたって。それもひとつじゃなく、五角形の形で五つ。なにかのマークの刺青みたいに」
おれはアクション映画で見たアメリカ国防省のペンタゴンを思い出した。そういうくだらないサインを身体に残すとなると、犯人はますますおれの守備範囲のガキどもの匂いがしてくる。おれは思い付きでいってみた。
「マドカさんて、今日何時に上がるの」
マドカは不思議な顔をする。ルカは肘でマドカを小突き、にやにやと笑うと、手で冗談をいった。
「今、ルカさん、なんていったんだ」
マドカは少しだけ頬を赤くした。
「この人アンタをナンパしてるよ。それほど悪い男でもないじゃんだって」
おれはルカに向かって手と手をクロスさせ、バツをつくった。これなら通訳の必要はないだろう。
「残念でした。つぎの聞きこみに行く大人のパーティは金髪専門店なんだ。女の子はみんなコロンビア人なんだけど、大学生なら手話だけじゃなく、英語の通訳も出来ないかなと思って。」
ルカはまたひらひらと手のひらを泳がせる。マドカが訳してくれた。
「おもしろそうじゃん。いってきなよだって。ルカ姉さんって横浜出身なんだよね。だから「じゃん」のところは、自分で作ってサインがあるの。」
マドカはそういうと握ったシャープペンから芯を出すように、親指の関節を素早く二度折った。おれはルカの視線をとらえて、目をいっぱいに開き、口からよだれを垂らすジェスチャーをした。親指を二度曲げる。
(ルカ姉さん、すげーカッコいいじゃん!)
そう伝えたかったつもりなのだが、分かってもらえただろうか。マドカは笑顔のまま、おれの気持ちを通訳はしてはくれなかった。