ー特別編ー水の中の目
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数十年くらい新古マンションのもともと白かったタイルは、すすけてサンドベージュになっていた。一階にはまるで流行らない純喫茶が入っている。エレベーターはしっかりとボタンを押しこむ旧式の操作盤。なかに敷かれたカーペットには地層のように染みが重なっていた。たくさんの男たちの欲望をのせすぎて、だいぶがたがきているようだ。遅いうえによく揺れるエレベーターだった。
ミナガワとおれは六階でおりると、Pタイル張りの内廊下を進んだ。人影はなく妙に静かだ。603号室にはなんの表札も出ていない。おれはインターフォンのチャイムを鳴らした。
「はい」
中年商売人の声がした。
「一ノ瀬組のほうから連絡が入ってると思うけど、話しを聞かせにもらいに来た。」
話しの途中でドアチェーンの外れる音がした。
「どうぞ」
白いシャツに黒いサマーウールのパンツ姿の中年男がドアを開けてくれた。オールバックの小狡そうな顔だち。玄関に入るとすぐに板張りの六畳ほどのダイニングキッチンだった。奥の部屋との境には安物のカーテンがそがっていて、客も女の姿も見えない。ビオレUかなにか、ボディソープの匂いがした。男は食器棚の引き出しからノートを一冊取り出すと、カーテンに頭を突っ込み声をかけた。
「マドカちゃん、ちょっと出てくるから、電話番頼むわ」
「はーい」
マドカと呼ばれた女がでてきた。若い。古着のTシャツにカットオフジーンズ。毛先が外側に跳ねたレイヤードのショートカット。つきでた胸でボーリングのピンがはじけている。大人のパーティより、Pダッシュパルコにでもいるほうが似合いそうな女。マドカは軽くおれ達に会釈する。おれはうなずいて玄関を出た。そのまま、三人で一階の喫茶店に向かう。おれはエレベーターの中で気になって仕方なかった。
マドカはいったいどこに障害があるのだろうか。
アイスコーヒーを三つ挟んで、店の男と向かい合った。おれたちは互いに自己紹介はしなかった。さっそく七月十二日の襲撃の話しを聞いてみる。男は疲れた表情で、コクヨのノートを開いた。パラパラと十日前のページをめくる。そこには男たちの名前と入退室時間が一覧表になっていた。見開きで一ページ半以上ある鉛筆書きの欲望ノート。
「あの日はまぁ、ぼちぼちのいりの日で、やつらのきた夜の十時過ぎまでに、四十人ちょっとの客だな。あがりは九十というところだ。全部やられた。」
おれはノートの名前に目を吸いつけられていた。男は首を横に振る。
「これはみんな客が勝手に使ってる偽名だ。役には立たない」
「だが、最後の男も客のふりをしてきたんだろう。なんて名乗ったんだ」
男は表組の最後を見た。そこには入室時間はかかれていない。
「岡野」
「顔は」
男はアイスコーヒーを一口飲んでいう。
「馬面だった。髪は茶色で、中途半端な伸ばしかけって感じ。背が高くて、百八十以上あったんじゃないか。やつは夕刊紙を見たといって、池袋南口の公衆電話からかけて来た。まあ、自分ではそういっていた。こっちはいつも通り、このマンションまでの道順を教えた。五分後にやつがきた。覗き穴から見たが、マッポには見えない。それでドアの鍵を開けると、いきなり奴らが入ってきた。」
岡野と名乗る男に続いて突入してきたのは、目だし帽をかぶった三人組だったという。得物は両刃のファイティングナイフ、特殊警棒、それに改造スタンガンだったそうだ。やつらは土足のまま部屋に上がり、いきなり男に電撃を喰らわせた。静かにするように客と女たちに言うと、腰から崩れ落ちた男に蹴りを入れ、手提げ金庫を持っていったそうだ。客の財布には手をつけていない。岡野が入って出てくるまでにかかった時間は二分ほど。
男はすぐに一ノ瀬組に電話を入れたが、下っ端が来るまでに二十分以上かかった。もちろん四人組の姿はかげもかたちもない。客に謝ってその日はすぐに店をたたんだ。もっとも営業時間は終電までなので、残り時間は一時間くらいだったのだが。男はぼやいた。
「こういっちゃなんだが、高いみかじめ料を払っても、ちっとも役に立たなかった。池袋もどうなってんだかなぁ」
「岡野の歳はどのくらいだった」
男はしばらくおれを見た。
「そうだな、あんたと同じくらいじゃないか」
そのまま、おれたちは喫茶店に残った。男には、その日に出勤していた女の子がいたら、したによこしてくれといった。おれの隣で岩のように座るミナガワにいった。
「今の話し、どう思う?」
ミナガワは、薄い頭を振る。
「わからん。二分だけじゃ、組の連中には手も足も出せない。警察だって無理だな。まあ、考えるのはアンタだ。俺は半月ばかり雇われているだけで、犯人がみつからなかろうが関係ない。」
なぜかミナガワは楽しそうだった。意外に話し好きのやつなのかもしれない。ミナガワはテーブルの下をさぐると、週刊誌を一冊とりパラパラとめくり始めた。何週間か前の週刊誌は、古くも新しくもないだけ妙にさびしかった。
ミナガワとおれは六階でおりると、Pタイル張りの内廊下を進んだ。人影はなく妙に静かだ。603号室にはなんの表札も出ていない。おれはインターフォンのチャイムを鳴らした。
「はい」
中年商売人の声がした。
「一ノ瀬組のほうから連絡が入ってると思うけど、話しを聞かせにもらいに来た。」
話しの途中でドアチェーンの外れる音がした。
「どうぞ」
白いシャツに黒いサマーウールのパンツ姿の中年男がドアを開けてくれた。オールバックの小狡そうな顔だち。玄関に入るとすぐに板張りの六畳ほどのダイニングキッチンだった。奥の部屋との境には安物のカーテンがそがっていて、客も女の姿も見えない。ビオレUかなにか、ボディソープの匂いがした。男は食器棚の引き出しからノートを一冊取り出すと、カーテンに頭を突っ込み声をかけた。
「マドカちゃん、ちょっと出てくるから、電話番頼むわ」
「はーい」
マドカと呼ばれた女がでてきた。若い。古着のTシャツにカットオフジーンズ。毛先が外側に跳ねたレイヤードのショートカット。つきでた胸でボーリングのピンがはじけている。大人のパーティより、Pダッシュパルコにでもいるほうが似合いそうな女。マドカは軽くおれ達に会釈する。おれはうなずいて玄関を出た。そのまま、三人で一階の喫茶店に向かう。おれはエレベーターの中で気になって仕方なかった。
マドカはいったいどこに障害があるのだろうか。
アイスコーヒーを三つ挟んで、店の男と向かい合った。おれたちは互いに自己紹介はしなかった。さっそく七月十二日の襲撃の話しを聞いてみる。男は疲れた表情で、コクヨのノートを開いた。パラパラと十日前のページをめくる。そこには男たちの名前と入退室時間が一覧表になっていた。見開きで一ページ半以上ある鉛筆書きの欲望ノート。
「あの日はまぁ、ぼちぼちのいりの日で、やつらのきた夜の十時過ぎまでに、四十人ちょっとの客だな。あがりは九十というところだ。全部やられた。」
おれはノートの名前に目を吸いつけられていた。男は首を横に振る。
「これはみんな客が勝手に使ってる偽名だ。役には立たない」
「だが、最後の男も客のふりをしてきたんだろう。なんて名乗ったんだ」
男は表組の最後を見た。そこには入室時間はかかれていない。
「岡野」
「顔は」
男はアイスコーヒーを一口飲んでいう。
「馬面だった。髪は茶色で、中途半端な伸ばしかけって感じ。背が高くて、百八十以上あったんじゃないか。やつは夕刊紙を見たといって、池袋南口の公衆電話からかけて来た。まあ、自分ではそういっていた。こっちはいつも通り、このマンションまでの道順を教えた。五分後にやつがきた。覗き穴から見たが、マッポには見えない。それでドアの鍵を開けると、いきなり奴らが入ってきた。」
岡野と名乗る男に続いて突入してきたのは、目だし帽をかぶった三人組だったという。得物は両刃のファイティングナイフ、特殊警棒、それに改造スタンガンだったそうだ。やつらは土足のまま部屋に上がり、いきなり男に電撃を喰らわせた。静かにするように客と女たちに言うと、腰から崩れ落ちた男に蹴りを入れ、手提げ金庫を持っていったそうだ。客の財布には手をつけていない。岡野が入って出てくるまでにかかった時間は二分ほど。
男はすぐに一ノ瀬組に電話を入れたが、下っ端が来るまでに二十分以上かかった。もちろん四人組の姿はかげもかたちもない。客に謝ってその日はすぐに店をたたんだ。もっとも営業時間は終電までなので、残り時間は一時間くらいだったのだが。男はぼやいた。
「こういっちゃなんだが、高いみかじめ料を払っても、ちっとも役に立たなかった。池袋もどうなってんだかなぁ」
「岡野の歳はどのくらいだった」
男はしばらくおれを見た。
「そうだな、あんたと同じくらいじゃないか」
そのまま、おれたちは喫茶店に残った。男には、その日に出勤していた女の子がいたら、したによこしてくれといった。おれの隣で岩のように座るミナガワにいった。
「今の話し、どう思う?」
ミナガワは、薄い頭を振る。
「わからん。二分だけじゃ、組の連中には手も足も出せない。警察だって無理だな。まあ、考えるのはアンタだ。俺は半月ばかり雇われているだけで、犯人がみつからなかろうが関係ない。」
なぜかミナガワは楽しそうだった。意外に話し好きのやつなのかもしれない。ミナガワはテーブルの下をさぐると、週刊誌を一冊とりパラパラとめくり始めた。何週間か前の週刊誌は、古くも新しくもないだけ妙にさびしかった。