ー特別編ーカウントアップ
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その日はにぎやかな街のうえに、灰色の板のような曇り空が広がっていた。天井の低い部屋に押し込まれたみたいだ。窮屈なのに妙に快適。おれは出先からの帰り道、ビニール傘の柄をだぶだぶの軍パンの尻ポケットにひっかけ、頭が空にぶつからないように世を丸めて歩いていた。
東武デパート口から西口公園にはいると、みぞれ混じりの雨が周囲のビル街を急に白い幕で包んだ。石畳にみぞれが跳ね散って、ティンパニの皮のように地面が震えてみえる。園内にいる人間は、みな屋根のある場所に吸い寄せられていった。
やつはひとりやけになったようなスピードで、ベンチに座ったまま計数機を叩いている。雨粒が落ちるまえに、すべてをかぞえきろうとでもしているみたいだ。おれはやつのまえに立った。傘をだす。
「これ、やるよ」
やつは話しかけられたことに心底びっくりしているようだった。笑顔が凍りついてしまう。黙ったまま、おれを見上げていた。カチカチカチ、それでも計数機だけはとまらない。
「使ってくれ。おれのうち、すぐちかくなんだ。かぜひくぞ」
なにを思ったのか、やつはあわててダウンジャケットの内ポケットを探った。ひものついた赤いナイロンの財布を引っ張りだす。ばりばりと音を立ててマジックテープを開くと、小銭いれから硬貨をひとつおれに差し出した。ちいさな手のなかの五百円玉は、オリンピックの銀メダルみたいだ。おれは首を横に振った。
「いらない 金がほしいわけじゃないんだ。おまえ、ずーっとこの公園にいるだろ。まえから気になってたんだ」
やつは怪訝な表情で傘を受け取った。それからていねいにいう。
「どうもありがとうございます。お名前はなんというんですか」
親に仕込まれた科白のようだった。おれは自分の名をいった。タカナシユウ。やつの手のなかで計数機が六つ数を刻んだ。
「多田広樹(ただひろき)」
今度は親指は動かなかった。落ち着いたようだ。またあの超然とした笑いが戻っている。ヒロキはもう話す気はないようだった。おれを無視して、猛然と計数機を打ち始める。雨が激しさを増して、おれもうちに帰った。ポリエチレンのチリメンジャケットは放りだしておけばいいが、濡れた軍パンはべたりとももに張りつき、はき替えなければならなかった。
変なガキ。
翌日は快晴。前日の雨でスモッグはぬぐい去られ、磨いたばかりの鏡のような空が池袋の街にかぶさっている。おれが暇潰しの散歩タイムに円形広場のベンチに座っていると、ヒロキが遠くのベンチからおれにむかって歩いてきた。直径五十メートルはある広場をやつはうつむいたまま小刻みに足を動かしやってくる。命がけの石蹴り遊びでもしているようだった。敷石のつなぎ目を絶対に踏まないように一歩進んでは、一歩横に動く。ときどきつぎに進む方向を考え込んで、足はまったくとまってしまう。
東武デパート口から西口公園にはいると、みぞれ混じりの雨が周囲のビル街を急に白い幕で包んだ。石畳にみぞれが跳ね散って、ティンパニの皮のように地面が震えてみえる。園内にいる人間は、みな屋根のある場所に吸い寄せられていった。
やつはひとりやけになったようなスピードで、ベンチに座ったまま計数機を叩いている。雨粒が落ちるまえに、すべてをかぞえきろうとでもしているみたいだ。おれはやつのまえに立った。傘をだす。
「これ、やるよ」
やつは話しかけられたことに心底びっくりしているようだった。笑顔が凍りついてしまう。黙ったまま、おれを見上げていた。カチカチカチ、それでも計数機だけはとまらない。
「使ってくれ。おれのうち、すぐちかくなんだ。かぜひくぞ」
なにを思ったのか、やつはあわててダウンジャケットの内ポケットを探った。ひものついた赤いナイロンの財布を引っ張りだす。ばりばりと音を立ててマジックテープを開くと、小銭いれから硬貨をひとつおれに差し出した。ちいさな手のなかの五百円玉は、オリンピックの銀メダルみたいだ。おれは首を横に振った。
「いらない 金がほしいわけじゃないんだ。おまえ、ずーっとこの公園にいるだろ。まえから気になってたんだ」
やつは怪訝な表情で傘を受け取った。それからていねいにいう。
「どうもありがとうございます。お名前はなんというんですか」
親に仕込まれた科白のようだった。おれは自分の名をいった。タカナシユウ。やつの手のなかで計数機が六つ数を刻んだ。
「多田広樹(ただひろき)」
今度は親指は動かなかった。落ち着いたようだ。またあの超然とした笑いが戻っている。ヒロキはもう話す気はないようだった。おれを無視して、猛然と計数機を打ち始める。雨が激しさを増して、おれもうちに帰った。ポリエチレンのチリメンジャケットは放りだしておけばいいが、濡れた軍パンはべたりとももに張りつき、はき替えなければならなかった。
変なガキ。
翌日は快晴。前日の雨でスモッグはぬぐい去られ、磨いたばかりの鏡のような空が池袋の街にかぶさっている。おれが暇潰しの散歩タイムに円形広場のベンチに座っていると、ヒロキが遠くのベンチからおれにむかって歩いてきた。直径五十メートルはある広場をやつはうつむいたまま小刻みに足を動かしやってくる。命がけの石蹴り遊びでもしているようだった。敷石のつなぎ目を絶対に踏まないように一歩進んでは、一歩横に動く。ときどきつぎに進む方向を考え込んで、足はまったくとまってしまう。