ー特別編ーブラックボックスの蜘蛛
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おれが自室のCDライブラリーから選んだのは、レオス・ヤナーチェクの「ないしょの手紙」だ。なんだか大ベストセラーの冒頭に「シンフォニエッタ」のファンファーレが鳴ったらしく、いきなり有名になってしまったが、ヤナーチェクはチェコ東部モラヴィア出身の地味な作曲家だ。
でも地味だからといって、作曲家をなめないほうがいい。御年六十三の大作家になったレオスは運命の人妻カミラと出逢う(ははは、なんだかイギリス王室みたい)。それからふたりは夫の目を盗んで十年間も手紙のやり取りをするんだ。そいつが最晩年の弦楽四重奏曲第二番「ないしょの手紙」に結実したわけ。こんな裏設定があるんだから、アンタだって絶対にこのカルテットをききたくなるよな。
切なくて、狂おしい、でもひどく静かないい音楽なんだ。
おれはCDプレイヤーに「ないしょの手紙」をかけて、さくさくとメールを入力した。第一楽章のあいだにはほぼ完成。さっそぐ会議中の松本に送る。
うーん、仕事がいつもこんなふうにスムーズなら、文句ない。
完成原稿をやつが親切な拾い主に送ったのは、その日の真夜中。返事はすぐだった。場所も時間も了解。金額は何度かメールのやり取りを重ねて、百万に下がった。おれは親指メールの数百文字でそれだけの金を稼いだことになる。この調子なら、原稿料だけで家を建てるのも夢じゃない。
すべてのセッティングが整った午前一時半。おれの携帯が鳴った。
『うまくやったようだな』
凍る直前の冬の水たまりのようなタカシの声だ。
「最初にちゃんと話してくれないと、こっちが迷惑するだろ。」
北風のような音がして、タカシが笑っているのだとわかった。
『いいゆ、おまえには色メガネではなく、あの松本という男を判断してもらいたかった。それより、家のまえにクルマをつけてる。ちょっと降りてこい。明日のミーティングだ。』
おれは壁の時計を見た。外にでるにはうんざりするような時間。だが、この街の氷の王さまのいうことには逆らえなかった。
「わかりました。ボロをまとって、すぐ馳せ参じますだべさ。」
『待ってる』
すぐ電話は切れた。友人からの冗談の余韻をたのしむゆとりもないのだ。かわいそうなキング。
メルセデスの巨大なRVのなかは、初夏の海辺の様なあたたかさ。おれはすぐに一枚一万五千円のdowndockのパーカを脱いだ。タカシは今年流行のモダンなアイヴィースタイル。ぴちぴちのスクールボーイジャケットに、なぜかくるぶしが見えるほどの短いキャメルのパンツをはいている。こいつがほんもののトム・ブラウンなら、上下で七十万円はするはずだった。おれの久々の着手金でも、上着の半分も買えない。
世の中は不公平だ。おれはそんなことは気にしないけどね。なめらかにRVが動き出した。うちのまえに駐車したまま、延々と打ち合わせをする訳にはいかない。
「場所はどこに決まった。」
タカシは挨拶などしない。
「日之出町公園」
そこはサンシャインシティとライズシティのあいだにはさまれた谷間の公園。
夜はほとんど無人になるが、誰かがベンチに座っていても怪しまれることは無かった。タカシがお抱え運転手の本郷千春にいった。
この男は夜中でもサングラスだ。
「じゃあ、そこにやってくれ。」
でも地味だからといって、作曲家をなめないほうがいい。御年六十三の大作家になったレオスは運命の人妻カミラと出逢う(ははは、なんだかイギリス王室みたい)。それからふたりは夫の目を盗んで十年間も手紙のやり取りをするんだ。そいつが最晩年の弦楽四重奏曲第二番「ないしょの手紙」に結実したわけ。こんな裏設定があるんだから、アンタだって絶対にこのカルテットをききたくなるよな。
切なくて、狂おしい、でもひどく静かないい音楽なんだ。
おれはCDプレイヤーに「ないしょの手紙」をかけて、さくさくとメールを入力した。第一楽章のあいだにはほぼ完成。さっそぐ会議中の松本に送る。
うーん、仕事がいつもこんなふうにスムーズなら、文句ない。
完成原稿をやつが親切な拾い主に送ったのは、その日の真夜中。返事はすぐだった。場所も時間も了解。金額は何度かメールのやり取りを重ねて、百万に下がった。おれは親指メールの数百文字でそれだけの金を稼いだことになる。この調子なら、原稿料だけで家を建てるのも夢じゃない。
すべてのセッティングが整った午前一時半。おれの携帯が鳴った。
『うまくやったようだな』
凍る直前の冬の水たまりのようなタカシの声だ。
「最初にちゃんと話してくれないと、こっちが迷惑するだろ。」
北風のような音がして、タカシが笑っているのだとわかった。
『いいゆ、おまえには色メガネではなく、あの松本という男を判断してもらいたかった。それより、家のまえにクルマをつけてる。ちょっと降りてこい。明日のミーティングだ。』
おれは壁の時計を見た。外にでるにはうんざりするような時間。だが、この街の氷の王さまのいうことには逆らえなかった。
「わかりました。ボロをまとって、すぐ馳せ参じますだべさ。」
『待ってる』
すぐ電話は切れた。友人からの冗談の余韻をたのしむゆとりもないのだ。かわいそうなキング。
メルセデスの巨大なRVのなかは、初夏の海辺の様なあたたかさ。おれはすぐに一枚一万五千円のdowndockのパーカを脱いだ。タカシは今年流行のモダンなアイヴィースタイル。ぴちぴちのスクールボーイジャケットに、なぜかくるぶしが見えるほどの短いキャメルのパンツをはいている。こいつがほんもののトム・ブラウンなら、上下で七十万円はするはずだった。おれの久々の着手金でも、上着の半分も買えない。
世の中は不公平だ。おれはそんなことは気にしないけどね。なめらかにRVが動き出した。うちのまえに駐車したまま、延々と打ち合わせをする訳にはいかない。
「場所はどこに決まった。」
タカシは挨拶などしない。
「日之出町公園」
そこはサンシャインシティとライズシティのあいだにはさまれた谷間の公園。
夜はほとんど無人になるが、誰かがベンチに座っていても怪しまれることは無かった。タカシがお抱え運転手の本郷千春にいった。
この男は夜中でもサングラスだ。
「じゃあ、そこにやってくれ。」