ー特別編ーWORLD・THE・LinkⅡ
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俺は週末までのあいだ、付け焼刃に心理カウンセリングの勉強を始めた。
今回のネタでは、いつものように誰がどんな動きをするか、単純なロジックで予測しても無駄なような気がしたのだ。
予測不能の心の動きを学んでおきたい。急に逆流したり、はるか昔に退行したり、混ざりけのない悲しみがでたらめな喜びに急変したり、強さが弱さに瞬時に入れ替わる人の心の不思議。
そいつに少しでも慣れておく必要があると感じたのだ。
われながらいい勘だったが、いつだって予想というのは、それを一段うわまわる鮮やかさで裏切られるのだ。リアルな世界を前にすると、お勉強のいかに空しいことか。
それでも俺は一日十冊ずつ心理学入門書を片づけておいた。
本棚とガラスケースに囲まれた俺の部屋で、そのあいだずっと流れていたのが、アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』だ。
実話を基にしたストーリーは悲惨。
貧しい兵士のヴォツェックが軍隊でいじめにあい、しだいに精神の平衝を失っていく。
しまいには妻のマリーが軍楽隊の男とできていると思い込んで、マリーをナイフで刺殺して、自分も半分自殺のようなかたちで汚い池に溺れ死ぬって話。
ラストシーンは幼い子供が木馬で遊んでいるわきを、お前のおふくろの死体を見に行くといって悪ガキがかけていっておしまい。
まったく救いがない。
だが、ヴォツェックの心が壊れていく過程を、西洋クラッシックの音楽の歴史を最終的に破壊することになる十二音技法で描いた無調のオペラは、素材と技法がどんぴしゃではまって剃刀みたいな傑作になっている。
なあ、ヘンデルの『水上の音楽』から始まった俺の音楽の旅もずいぶん遠くまで来ただろう。
付き合いの長いアンタも、いい音楽をたくさんきいてくれ。
心が豊かになるなんて、俺には偉そうで言えない。でも、話のネタくらいにはなるし、誰にも言えないほど悲しいことがあった時、ひとりきりのアンタのそばで音楽はきっと一緒にいてくれる。
芸術はどれほど高貴だろうが、アンタの無聊を慰めるためにある。
そうではないとえらそうにいうやつは、ただ蹴り飛ばせばいいのだ。
斥候日の前日、コーサクから電話があったのは午後五時過ぎだった。
俺は庭に水をまいて少しでも風をうもうと汗だくになっていた、冷えたビールでもやりたなと考えていると電話が鳴る。
『やあ、悠さん。コーサクだけど今西口公園に居るんだけど会えないかな』
やたら明るい声だった。
俺は家の奥にいる真桜を見た。
このところ家事を押し付けることが多かったからご機嫌がななめめなのだ。
「いいよ。でも、あまり時間がないから、三十分な」
電話を切った。
今回のネタでは、いつものように誰がどんな動きをするか、単純なロジックで予測しても無駄なような気がしたのだ。
予測不能の心の動きを学んでおきたい。急に逆流したり、はるか昔に退行したり、混ざりけのない悲しみがでたらめな喜びに急変したり、強さが弱さに瞬時に入れ替わる人の心の不思議。
そいつに少しでも慣れておく必要があると感じたのだ。
われながらいい勘だったが、いつだって予想というのは、それを一段うわまわる鮮やかさで裏切られるのだ。リアルな世界を前にすると、お勉強のいかに空しいことか。
それでも俺は一日十冊ずつ心理学入門書を片づけておいた。
本棚とガラスケースに囲まれた俺の部屋で、そのあいだずっと流れていたのが、アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』だ。
実話を基にしたストーリーは悲惨。
貧しい兵士のヴォツェックが軍隊でいじめにあい、しだいに精神の平衝を失っていく。
しまいには妻のマリーが軍楽隊の男とできていると思い込んで、マリーをナイフで刺殺して、自分も半分自殺のようなかたちで汚い池に溺れ死ぬって話。
ラストシーンは幼い子供が木馬で遊んでいるわきを、お前のおふくろの死体を見に行くといって悪ガキがかけていっておしまい。
まったく救いがない。
だが、ヴォツェックの心が壊れていく過程を、西洋クラッシックの音楽の歴史を最終的に破壊することになる十二音技法で描いた無調のオペラは、素材と技法がどんぴしゃではまって剃刀みたいな傑作になっている。
なあ、ヘンデルの『水上の音楽』から始まった俺の音楽の旅もずいぶん遠くまで来ただろう。
付き合いの長いアンタも、いい音楽をたくさんきいてくれ。
心が豊かになるなんて、俺には偉そうで言えない。でも、話のネタくらいにはなるし、誰にも言えないほど悲しいことがあった時、ひとりきりのアンタのそばで音楽はきっと一緒にいてくれる。
芸術はどれほど高貴だろうが、アンタの無聊を慰めるためにある。
そうではないとえらそうにいうやつは、ただ蹴り飛ばせばいいのだ。
斥候日の前日、コーサクから電話があったのは午後五時過ぎだった。
俺は庭に水をまいて少しでも風をうもうと汗だくになっていた、冷えたビールでもやりたなと考えていると電話が鳴る。
『やあ、悠さん。コーサクだけど今西口公園に居るんだけど会えないかな』
やたら明るい声だった。
俺は家の奥にいる真桜を見た。
このところ家事を押し付けることが多かったからご機嫌がななめめなのだ。
「いいよ。でも、あまり時間がないから、三十分な」
電話を切った。