ー特別編ーワルツ・フォー・ベビー
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
南条はうわ目づかいで俺を見てにやりと笑った。
「用意がいいじゃないか」
俺はオヤジのとなりに腰をおろした。
顔を見ずにぼそりという。
「結局なにもできなかったからな。こんな顔になるまでやられたのに、なぐられ損もいいとこだ。これなら本気で反撃すればよかったよ」
それがおれのだした結論だった。オヤジさんは俺をじっと見つめていた。
「うちのトシについちゃあ、おれもいくつか悪い噂はきいてるんだ。上野署には中学のころからもらいさげにいってるしな。でも、いいだろう。俺は悠さん、あんたを信用する」
ジャズタクシーの運転手はそういって、なにか照れたように笑い、俺から目をそらしてロウソクの灯を見つめた。
おれはその視線のとろけるような丸さに言葉を失った。
あと十五分いっしょに世間話をして、今夜は帰ろう。それで布団をかぶって明日にはすべてを忘れるのだ。
そのとき、あの声がした。すべての真実を告げる女神の呼び声。
おれはあんなやわらかな声には二度と耐えられそうにない。
「すみません」
その声は低く静かにそういった。
おれが慌てて振り向くと、白いダウンコートの女とそのうしろにサラリーマン風の優男がたっていた。
すこし離れて晴美もいた。
おれはカップルの身長を目測した。
百七十と百七十五。
白いコートの女は臨月の腹を抱えるように深々と頭を下げた。
「松岡未佐子ともうします。この五年間いつも誰かに気づかれるんじゃないかと、ずっとびくびくしていました。心休まる日は一日もありませんでした。ごめんなさい、あの夜トシヒロさんを押して階段から落としたのはわたしなんです。」
おれはじっと南条の横顔を見つめていた。
困惑は驚きに変わり、おおきな腹に視線が落ちるとそれは憐れみの表情になった。
南条はいった。
「わけがわからねえ。どういうことか、最初から説明してくれ。」
今度前に進み出たのは晴美だった。
どこか初詣でにでもいったのだろうか。
型遅れのスーツに無難なだけの黒いコートを羽織っていた。
おれは首を横に振って合図を送ったが、晴美ほほえんで必死のおれを無視した。
「あの夜、わたしはトシと別れ話をしていたんです。お父さんには恥ずかしくていえなかったけど、トシは家のなかではひどかった。わたしはいつも殴られて、一年中身体からあざが消えることはなかった。それでも怖くてトシと別れられずにいるうちに、ほんとうに好きな人ができました。」
南条は半分白い坊主頭をがっくりと敷石に垂らしていた。
地面に投げ落とすようにいった。
「そいつは浩志さんかい」
晴美は正面を見つめたまま涙を落とした。
黒いコートをすべった涙がテラスに落ちていく。
「用意がいいじゃないか」
俺はオヤジのとなりに腰をおろした。
顔を見ずにぼそりという。
「結局なにもできなかったからな。こんな顔になるまでやられたのに、なぐられ損もいいとこだ。これなら本気で反撃すればよかったよ」
それがおれのだした結論だった。オヤジさんは俺をじっと見つめていた。
「うちのトシについちゃあ、おれもいくつか悪い噂はきいてるんだ。上野署には中学のころからもらいさげにいってるしな。でも、いいだろう。俺は悠さん、あんたを信用する」
ジャズタクシーの運転手はそういって、なにか照れたように笑い、俺から目をそらしてロウソクの灯を見つめた。
おれはその視線のとろけるような丸さに言葉を失った。
あと十五分いっしょに世間話をして、今夜は帰ろう。それで布団をかぶって明日にはすべてを忘れるのだ。
そのとき、あの声がした。すべての真実を告げる女神の呼び声。
おれはあんなやわらかな声には二度と耐えられそうにない。
「すみません」
その声は低く静かにそういった。
おれが慌てて振り向くと、白いダウンコートの女とそのうしろにサラリーマン風の優男がたっていた。
すこし離れて晴美もいた。
おれはカップルの身長を目測した。
百七十と百七十五。
白いコートの女は臨月の腹を抱えるように深々と頭を下げた。
「松岡未佐子ともうします。この五年間いつも誰かに気づかれるんじゃないかと、ずっとびくびくしていました。心休まる日は一日もありませんでした。ごめんなさい、あの夜トシヒロさんを押して階段から落としたのはわたしなんです。」
おれはじっと南条の横顔を見つめていた。
困惑は驚きに変わり、おおきな腹に視線が落ちるとそれは憐れみの表情になった。
南条はいった。
「わけがわからねえ。どういうことか、最初から説明してくれ。」
今度前に進み出たのは晴美だった。
どこか初詣でにでもいったのだろうか。
型遅れのスーツに無難なだけの黒いコートを羽織っていた。
おれは首を横に振って合図を送ったが、晴美ほほえんで必死のおれを無視した。
「あの夜、わたしはトシと別れ話をしていたんです。お父さんには恥ずかしくていえなかったけど、トシは家のなかではひどかった。わたしはいつも殴られて、一年中身体からあざが消えることはなかった。それでも怖くてトシと別れられずにいるうちに、ほんとうに好きな人ができました。」
南条は半分白い坊主頭をがっくりと敷石に垂らしていた。
地面に投げ落とすようにいった。
「そいつは浩志さんかい」
晴美は正面を見つめたまま涙を落とした。
黒いコートをすべった涙がテラスに落ちていく。