第零夜『変わり始めた僕の日常』

俺はふり返った。だが、誰も居ない。見えないだけでなく待ったく気配も痕跡も無い。見えるのはいつもの玄関へ続く廊下と側の台所。俺は微動だにせず目の玉だけを動かして部屋中を見たがやはりなにも居ない。やっぱりこれは夢で寝ぼけているのだろう。緊張が抜けるが、すぐに再硬直した。

「夢では無いわ」

女の声はまたも背中かに突き刺さる。狸にでも化かされている気持だった。

「私は狸ではなくてよ?狐は使役しているけどね。うふふ」

「あの……人の心ンなか読まんといてくれまへん?」

「あら、ごめんなさい。ちょっと、からかい過ぎたわね」

姿の見えぬ女性は悪びれた様子のない声で謝った。もしかしたら「謝り」ではなく「小馬鹿」にされたという方が正しいかもしれないが。

「小馬鹿になんてしてませんわよ」

「せやから、心ン中読まんといってくださいて……あと、できたら俺はどないなっとんか教えてくれへんかな」

振り返らずに背後の彼女に聞いていた。なぜだろうか、彼女なら知っているそんな気がしたのだ。少し間が空いて返答が返ってくる。

「死後の世界について考えたことは有るかしら?死んだら人間は何処へ行くのか、死んだあと地獄や天国があるのだろうかとか」

俺はただ、彼女の声に集中した。

「死とは何なのか、命とは何なのか……そして生きる意味、死の意味。死に方も色々あるわよね。寿命、事故、病気、殺人…………そして、自殺。」

心臓がドクンっと鳴った。

「自殺にも色々あるけれど……決して救われる訳じゃないのよ。死んだあと、天国へも地獄へも行けずに輪廻転生の理から外れて延々と死に続けるの。地獄の拷問と変わり無いと思うけど違うのよ。地獄は償いを受けれる可能性がある……けれど、自殺は償う事ができないの罪で無く、罰でもない、自分で自分を殺してしまうのだからね…償い様がないのよ。」

「なにが……いいたいんや。」

クスクス、クスクス、クスクス、クスクス、クスクスと何度も笑い声が聞こえる。こちらの不安を煽るような声。

「悪いんやけど、俺はそういう宗教じみたンとか良ー分からんのよ。とりあえず……俺、死ぬん?」

「死にたいの?」

悪口や暴言で「死ね」っと言われても心底ビビることは無い。それでも今吐き出された言葉は本気だと分かった。生き死にに対して顔色一つ変えず生きてきた気迫。もしくは、そういうことに慣れている。あたかも、日常的に死と関わっている気配をひしひしと突き付けて来ている。今この瞬間、はっきりと理解した俺の生命与奪の権利を持っているのは彼女(?)で、俺は生贄羊なのだと。俺はいった。

「うーん……死ぬんは嫌かもやけど。これが俺の寿命やいうんやったら。仕方ないかもしれんなぁ。」

「アナタ……」

『ふあぁ~……。』

何かを言いかけた姿見えぬ彼女の声を間の抜けた声が遮った。ミツバだ。

『福太郎さぁん、ごはんですかぁ…?』

今の今まで寝ていたらしい。まだ寝ぼけてるのか声がまどろみかかっている。

「あら……起きちゃったのね。」

「アンタも動物の声聞こえるん?」

「まぁね……。今夜はあの猫ちゃんに免じてこのくらいにしておきましょう。それと、ひとつだけ教えておいてあげる。」

「……なんですの?」

「今のアナタはとても不安定になってるの。」

「不安定?情緒が?」

「神経は図太いのね……。誰からも必要とされず、このまま忘れ去られるとアナタは幻想に帰す……そうなると十中八九死ぬわ。」

既に俺の脳では処理能力を超えた話し。とりあえず、直感的に思った事をいってみた。

「どないしたら助かりますのん?」

「……ずいぶんとフラットに聞くわねぇ。それは自分で考えなさい。また、明日来るわ。」

できれば来ないで欲しい。

「ふふ、嫌。」

「せやから、心ン中を読まんといてくださいな。死神さん」

「私は死神じゃないわよ。八雲紫覚えといてね。福太郎さん。クスクスクスクス」

クスクスクスクスクスクスクスクスクスクス……最後の最後まで姿の見えないヤクモユカリさんは笑い声を残しつつ行ってしまったようだ。ふり返ってみると窓の外はいつも見馴れたネオンの光る東京の夜だった……。

「夢……やったんかな」

『あれ~、福さんお夕飯前にポテトチップス食べたんですかぁ?しかも何だかワイルドな破り方です。』

カーテンを閉めてふり返ると、ルーミアが喰いちらかしていったポテチ袋の残骸が落ちていた。夢では無いらしい。
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