第零夜『変わり始めた僕の日常』

よっぽど大切にされてきた人形なのか汚れや傷は無いし、年季が入った箱に入っていたわりにカビやほこり臭さも無い。けれど、人形は生き物じゃない俺はたぶん「生き物」としか話せないのだ。それを知ってるはずなのに人形と話してくれないかなんてからかわれているのだろうか……横目に悠を見たが至って真剣な顔だった。

「どうかな、会話できそうか?」

悪ふざけとかじゃなく本気の様だ。俺は人形を木箱から取り出して、目の高さまであげてみた。

「……俺の声きこえとる?」

『……』

人形は何もしゃべらない。目を閉じて自分のひたいに人形の頭を当てた。もう一度問いかける。

「……俺の声は聞こえとるかな?俺は生き物なら声が聞こえるはずなんや、何かいうてみてくれへんかな。」

やはり返信は無い。だが……なんだろうか、話せないわけじゃなく。これは……

「やっぱり無理か?」

俺は目を開け、人形を木箱の中に戻す。

「んー……いや、この人形確かに生きとるね。生きとるって表現が正しいんかは分からんけど……喋らんのや無くて、喋れへんみたいな感じや。」

「喋れない?拒絶してるってことか?」

「いや、なんやろな……寝むっとる感じ。えっらい深い眠りについとる雰囲気。ごめんな、説明へたくそで」

悠は首を左右に振っていった。

「いや、十分十分。生きてるって分かっただけでも収穫ありだ。あ、この人形な座敷童子が宿ってるんだよ。京都にいる親せきの蔵で見つかったんだけどちょっと調べてたんだ。」

いきなり座敷童子という単語が飛び出て来た。いや、まぁ、昨日何か空飛ぶ幼女に姿の見えない女妖に嚇かされたりしたから驚きもそこまで新鮮じゃなかった。

「へぇ……座敷童子なんや。ってことは持ってたら幸せになれるんかいな?」

「どうだろ……ウチには掃除婦としてひとり居るけど……っか、驚かないのか?」

しかも、彼の家には既に座敷童子が居るそうです。

「きっと、昨日までやったら驚いとったと思う。」

「昨日何があったんだ?」

俺は昨日起こったことを説明した。悠は最後までちゃんと聞いてくれた。彼は意外にも聞き上手だった。まぁ、黙って聞いてただけで、呆れてたのかもしれないけど……。俺が喋り終わるとしばし沈黙が続いた。俺もそれ以上なにも言わない。彼もきっと今いったことを脳内処理しているのだろう。こんな突拍子もない話を理解しろというのが難しいのだ。視線を彼から公園の中央にある噴水に移す。あの噴水は夜間にはライトアップされていて、何回かそれも描いたこともある。公園内には人なんかをかたちどったオブジェが複数配置されてるし、芸術劇場前の公園に相応しくて明るく開放的なアート感覚たっぷりの公園。もともとここは豊島師範学校で、その跡地に造られたそうだ。

「つまり……話しを総合し掻い摘むと今夜謎の妖怪に殺されるかもしれないっでいいんだな?それで、おれに助けて欲しいと。」

急に話しかけられて驚いた俺はワンテンポ遅れていった。

「……あぁ、まぁ、殺すとまではいっとらんかったけど、なんやこのままやったら幻想に帰すとかは言われたんよ。それで、まぁ、悠にこんな相談するのもおかしいんやけどどーしたらええかな~って……。」

「……うっし、じゃあ、話してみるか。その妖怪と」

「は?」

「意思疎通できる妖怪なら怖くない。これ、おれの自論。ま、こっちも一応対抗策は用意しておくが……。そのかわり依頼料としてこの人形預かってくれないか。」

悠は桐箱を俺の膝のうえに乗せた。

「別にかまへんけど……。なんで俺?」

「なんとなく、福ちゃんならこの子解放できるんじゃないかーっと思ってな。ところで、福ちゃんの家ってどこだ?」

俺に人形をどうこう出来るとも思えないが、どうやら彼は本気で妖怪と話しをつけてくれるらしい。俺は一瞬迷ったが頼むことにした。住所を教えると彼はパイプベンチから勢いよく立ちあがって池袋の街中に溶け込んでいった。彼の背中が見えなくなるのを確認して俺は絵の着色を開始した。夜までには完成するだろう。俺がこの世で描ける最後の物かもしれない絵……。
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