ー茶屋ー小鳥遊堂はじめました【5】

ー新宿:茶屋小鳥遊堂ー

想「ふむ……」

吉音「ふむふむー」

二人はときどき小声を漏らしつつ、数枚の書簡に目を走らせている。今日、逢岡さんがうちの店に来ているのは、目安箱の中身を確認するためだ。おれも茶屋の仕事を一休みして、吉音、逢岡さんと一緒に投書を検分しているところだった。

悠「……」

吉音「あ……想ちゃん。これなんだけど、ちょっと見て」

吉音はそういって、逢岡さんに自分が見ていた一通の投書を差し出した。

想「はい、では拝見いたします」

逢岡さんは投書を受け取ると、すばやく目を通す。

悠「……なんて書いてあるんですか?」

逢岡さんの手元を横から覗きこむのも憚られて、おれはそう問いかけた。

想「北町で飲食店を営んでいる方からの投書で、『不良たちに店を占拠されて困っている』という内容です」

答えてくれた逢岡さんの言葉は、どこか歯切れが悪い。その理由はたぶん、こういうことだ。

悠「……それって、目安箱に投票するより奉行所に訴えた方が早いですよね?」

想「ええ、そう思うのですけど……」

逢岡さんは小首を傾げながら、その投書を見せてきた意図を、視線で吉音に問いかける。

吉音「えっとね、そのお手紙の中に、お店の名前だと思うのが書いてあるんだけど……なんて読むの?」

想「え?ええと、ケンキュウ、ミキュウ、ミク……あっ、たぶん、ミルク亭です」

吉音「あっ、ミルク亭かぁ!ありがと、すっきりしたよ」

悠「おい……まさか、漢字が読めなくて教えてもらおうとしただけなのか……?」

吉音「え、駄目だった?」

悠「……いや、別にいいよ」

想「それはともかく、なぜ奉行所に訴え出なかったのかが気になりますね」

逢岡さんは口元に手を添えて、思案の顔をする。気にかかっているのは、おれも同じだ。

悠「同じ飲食店の店主として他人事じゃないし、おれらで出来ることがあるなら助けてあげたいな」

吉音「じゃあ、早速いってみよーっ」

想「そうですね。このまま捨て置くわけにはいきませんし、まずは会って話を聴きましょう」



悠「……で、どうして中村がいっしょなんだ?」

往水「そりゃあ、お奉行さまは忙しいからですよ」

悠「じゃなくて、どうして、そのかわりに寄越されたのが、中村なのかと聞いとるんだ」

往水「そりゃあ、アタシが一番暇そうにしてたからでしょ」

悠「頼むから、自慢げに言わんでくれ……」

吉音「でも、いまこうやってちゃんとお仕事してるんだから、いくみんは偉いよ」

往水「新さんはさすがだ!どこかのいまいち流行らない茶屋の店主に、その爪の垢を煎じてのませたい!」

悠「おれは、お前に逢岡さんの爪の垢を呑ませたいよ」

往水「小鳥遊さん……まさか、いつもアタシに出してるお茶に、入れたりしてませんよね?」

悠「入れるって何を?」

往水「ですから、お奉行さまの爪を」

悠「誰が入れるかい!というか、入れてたんだったら、今頃、もう少し真面目な同心が出来上がってますよ」

往水「なるほど。最近、我ながら真面目になったと思ったら、そういう理由でしたか」

悠「……さっき、自分が一番暇していると言ってたのは、どの口でしたっけ?」

往水「おや、もの覚えが良いことで」

吉音「はぁ~っ、二人ともすごいねっ」

無駄口を叩きあいながら歩いていると、吉音が唐突に感嘆のため息を漏らした。

悠「なんだ、いきなりどうした?」

吉音「二人とも話すのすっごく早いから、あたし、さっぱり話せなかったよ」

吉音は眉間に皺を寄せて、大げさに唸っている。

悠「いや……そんなに感心することじゃないと思うぞ」

中村さんも大いに頷きながら、相槌を打つ。

往水「そうですよ、新さん。新さんが早口でしゃべろうとしたって、どうせ舌を噛んで泣きを見るに決まってるんですから」

吉音「えーっ、そんなことないよ!早口くらい出来るもん!」

往水「へいへい、そうですか」

吉音「あっ、信じてない!じゃいいよ、いうから聞いて!バスが――」

往水「おっと、着きましたよ」

吉音「ぶはっ!いちゃーいっ、舌かんらー!」

不意に立ち止まった中村につられて立ち止まったはずみで、ご期待通りに舌を噛む吉音。
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