ー茶屋ー小鳥遊堂はじめました【3】

ー近所の長屋ー

かなう「そんじゃ、今夜一晩、ようすを見て、それで何事もなければもう大丈夫だ。」

長屋での診察を終えて外へと出ながら、かなうさんは鬼島さんを見上げて、ニカっと笑った。かなうさんは急患を看るために、長屋まで駆けつけてくれたのだ。

桃子「おう、ありがとな。きてもらって助かったよ。」

かなう「気にするなって。けど、今度からは、わざわざ走ってこなくても、ケータイで呼んでくれればいいからな」

桃子「あ、あはは……ああそうだ。悠も急に留守番を頼んじまって悪かったな」

悠「いえいえ、ご近所さんですから」

おれは冗談めかして肩をすくめてみせた。
鬼島さんが養成所までひとっ走りしている間、病人の世話をしていたのだ。今日は他の住人が出払って居たらしくて、茶屋に飛び込んできた鬼島さんに頼まれたというわけである。

かなう「それにしても……この長屋、隙間風がもう少し何とかならないか?これじゃ、病人によくないぞ。」

桃子「あたいだって何とかしたいのは山々だよ。だけど、先立つものが無いんだから仕方ねぇや」

かなう「べつに、鬼島たちに金を出せとはいってないさ。お上に申し立てれば、リフォームしてくれるんじゃないのか?」

かなうさんのもっともな提案に、鬼島さんはおおげさな顰(しか)めっ面をする。

桃子「……それはないだろうなぁ。この前も酉居が来て、こんなオンボロ長屋は取り壊すべきだとか、さんざん罵っていきやがったばっかりだぜ。リフォームどころか、あたいらを追い出して取り壊すつもりなんじゃないかって気が気でならないよ」

鬼島さんの口ぶりは、冗談半分、でも本気も半分と……いう感じだ。

かなう「そうかい、そうかい。そりゃ大変だな」

それに対して、かなうさんの返答はさっぱり心配そうじゃない。

鬼島「おーい、かなうよぉ。酉居の野郎を叩き切ってやる、とかいってくれないのかよ」

かなう「鬼島が私より弱い奴だったら、そうしてたかもな。けど、違うだろ?」

桃子「そりゃまあ、腕っ節には自信はあるけど、こういうのは腕っ節で解決できるもんでもないだろ。ムカつくけど、口先じゃ酉居に敵う気がしねぇし」

かなう「鬼島は、口より手が先に出るタイプだもんな」

桃子「そうだよ!わかってるんならいわせるなよっ!」

かなう「はは。そりゃ悪かったな……けど、鬼島が本気でどうにかしようと思ったら、酉居なんて楽勝だろ」

桃子「え……あ……」

かなうさんの意味深な笑いに、鬼島さんはキョトンとしてから、困ったような顔をして……なぜかおれを見た。

悠「あー?なんだ?」

桃子「いや、な、なんでもないんだ。な、かなう」

かなう「ああ、なんでもない。鬼島がその気なら、酉居なんか片手で捻り潰せるって話をしてただけだ。」

悠「……それ、比喩ですよね?」

桃子「比喩じゃなかったら、なんだってんだよ!」

悠「あー……いやいや、あはは……。」

鬼島さんなら本当に片手で捻り潰そうだと思った、なんて言えない……いや、いってるも同然だけど。

桃子「とにかく、酉居の野郎はムカつくけれど、だからって力尽くでどうこうしようとは思っちゃいないんだ。上から力で押さえつけたんじゃ、酉居のやってることと変わらなくなっちまうからな」

かなう「……それもそうか。鬼島らしい答えで安心したよ。それじゃ、私はそろそろ養成所に戻るよ。鬼島も風邪には気をつけろよ。」

かなうさんはひょいっと肩をすくめて笑うと、そのまま大通りのほうへと歩きだす。

桃子「大丈夫だよ。あたいは風邪引かないって、みんないってくれてるし。」

かなう「ああ、そうかい。そりゃ安心だ。じゃあな」

かなうさんは突っ込みを入れることなく、笑いながら早足でいってしまった。きっと、養成所をあんまり長くあけておきたくないのだろう。

悠「かなうさん、忙しい人なんだな」

桃子「あたいたち貧乏人が四六時中、世話になってるからな。頭の上がらない相手のひとりだよ。」

鬼島さんはそういって気恥ずかしげに笑うのだった。それにしても、さっきの話しはどういう意味だったんだ?鬼島さんがその気なら、酉居を片手で捻り潰せるっていうのは……。
首をひねって唸ってみても、それらしい答えはさっぱり思いつかなかった。
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