ー茶屋ー小鳥遊堂はじめました弐幕【8】

ー大江戸学園:林内ペンションー

茂みから現れたのは巨大なクマだった。

熊の小さな目は凶暴に光り、よだれが垂れた口から鋭い牙が覗いている。艶のある剛毛に覆われた身体は二メートル近くありそうだった。

山奥には熊がいるかもと皿井からは聞いていたが、まさか自分が本当に遭遇するとは思わなかった。和斗は恐怖で膝が震えるのを感じた。

和斗「ど、どうしましょう……」

葉月「逃げなきゃ」

葉月が怯えた声でいった。

和斗「で、でも熊に遭ったら、逃げちゃダメだって聞きますけど。」

葉月「死んだふりも、駄目よね」

和斗「たぶん……」

熊は威嚇するようにふたたび咆哮すると、こっちに向かってきた。

恐怖に心臓が縮み上がり、失禁しそうになった。葉月は隣で尻もちをついた、顔が真っ白にこわばっている。

熊は巨大な鞠のように躍動して、ものすごい勢いで走りだした。このままでは殺されてしまう。逃げたらかえって危険でも、逃げずにはいられない。

逃げましょうと叫んで立ちあがったとき、足をくじいて倒れこんだ。その弾みで葉月の上に覆いかぶさった。

もう逃げる余裕は無いから、葉月を守るしかない。彼女をかばいながら熊に目をやると、牙を剥いた赤い口がもう然と迫ってくる。

もう駄目だと思わず目をつぶった瞬間、ゴドンッと鈍い音が響いた。

熊にやられたのかと思ったが、身体には何の衝撃もない。恐るおそるまぶたを開けると、目の前に悠が立っていた。

悠は背中を向けて、右手を宙にあげている。バスケットボール大の岩が握られていた。岩の一部にはぬるりとした赤い液体が付着している。

あたりを見回すと、口元から血を滴らせながら熊が茂みに逃げ込むのが見えた。

和斗は葉月から離れて体を起こした。足首がずきんと痛む。

葉月は地面に座りこんだまま目をしばたたいた。

葉月「私たち……助かったの?」

放心したように呟いた。

ボストンバックを下げた皿井と城がこっちに歩いてくる。大木の枝には、いつの間にかロープが無い。

わけがわからない状況にぽかんとしていると、悠は岩を投げ捨てていった。

悠「なんで、ここにいる。」

和斗「あ、あの、悠さん達が何処へ行くのかと思って……」

悠「それで後をつけてきたのか。」

和斗「すみません。でも皿井さんはいったい……」

悠「偶然見つけた。もう少しで首をくくるところだった。」

和斗「えっ。じゃあ悠さん達が、それを止めたんですか。」

まあな、呟く悠。
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