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 パルデア地方のジムチャレンジの壁として、『五つ目のジンクス』がある。
 
 宝探し期間を利用して多くの学生が、ポケモンバトルの最高峰であるリーグに挑むために、勝者の証であるジムバッジを八つ集めることに挑戦する。
 例えば、末恐ろしいむしパティシエの我城であるセルクルジム。
 例えば、あのトチ狂った草使いの芸術家とキマワリたちが待ち構えるボウルジム。
 例えば、トリッキーなトップストリーマーが牽引するハッコウジム。
 例えば、水の都として砂漠のオアシスとなっているカラフジム。
 その誰もが、ポケモンリーグ本部から選ばれた優秀かつ最優のトレーナーたち。たとえ手持ちに制限をかけられようとも、手を抜けと指示されていようとも、その才能をテラスタルの輝きと共に見せつけてくる強敵たち。
 
 そして、五つ目の関門であるチャンプルジム。
 あの覇気のない、しかしバトルの切れはジムリーダーの誰よりも勝る、どこか闘志の欠けたあのサラリーマンが試験官を務める。
 巡る順番には細かな規定がないものの、順を追っていけば、多くのトレーナーは五つ目のジムとしてチャンプルタウンを訪れることになる。
 そう。順調にここまで勝ち上がってきた、バトルの才能を持つ、有望な若者たちは、ボールを構えて意気揚々と、その門戸を叩くのだ。
 
 そして、敗北する。
 まことしやかに囁かれる『五つ目のジンクス』は、つまりそういうことなのだ。
 しかも、ジムバッジを六つ集められるのは、挑戦者の一割にも満たない。
 実際、ジムチャレンジを四つまで巡ったアカデミー生は、その四つを思い出として、その歩みを止めてしまうのだ。
 例えば、高い壁に阻まれて。
 例えば、才能の差に愕然として。
 例えば、労力に対して得られる成果や満足が釣り合わないことに気づいて。
 例えば、単なる思い出づくりで。
 誰もが諦めてしまう。
 ほとんどのチャレンジャーたちは、五つ目の関門にぶち当たったところで、道半ばで、離脱していく。
 
 当然だ。
 チャルメルは、得心がゆく話だと思った。
 
 それはそうだろう。
 人よりも劣るこのあたしが、血反吐を吐いて、なんとか辛くも手に入れたバッジだ。常人には苦痛でしかない。なんのために自ら辛い思いをして、挑み続けなければならないのだ。まあ、バトル狂いでもなければ、自ら全てを犠牲にしてまで挑み続けようとは思わないはずだ。
 それでいい。元来、ポケモンバトルとは。
 元来、勝負事とは勝ちにこだわった時点で、もはや敗北しているのと同義なのだ。
 幸せな生き方だと思う。
 弱者はそれでいいのだ。
 弱きものは弱いままで、思い出と共に卒業していけばいいのだ。それが多分宝物なんだし。
 
 自分がそういう星の元に生まれなかっただけで。
 
 一年半前、チャルメルは、『五つ目のジンクス』を打ち破った。ジムリーダーのアオキとの再戦。ムクホークとドロンチの一騎打ち。
 
「そう、シンプルなのが一番強い、、、、んですよ。突飛さや奇抜さが評価されますが、人間もポケモンもシンプルでいいんです」
「強者の理論だな。あんたらの輝かしい戦績に泥をつけるためなら、こっちは腹踊りだって厭わないってのに」
 
 起死回生のテラバーストにより、アオキを辛くも打ち倒したチャルは、その後もジムバッジを八つ集めきる。
 学業も、友人も、あらゆる全てをバトルに捧げてきた。それが苦痛であっても、辞めるという選択肢はなかった。それこそが存在意義。
 あたしの生きる意味。それはトップチャンピオンであるオモダカを打ち倒すことのみ。今は、強者の首を狩ること。のさばる化け物どもを終わらせることが、自分の存在証明なのだとチャルメルは叫んでいた。
 
 それが存在証明なのだ。そんなくだらないことに、人生のほとんどを費やした。人生のほとんどを費やしている間、同年代のクラスメイトたちは、チャルが喉から手が出るほど欲しがっていたものを、とっくに手に入れていたというのに。
 四つ集めたらもう十分だと。
 そう諦められた人間たちが羨ましいわけではない。ただ、自分の空っぽさが恨めしくなっただけで。
 空っぽでもいい。もう十分やった。
 オモダカを倒しても、何も得られなかった。
 
 あの女が現れるまでは。
 
 自分の半分以下の時間でジム巡りを終えたあの少女は、宝探し期間を使ってパルデアのチャンピオンクラスになった。
 もはや『五つ目のジンクス』など、ものともせず。
 本来の実力を温存したままで。まるで赤子の手をひねるように。
 いや、赤子はどちらなのだろうか。
 
 まるであの子の瞳は、子供のように無垢で無邪気だった。
 ジムバッジを四つ集めたとを嬉しそうに報告してきた後、挑戦を諦めたことを諦念に満ちた口調で伝えてきた、あの下級生の瞳。
 強くある、、、、ことを他者に強い、そして自らも周りも律する、強者の理論そのもののであるトップチャンピオンの無機質な瞳。
 前者のような弱者の瞳でもない。後者のような強者の瞳でもない。
 
 ポケモン勝負がしたいと叫んでいる、輝かしい瞳。
 それがネモの瞳だった。
 
 ネモは、チャルの敵であった。打ち倒すべき、叩き潰すべき、そして世界のために滅ぼさねばならない存在だと、チャルの傷跡は叫んでいた。
 ネモは、チャルの初恋であった。その微笑みひとつで、何度でも立ち上がれる力になった。その声援ひとつで、どんな深い傷も癒されるような気持ちになれた。
 
 愛していながらも、憎んでもいる。
 嗚呼、なんて矛盾。
 
 所詮、ジム巡りを半分で諦めてしまうような生徒が殆どのアカデミーだ。そして、パルデア地方はもともとバトルが盛んな地方ではない。
 ネモは強すぎた。
 強すぎるが故に、もはや誰もが彼女とのバトルを避けるようになった。
 才能を持つものと、持たざるものは理解し合えない。
 ネモを愛した自分も、ネモを憎んだ自分も、同じ答えを導き出している。
 愛していようが、憎んでいようが、ネモと[#ruby=バトルする_はなす#]ためには、才能がいるのだ。
 ネモと対等になるためには、ネモと同じ天才でなければならないのだと。
 チャルは、ネモを好いていることと同時に、自身の末路を理解した。ネモと、共にあるためには強さが必要なのだ。そして、ネモを好いた自分では、ネモと同じステージへ至ることが不可能であることも。
 
 チャルは今、宝食堂の前に立っている。正確には、宝食堂の中から、外に出てきた。
 バトルコートと化した宝食堂。観戦しようと集まった観客の熱狂をものともせず、ネモに見初められたその転入生は、アオキと対峙していた。
 その光景を見ていたチャルはチャレンジャーであるアオイの、一体目のポケモンを見て確信する。
 
 あれなら、勝てる。
 
 そもそも、ネモが目をかけているトレーナーなのだ。バトルの才能の塊だ。
 時折顔を合わせる姉から伝え聞く限り、ネモ以来の有望株であり、もはやその噂で四天王の話題は持ちきりらしい。タイプ相性などとはものともせず、初めてのポケモンバトルで、ネモに勝ったとも聞いた。
 
『天才』だ。まさしく、ネモのライバルに相応しい。
 
 あたしがライバルになりたくなかったのかと言われれば、それは偽り、、だ。
 あたしはライバルになりたかった。
 ただ、あたしにはライバル足り得る力もない。その上で、その事実を悟った上で。抗うこともせず、ネモをこの手で拒絶した。
 ライバルになれるかもしれないチャンスを手放した。
 いや、ライバルではあったのかもしれない。そして、ネモの口から「もうライバルではない」と告げられることを恐れた。敗北することなど、恐れるどころか、痛くも痒くもなかった。
 ネモと出会うまでは。
 
「ネモと出会って、ネモに負けることが怖くなった」
 負ければネモとの縁が切れてしまうから。ネモに拒絶されるから。強者であるネモに切り捨てられてしまうから。やっと、空っぽだったあたしの人生の宝物を、彼女に奪われてしまうから。
 そうして、今、ここに立っている。宝探しを見守る、元チャンピオンクラスだった、先輩として。終わった人間として。
 
「(あたしは自分勝手な理由で、ネモを傷つけたことに変わりはない。だからこそ、ネモには、あたしのことを忘れて、新しいライバルに出会ってほしい。バトルを楽しんでほしい。幸せに、なってほしい)」
 だからこそ、ネモの名前を出した少女に近づいた。ジムを巡るアオイを追いかけて、わざわざ激励までして、げんきのかけらまで渡してしまった。
 惨めだ。こんなものは未練だ。
 あたしは託しているのだ。自分ができなかった願いを。そして、自己陶酔的な贖罪行為に酔っている。
 なんてひどいことを。ごめんなさい。本当にごめんなさい。身勝手でごめんなさい。謝ったってどうにもならないことはわかってるのに。きっと、今はこうして謝っていても、ネモの前に出れば怨嗟の言葉しか言い出せないことも理解してるのに。
 
 店内の歓声が聞こえる。盛り上がっている。あたしの時もそうだった。観客が盛り上がるのは、弱者が番狂せをする時か、強者が全てを薙ぎ倒す時。どちらかのポケモンが倒れたのだろう。それが、アオキのネッコアラであることを心底願っている。
 
「…チャル?」
 
 名前を呼ばれたチャルは顔を上げた。この世界で、一番聞きたくない声だった。無論、先程まで謝罪の言葉を並べていたはずなのに、今では怨嗟の声しか浮かんでこない。
 
「どうしてここに?」
 ネモは相当焦っていたのか、息を切らしていた。走ってきたのだろう。オモダカから聞くところによると、ネモはアオイのジムでのバトルを全て観戦しているらしい。今回は少し遅刻してしまったのだと、チャルは一瞬で理解した。
 そして、今、ネモは、とても無視できない女が宝食堂の前に立っていることに気づき、こうして声をかけたのだ。
 
 ネモの瞳は震えていた。
 ポケモンバトルがしたいと声を枯らして叫んでいる、あの輝かしい瞳ではない。揺れ動く、まるで、親に手を離された幼児のような、怯えと不信に満ちた瞳。その奥に、いまだに期待の色が見え隠れすることに、チャルは舌打ちしそうになる。
「転入生ちゃんを応援しにきたんです。あなたもそうでしょう?」
「…うん。そうだよ」
 ネモが期待している返答が、手に取るようにわかる。「あたしもジムチャレンジに来たの」と、微笑んでやればネモの揺らぎは消えて、すぐにでも、こちらに抱きついてくるだろう。今までのように。
 
 言ってやるものか。
 そんなことを言う気は微塵もない。あたしはバトルを辞めた。バトルをしようとすると、手の震えが止まらなくなる。動悸がして、昼食は全部口から戻り、あたしは一日中トイレに篭る羽目になる。そのために、バトル学の履修を免除されているし、カウンセリングを週二で受けている。
 本当は、バトル恐怖症なんじゃなく。きっと、ネモが怖いのだ。バトルをすればネモを思い出すから。自分の存在意義の揺らぎを感じて、そして空っぽさを痛感して、どうしようもなく気持ち悪くなる。だから、あたしはもうバトルをしない。例え、その事実がネモをさらに傷つけることになったとしても。
 
 だから、あたしはこの世界で一番身勝手なのだ。だから、あたしはライバルの資格がない。もはや、友人ですらない。友人なら、自分の保身のために傷つけたりなんかしない。
 
「あたしは今から帰るつもりでしたの。それでは」
「……そっか」
 邪険にあしらい、ネモの横を通り抜けようとする。これ以上顔を合わせて、ネモを苦しませたくない。いや。ネモと顔を合わせて、苦しみたくないのは、あたしの方だ。これ以上、ネモを理由にするな。
 
「観ていかないの?」
「見ればわかります。アオイが勝ちますわ」
「…うん、それは。わたしもアオイが勝つって信じてる」
「あたしもそうですわ。ごめんなさい、今急いでいて」
 だから、あたしと関わらないで。早くあたしのことなんか忘れて、楽になってくれ。あたしも楽になるから。いずれ、きっと。いつか。いや、無理かもしれないけど。いや、無理だ。あたしは楽になれない。でも。それがあたしの受けるべき罰だ。
 
「待って!」
 一瞬怯んだものの、ネモはチャルの手を掴んで、引き止める。
「ジムチャレンジが終わったら、わたしとアオイでバトルするの!それは、その、見て…いかない?」
 
 やめろ。
 あたしに何も期待するな。
 
「チャルがポケモン勝負辞めちゃったのは知ってるよ!でも、こうやって応援してるってことは、見るのはイヤじゃないんだよね!?ねえ、今からでもバトル見ようよ!アオイとのバトルで使うポケモンを一緒に考えてほしい…!」
 
 あたしの前で『天才』の話をするな。
 
「アオイのラウドボーン、すっごく強いの!わたしのマスカーニャ、テラスタルしても倒されちゃうくらい!きっとチャルも勝負したくなるよ!!」
 
 あたしに足りないものを、まざまざと見せつけるな。
 
「…どうかな…?」
 チャルは振り向いてネモに向き合い、掴まれていた手をしっかり両手で握り直した。
「行こう!早くしないと勝負、終わっちゃうかもしれないよ!」
 チャルの行動をYESの返事だと考えたネモは、打って変わってその瞳を期待で満たしていた。頬が紅潮しているのは、全力疾走してきたことだけではないだろう。
「ネモ」
 
 チャルは、ネモの瞳を覗き込みながら、歯並びの悪い口を見せないように、愛らしく微笑んだ。
 
「あたしは二度とバトルしない。バトルの話もしない。だから、あたしになにも期待しないで。」
 チャルの口から流れ出たのは、怨嗟の声だ。別れの挨拶をした時でさえ、押さえ込んだはずの、ネモへのどうしょうもない感情。それが、微笑みのマスクの下から漏れ出てしまった。
 縋っていたはずの希望が完全に失われたことを理解したネモは、何か言おうとしたものの、言葉に詰まってしまい、無言で目を伏せた。
 チャルは、握っていたネモの手を離す。
「ごめんなさい、本当にもう行かないと。転入生ちゃんに、よろしく言っておいてくれますか?」
 
「……うん、わかった」
 ネモは力なく頷いた。先ほどの満ち足りていた期待は、今は微塵も窺えない。その瞳はチャルから覗き込まない。俯いているネモに「また学校で会いましょう」と挨拶をしたものの、返事はなかった。
 
 *
 
 力ないネモの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
 モトトカゲ置き場の隅に止めておいた自転車のロックを外して、しばらくチャンプルタウンの道沿いを歩く。
 
 今頃、ネモは転入生とのバトルをしているだろうか。それでいい。順調にアオイには、チャンピオンランクへ到達し、ネモのライバルになってもらわねば。それは勝手な願いだろう。
 誰よりも身勝手な女だった。生まれた時から、そういう星の元に生まれた時からずっと、そういう定めなのだ。
 本当に欲しいものは、そうだと知らない間に手放してしまう。手に入れたことを、失ってから気づく。
 あたしが『天才』であれば、こんなに苦しまなくて済んだのかもしれない。
 それでも『天才』に生まれ直したいとは、思わない。
 あたしに才能があったとしても、きっと、ネモとは理解し合えない。ネモと共存できない。あたしとネモは、どこまでも平行線なのだ。
 それでいい。交わってはいけない。たとえ、交わることが、あたしの本当の欲しいものだったとしても。空っぽを埋める、本当の宝物だったとしても。
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