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SV

「おめでとうございます、チャンピオンネモ」
「またひとり、パルデアの輝きとなるトレーナーがここに誕生しました」
「私相手でさえ余力を残した完璧な勝利です。素晴らしい」
 
 トップ、ありがとうございます。
 
 でもまだ、使ってないポケモンもあって!
 他にも、試してないこととか、まだ…まだいっぱいあるんです!
 こんなに、わたしは戦いたいのに、わたしは…
 まだ、わたしは。
 
「私の親類に、チャンピオンランクの生徒がいます」
 
 ……その人、わたしより、強いんですか?
 
「ええ、強いですよ。きっと、貴方にも負けないくらい」
 
 …でも、わたしが勝っちゃったら…
 
「たとえ負けようとも何度でも立ち上がる、鋼のような精神を持っています。その点は、保証しますよ」
 
 …本当に、そんな人がいるんですか?わたしの、その…
 
「ライバルに」
 
 *
 
 階段を上る。
 地獄の階段と呼ばれるアカデミーへの階段を、着実に一歩ずつ。いつもは疲れてしまって、中盤を前に休憩を取るのに、今日は、この今だけはちっとも疲れを感じない。呼吸は乱れてるけど、心が踊って、きっと誰にも止められない。きっと自分自身でさえ。
 と、思ったところで、足が限界を迎えたみたい。
 
 急に力が入らなくなった…と思った次の瞬間に階段を踏み外してしまったみたいで。ネモは思いっきりバランスを崩してしまう。
 なんとかその場に踏みとどまろうとするものの、ネモの意思に反して、上半身は後ろへ倒れていく。
 まずい、とネモが思った瞬間にはもう遅かった。とっくに階段の中盤を超えている。
 誰かの悲鳴が聞こえたし、階段を上っている他の生徒もいたけど、もうどうにかできる範囲を超えていた。丁度手の届く範囲に誰もいなかったし、たとえ手を精一杯伸ばしても誰かを巻き添えにするだけだ。
 この高さで頭から落ちていった場合、自分がどうなってしまうのか。想像できてしまったネモはとっさに手で頭を守るような格好を取る。こんな失敗したことないのに、と考えたが、自分の限界を見誤ったのも今日が初めてだったし、こんなに胸踊る通学路は人生で初めてだったのだ。期待で胸が満ちていて、目の前が見えず足元を掬われた。怪我しないのはちょっと無理かな、とネモは冷静に判断した。諦めのような諦念。しかし、もうずっと前から何かを諦めていたような気もする。
 来世でもきっとわたしはバトルしてるんだろうなあ。でも今世でももっともっと、バトルさせてほしかったかも。
 
 衝撃はなかった。
 恐怖や痛みに耐えれるよう反射的に目を閉じていたネモは、誰かに抱き止められたことにゆるゆると目を開くことで気がついた。
 流れるような金髪だった。鼻腔をくすぐるのは、甘い匂い。ミツハニーを捕まえようとしたときに使った、あまいミツのような香り。
 窮屈そうな胸元に垂れ下がってるネクタイ。アカデミーの制服だから、生徒なのは間違いない。知らない顔であったため、おそらく学年が違うのだろう。ネモは比較的人の顔を覚えることが得意なため、クラスメイトや同じ授業を受けた人間の顔は覚えているのだ。授業のかぶらない別学年となると、話が違ってくるということであって。どこかで見覚えがあるけれど、具体的に誰かと言われると出てこないな。誰だろう、でも最近見たような気がする。
「無事?」
 そう聞かれて、ネモはぼんやりと見つめ合ってしまったことに気づく。
「う、うん」
「ならいいけど」
 ネモを抱き止めた生徒は、そのままネモを階段へ座らせた。一部始終を目撃していた周囲のざわめきは、またたく間に色を変える。
 
「副会長だ」
 ざわめきの中の、誰かがそう言った。ネモはどこの会にも所属していないため、副会長はおそらくこの生徒の方だろう。
「歩けるかしら?具合が悪いようなら、担架を呼んでくるけれど」
「大丈夫!ありがとう…ございます!」
 副会長という肩書きから敬語を使うべきなのかな、と安直にそう考えて、ネモは咄嗟に語尾を差し替えた。気にした様子もなく、副会長は「そばかすちゃんは元気だと思ってるかもしれないけど、一応診てもらった方がいいと思うわ」と告げる。
 
「一年生でしょう?宝探し期間が終わって、慣れた頃だと思っても疲れが溜まってるなんてことはザラにありますから」
 副会長はネモと同じように階段に座ると、そう言って微笑んだ。昨日のチャンピオン戦から、なんとなく夢心地だったネモに冷や水を浴びせるような出来事だったけれど、ネモはなんとなく、いまだに夢の中にいるような気分であった。副会長はなんの翳りもない、太陽のような笑顔のまま、「何かいいことでもあったのかしら?」とネモに問いかけた。
 
 *
 
「うん、ばっちし健康」
 ミモザはそう断言して、小さな書類に何やら書き記し始めた。
「でもまあ、事が事だから…うん、これ出せば遅刻しても成績下げられないっしょ」
「ありがとうございます!」
 回転式の丸椅子に座っているネモは快活な笑顔でミモザから証明書を受け取った。結局副会長に連れられて、ネモは医務室まで来ていたのだった。
 
「何?で、足踏み外しただけ?それでも十分やばいと思うんだけど」
「急いでたんです!今すぐにでも、その、会いたい人がいて…」
「急いでいたにしては、とてもご機嫌に見えたのだけど。やっぱり若いっていいのだわね」
「ひとつしか違わないくせにさー」
 ミモザは手元のボールペンを回しながら、ため息混じりに茶々を入れた。
 やっぱり先輩だった。ネモはごくりと唾を飲みこむ。
 
「で?まるで少女漫画みたいにチャルが受け止めたんでしょ。もう噂になってるし」
 チャル。チャルさん、チャル先輩、チャル副会長。思ったよりかわいい名前。見た目から受ける印象とまるで違う、とネモは思った。なんだか、誰かに似ていると思っていたけど、その誰かが喉元まで出かかっているのに、出てこない。近寄りがたいような切れ目とオーラと、それに似つかわしくない温かい笑顔を浮かべて、フランクに話しかけてくる。改めて考えると、何もかもチグハグな人だと思った。ジグゾーパズルのように、何かを切り貼りして、中身を隠そうとしているような、そんな――
 
「倒れそうだったのを支えただけですわ。ねえ?」
 ネモは俯き気味になっていた顔を、ハッと上げた。副会長――チャルから投げかけられた同意に、うんうん、とネモは食い気味に頷く。
「そんなに急いで誰に会いたがってたんです?お姫様は」
「えっと…」
「それは流すのだわね、恥ずかしくなってきたわ」
 ネモはチャルの質問に答えあぐねていた。同じく神妙な顔をしているミモザと顔を見合わせた後、「答えづらいなら別にいいのだけど」とチャルは付け加えた。
「答えられないわけじゃなくて…名前を知らないんです!トップに教えてもらっただけなので、会ったことなくて!」
「…見知らぬ他人に会いたくて夢見心地になって階段を踏み外したの?」
「そうですね!」
 
 けろっとそう宣言したネモに、ミモザは「危なっかしすぎでしょ」とため息混じりになんとかコメントを捻り出し、チャルはそのまま眉根を寄せて遺憾の意を表明した。
 
「でも、探し人なら手伝えますわよ」
 そういうことなら人手が多い方がいいでしょう、とネモに申し出るチャル。
 
「トップ?理事長の知り合いなの?」
 ミモザはそう言いながら、チャルに視線を送った。チャルは不自然なまでに、その視線には無反応だった。
 
「そうなんです!昨日、ポケモンリーグでバトルして、勝った後に、それを聞いていてもたってもいられなくて…」
 ミモザは手元で遊ばせていたボールペンを足元に落とした。何かまずいことを言ってしまったのか、とネモは副会長の方に目線を送る。
 人好きする微笑を浮かべているチャルは、「つまり、チャンピオンテストに合格されたのね?」と髪を耳にかけながらネモに問うた。
 
 こくりと頷くネモ。
 そう、とチャルはネモから目を逸らす。
「チャル、あんた」
「大丈夫です、今はもうするつもりないですから」
 チャルは丸椅子から立ち上がる。
 
「すみません、所用を思い出して。普段生徒会室にいますから、手伝いがいるようなら、尋ねてくださいな」
 ごめんなさいね、とチャルはネモに告げた。そう謝ったチャルの、瞳が暗いような気がする。ネモは、チグハグだった表の繋ぎ目から、何かが見えたような気がした。
 
「あの」
 ネモは、反射的に立ち去ろうとするチャルを呼び止めた。
 
「チャルさんは、ポケモン勝負、好きですか!?」
「…あたしは、チャルメルです。そう聞くってことは、あなたは、大好きなんでしょうね。あたしは、そうね……」
 チャルは語尾を濁す。そのまま続きを話すことなく、医務室の扉を後ろ手で閉めて、答えを明確にしないまま、姿を消した。
 
「……?」
 うーん、好きなのかな?嫌いなのかな?どっちなのかわかんないや。でも、好きかもしれないし。残されたネモは小首をかしげるのみであった。
 
 暫く黙りこんでいたミモザは、軽くため息をついて「ごめんね、ああいうやつなの」と呟く。
 
「ところで、どんな人なの?あんたが探してるのって」
「そうでした!えっと…、話の途中で飛び出しちゃって、電話で謝ったんですけど、結局名前を聞きそびれちゃって…」
 ネモは少し考え込むと、「確か…」と語りだした。
 
「アカデミーにいる、トップの従姉妹さんらしくて、チャンピオンランクで、しかもすっごく強いらしいんです。それで、オモダカさんとも沢山バトルしたらしくて…きっと、わたしみたいにポケモン勝負が大好きななんだろうなあ…!って!!」
 ボルテージの上がったネモは、迫る勢いで一気にミモザに捲し立てた。気圧されたミモザは、自分の座っていた丸椅子ごと少し後ろへ下がったのだった。喋りすぎてしまったと照れているネモを他所に、ミモザはボールペンを拾い上げ、言い淀みながら「…どう答えていいのかわからないんだけどさー」と告げた。
 
「知ってるんですか!?」
「近い近い近い」
 ネモに二度迫られて、もう少しだけ後ろに下がるミモザ。
 
「あたしが教えたって、言わないでくれる?拗ねるとめんどくさいんだよね、あの子」
「…?はい!言わないです!どんな人なんですか!?名前は!?どこにいるんですか!?」
 どこにいるのか、と問われたミモザは、ゆっくりと医務室の出入り口を指差す。
 
「さっきそこから出て行った人」
 
 ネモは思わず丸椅子から立ち上がる。
 
「あいつは理事長の従姉妹で、ここ最近じゃ閑古鳥鳴いてたチャンピオンテストの合格者なの」
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