青楼・小話

小話6 『遠征日記1』


 先程、設けた野営テントの一部に浸水したという報告を受け、それらの被害の様子を見に副官のアルベルトと部下の幾人かが出かけて行った。最も本当の意味で仕事をしに行ったのはアルベルトだけで、他のは退屈凌ぎの野次馬に過ぎない。聞けば浸水の規模はテント一つだけだという。ならばそれほど大勢で行ったところで邪魔になるだけだ。…それでも荷物の運び出しの手伝い程度には働くだろうが。
 周辺を調べるために駐留を決めた時点で最初に周囲の木々を使い、簡易の小屋を立て本陣としたため、さすがにここが浸水することはない。他のテントよりも雨が凌げるため、士官たちのほとんどがここに集まってきていて、外にいるのは一般の兵士がほとんどだ。
「こう雨が激しくては何もできんな」
「…師団長のしごきがあまりに厳しいんで、稽古を休めという神官長様の思し召しでは?」
 こちらのぼやきを聞いていた部下の一人が冗談めかして告げる。こういう軽口を気軽に言えるこの師団の雰囲気が何よりも気に入っていた。
「馬鹿な。師団長自ら手解きをして下さるのだぞ。有難く思いこそすれ、不満を述べるとは何事だ」
 それに対して真剣な表情で反論したのは、元従卒のリィン・ワルターだ。彼らの言葉が冗談であることは自分がよくわかっているので笑って聞いているだけだが、真面目過ぎるリィンはどうやら不敬だと感じているらしい。
「オレだって師団長と手合せして貰うのは有り難いと思っているさ」
 リィンの真剣な眼差しに、軽口を叩いた士官の一人がそう取り成すように言った。真面目が取り柄なのはいいが、冗談が通じないようでは困る。いつもは彼の隣で茶化して場を和ませるウェルナーがいるのだが、割り振った部隊が違うのでここにはいない。…今頃はおそらく無事に聖都に戻っているだろう。
「しかしなぁ…この雨だ。びしょ濡れになってまで外で剣の修練をする必要もなかろう」
 一人がそう言ったことでそれに他の士官も同意し、場が少しだけ和んだ。まぁ…確かに、必要に迫られてなら仕方ないが、そうでない限り良い歳をした大人が望んでずぶ濡れになるというのもどうだろう。聖都にいる時であれば家でも職場でも着替えることも服を乾かすこともできるが、この森の中ではそうもいかない。何よりも副官のアルベルトに何を言われるか…。
「大概、話をするにもネタもないしな…」
 3ヶ月も一緒に似たような面子でいるのだから、ネタが尽きるのも無理からぬこと。退屈ではあるが、だからといって暴れるわけにもいかず、一同はしばし黙り込んだ。

 間もなく、外からアルベルトたちが戻ってきた。様子を見に行ったにしては随分とずぶ濡れで帰ってきたことに驚いた。
「なんだ、派手に濡れたな?」
 確かに雨は降っていたが、雨避け用のコートを着て行ったのだからそれほど濡れることはないはずなのだが…。
「いえ…ちょっとアクシデントがありまして…」
 口籠るアルベルトに続いて、ついて行った者たちが全員ずぶ濡れで戻ってきた。
「いやぁ、酷い目に遭いました」
 彼らは参ったとばかりに上を仰いでみせた。
「聞いて下さいよ。兵士の一人がテントの水を払おうとして、上部に溜まった水を内側から押し上げたところ、外側にオレらと副官がいるのに気づかず…」
「ザバ――ッと!」
 それを聞いたところで一同がどっと笑う。当のアルベルトはといえば、奥にロープを張って早々に濡れた服を引っかける準備をしていて、こちらの話に聞き耳を立てる様子はない。
「うわぁっ、マジで!?」
「ついてないなぁ…」
「その兵士どうしたんだ?」
 興味津々に過失を犯した兵士の処遇を気にしている。
「真っ青になって震えながら半泣きで謝っててさ…」
「おまえらだけならともかく副官も一緒ってのがな。…それで??」
「それがさ……」
 そこで話が何故か止まる。
「おい?」
 続きを促そうとして、ふと彼の視線の向こうにある物を皆が目で一斉に追う。
「……」
 目にしたのは、薄暗い部屋の奥でぼんやりと浮き立つ白い肌。無論ここにいるのは白人ばかりなので全員の肌が白いのは当然だが、なんというか…肌の質が違う。真珠のような、といっては大袈裟かもしれないが何やら自分たちとは違う不思議な肌の色だ。生まれはトランだと言っていたからそのせいかもしれない。トラン人とは皆が彼のような肌をしているのだろうか。
 紅茶色の髪からは雨の雫が滴り落ち、それが肌を伝って下へと落ちる。その雫は甘いのではないかと錯覚させるほどに艶かしい。ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音がした。それは自分のものだったかもしれない。それらの雫がすぐにタオルで拭き取られてしまったことが惜しくてならない。濡れた体を乾かすために着替えている当人にしてみれば至極当たり前の行動ではあるのだが。
 遠征に出て半年以上、この場にいる誰もが欲求不満を抱えている。水場に行った折に手淫で済ませるか、手近な相手を見つけるか…。そういった解消法もないではないが、これまで部下に手を出したことは一度としてない。しかし…一度だけなら、と善からぬことを考えてしまうほどにアルベルトの姿は艶かしい。
 元々アルベルトは顔も体も性格も好みなのだ。それを部下には手を出さないという一念だけでどうにか押し倒したい気持ちを押さえているのだから、多少の揺らぎは仕方ない。惜しい、と思うと同時にここに皆がいてくれたことに感謝した。そうでなければオレ自身どうなっていたか…。
「ブハックショイッ!」
 ずぶ濡れままこちらとの話に夢中…いや、アルベルトを凝視するのに夢中になっていたヤツが何とも盛大なくしゃみを洩らした。
 そこで全員が我に返り、それまで目で追っていた物から慌てて目を反らす。自分も例外ではない。
「おい、いつまでもそんな格好でいないで、おまえらも服を乾かして来い」
「あ、そうですね。そうします」
 そそくさとずぶ濡れのまま話に加わっていた連中が奥へ行き、アルベルト同様に服を脱ぎ始めた。だがやはりヤツらが脱いだところで何ともない。金髪碧眼の白人で、どれも顔は悪くないし軍人らしく筋肉も程良くついた体型ではあるが、少なくとも手を出そうとは露ほども考えない。
「こんな格好で申し訳ありませんが、隣に失礼致します」
「あ、ああ…」
 アルベルトの声に僅かにそちらに視線を向ける。するとタオルを肩からかけた状態で隣に座る彼に驚き、同時に何かが出そうになって思わず手で口と鼻を抑えた。
「…っ!?」
「師団長?」
 それに気づいたのか、アルベルトが訝しげにこちらに視線を向ける。
「どうかされましたか?」
「…何でもない」
 そう答えたこちらの言葉に、納得していないらしく首を傾げてはいたが、それでもそれ以上は追究しないでくれた。そっと外した掌を見る。…良かった。鼻血は出ていないようだ。男女とも恋愛経験が豊富で戦闘と同様にそちらに於いても百戦錬磨のオレが、新米士官の裸体に鼻血を出したのでは恰好がつかない。
 無論そんなことで評判が落ちるとか軽蔑されるということはないだろうが、師団長としての威厳というものがある。必要以上に威張る気はないが、上に立つ者としてはそれなりの対面くらいは保っておきたいものだ。
 しかし…。それにしてもその乳首は反則だぞ、アルベルト。普通に見えるというのならまだしも、タオルの隙間から微妙にチラリと覗き見えるその具合がまた絶妙だ。淑女のスカートが風で揺れ、普段は見ることのない足が拝めたといったような…そんな感じさえしてくる。
 それがそんなことを考えているのはどうやら自分だけでなく、その場にいるほとんどの人間の視線がアルベルトの上半身に向かっていることに気づき、なんだか面白くなくなってきた。オレは楽しいことは皆で分かち合いたいとは思っているが、これは違う気がする。大事にしまってオレだけの秘密にしておきたい、そんな気分に駆られて気づいた時にはジャケットを脱いでアルベルトに着せてしまっていた。
「あの…師団長?」
 こちらの行動にアルベルトは戸惑ったような素振りを見せる。
「別に寒くはないですから大丈夫ですよ」
 確かに目の前の囲炉裏では火が焚かれているので暖かい。しかしそういったことではなく、だがオレが嫌なんだ、などと言うわけにもいかず、かといってこれ以上他の連中に見せるのはもっと嫌だった。
「いいから着ていろ。おまえに風邪を引かれてはオレが困る」
 苦し紛れにそう言うと、アルベルトは小さく笑って
「ありがとうございます。…しばらくお借りしますね」
礼を述べるとそれ以上拒むことはしなかった。
 この人並み外れて顔の綺麗な男が表情を変えることは珍しい。それも本当に純粋な笑顔など自分だってそれほど見たことがなかった。
「「「し、失礼しますっ!!!」」」
 それを間の辺りにした連中が揃って立ち上がり、前屈みになって出て行った。
「外、まだかなり雨が降ってますけど…」
 大丈夫でしょうか、と首を傾げるアルベルトを横目に、自分とかろうじてその場に残った一同は、出て行った連中に同情の眼差しを送っていた。
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