青楼・小話

小話2 虚空に問う (ウェルナー・ハルシュタットside)


「トーラス様の馬鹿ぁっ!!」
 バターン、とドアを勢いよく開けて飛び出して行ったのは、確かトーラス師団長の恋人だという演劇役者の青年。あの様子ではおそらく別れ話を切り出されたに違いない。それで喧嘩になって青年が飛び出して行った…と珍しくもないパターンに呆れる思いだった。
「いらっしゃいませ、ウェルナー様」
「やれやれ、また…か?」
 入れ違いにやってきた自分を迎え入れてくれたのは、屋敷の執事エルンストだ。
「はい。また、でございます」
 執事の返事も相変わらずで、代わり映えがしない。
「ウェルナー、来たのか」
 奥から出てきた師団長が声をかけてくる。
「はい。リィンや他の者は少し遅れるとのことです」
「構わん。良い酒が手に入ったんだ。先にやっているとしよう」
「では尚のこと、皆が来る前に飲んでしまいましょうか」
 ハハハ、と彼は笑う。先ほどの青年のことなどなかったかのように、楽しげに。…このヒトは綺麗なものが好き。だが自分の部下には決して手を出さない。軍にありがちな従卒の囲い込みといったことを嫌っているのか、職場での彼は驚くほどに潔癖だ。
 だがそれも、それ以外の場所では放蕩の限りを尽くし、気に入れば他人のものでも奪い取り、男でも女でも身分に構わずといった悪食のせいで評判を落としてしまっている。トーラス・グスタキオ。希代の戦争上手の名将は、色狂い、悪食と言われた陸軍の異端児でもあった。
 彼が部下には絶対手を出さないのは知っていたが、それでもずっと好きだった。最初に会ったのは16歳で従卒として入隊した折。彼は既にその時からこの師団の長だった。26歳で師団長というのだから余程優秀なのだろうと思っていたのだが、彼がその地位から出世することはなかった。仕事ができないわけではない。戦争に行けば負けなしの強さで、常勝無敗と言われるほどではあったが、いかんせん日頃の行いが悪すぎる。
 大佐という地位に7年。万年大佐と呼ばれることに、それでも彼は何とも思っていないようだった。戦争して自国を守れればいいと、それ以外に自分のしたいことなどないのだと彼は笑う。
 他所からはただ傍若無人に好き勝手に振る舞っているように見えるが、決してそうではない。彼は彼なりの理由があって上層部や高位の貴族連中と争う。その結果、昇進の話を悉く自らの手で潰してしまうのだが。
 本来であれば彼のそれを諌め、尚且つ対外的に上手く立ち回る良い参謀がいればと自分を含め、彼の部下たちが思っていたのも事実だ。

「遅くなってすみません」
 そう言って一番最後に顔を見せたのは自分と同期のリィンだった。
「なんだ、居残ってまでやる仕事なんかそんなにあったか?」
 師団長が問うとリィンが苦笑いを浮かべてみせた。
「あなたの新しい副官を検討していたんですよ」
 前回の副官は遠征の時に負傷し、今は自宅療養ということだが、おそらく復帰することはないだろう。もしも復帰したとしてもウチのような最前線へ送られることが必至の部署ではない、もっと気楽なところへ配属換えを申し出るに違いない。
 師団長の副官は戦時においては作戦参謀、平時は諸々の雑事をこなすために大抵が参謀本部から派遣されてくることが多い。無論、副官というからには師団長の傍に在ることが当然なのだが、この師団において、敵陣へ真っ先に飛び込んでいく師団長の傍が最も危険な場所であることを、書類畑で育ったエリートたちが知るわけもなく、理解した時には救護隊の世話になってベッドへと担ぎ込まれるというわけだ。
 ちなみにその前の奴は、机上の空論を振りかざすまるっきりのド素人で、それでも仕方なく師団長が副官の提案を受け入れた結果、敗北を喫して撤退を余儀なくされた。
 それで謝罪すればまだマシだったものをこちらの能力不足だと罵ったことで、滅多に声を荒げることのない師団長の逆鱗に触れ、厳しい叱責を受けたそのショックで気を失う始末。
「いらん、断れ」
 そんなわけで、師団長がそういうのも誰もが理解できることだった。
「いらん、と言われましても…」
 どうせ断っていても勝手に派遣されてくるのだから、注文をつけても仕方ない。
「出来の良いヤツは大抵上層部が目をつけていますからね」
 優秀な人間に関しての情報は誰もが敏感だ。そしてそういった者の噂を耳にすれば、大抵は金を与えて自身の配下に加える。だから師団長のところにやってくるのは、そういった眼鏡に敵わなかった者で、つまりは余りといっても過言ではない。
「そういえば第二に入った奴…仕官学校卒らしいが、かなり優秀だと聞いている」
「…あー…ルーアンだっけ?やたら女に騒がれてるヤツ…」
「なんだ、とうとうウェルナーのライバル出現か?」
 揶揄うように言われて思わず言い返す。
「別にライバルなんかじゃねーよ、あんな奴」
 だいたい、あいつ下級貴族じゃないか。張り合う気にもならないね。
「ああ、確かに良い男ではあるな」
「ええっ!?」
 師団長の言葉に思わず声を上げる。
「若い頃の師団長に似てるって話ですよ」
「おい、オレは今でも若いぞ」
 反論する彼に対し、すかさず口を挟む。
「ええ、そうでしょうとも。オレが来る時も、恋人だった方が走って出て行きましたし?」
 当てつけがましく言ってやると、彼はややバツの悪そうな顔をしてみせた。
「…しょうがないだろ。他に好きなヤツができたんだから」
「おや?今度はどんな方です?」
「まだ内緒だ。きっちり手に入れたら話すさ」
 余程自信があれば別だが、そうでない時には話してはくれない。今度は一体どこの馬の骨を狙うつもりか…。
「せめてどういった方か、教えて貰えませんか?」
「嫌だね。うっかり教えて、おまえに目移りされたら敵わん」
「まさか…。横取りなんかしませんよ」
 邪魔はしますけどね。
「オレが嫌なんだ。オレが惚れた相手には、こちらだけを見ていてほしいからな」
「はは、ゴチソウサマです」
 このヒトに愛される人間なんて、全員不幸になればいい。彼にずっとフラれ続けている自分にとって、一時でも愛されることなど夢のまた夢だ。『おまえは大切な部下だ』と言われる度に軍人になったことを後悔する。だが同時に、さっきのような彼に捨てられていく人間を見ると、部下で良かったとも思うのだ。
 自分にとって救いであるのが、彼が決して部下には手を出さないというその一つのことだけだった。

 しかしそれも師団長の連れてきた一人の男の存在によって覆される。妖しげな美貌と悪魔のような天才的な頭脳を持った男、アルベルト・シルバーバーグ。
 名前だけなら聞いている。名門シルバーバーグの次期当主にして、その才能は天才軍師と呼ばれた祖父レオンを凌ぐと評された男。その噂通り、万年大佐と呼ばれた彼を3年弱の間に中将にまで伸し上げ、軍団長の座にまで据えた。
 彼の恋人の中で最も大嫌いな男。言っておくが、軍団長の趣味はかなり悪い。姿の美しさにだけ拘るせいで、中身がないくせに気位が高く、性格の悪さなんて半端ではない。用事があってあのヒトの屋敷へ行った時も、二度と会うものかと思うほどにいけ好かない連中ばかりだった。だが如何せん中身がスカスカだから、張り合う気にもならなかった。
 自分だって決して性格が良いとは思わないが、アルベルト・シルバーバーグの場合は違う。性格が良い悪いの前に、既に張り合うレベルではないということ。奴は自分の挑発になど決して乗らないし、最初から自分のことなど相手にしてはいないのだから。
 そもそも彼のことだって本当に好きかどうか…。それなのに彼の寵愛を受け、屋敷に住みつき、挙句に軍団長の心を捕えたまま離すことはなかった。
 逝ってしまうその最期まで、あのいけ好かない男への愛を貫いた…自分にとって、最も残酷なヒト。

 そうして今、自分は彼の墓碑の前に立っている。
「トーラス様」
 昔、初めて従卒として彼に仕えた時の呼び名で呼びかける。
「オレ、師団長になりましたよ…」
 初めて会った時、彼はその地位にいた。
「なんか…信じられねぇな…。オレが師団長なんてさ」
 これまで自分の前にはいつも彼がいた。しかしこれからは、自分が誰かの前に立たなければならない。そう考えると酷く恐ろしい。
「…あなたは、そんなこと思わなかっただろうけど」
 白い花に囲まれた墓碑を前に、空を仰ぎ見る。
「なぁ、これから…オレはどうすればいいんだろうな…?」
 教えてくれよ、トーラス様。

 空は清々しいほど青く、それとは対照的に自分の心はどんよりと厚い雲に覆われていた。
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