青楼・小話

青楼・小話1 姫君の騎士(ジュリアside)


 荒涼とした大地をほの明るく照らす月に導かれ、漫ろ歩きをしていると、中庭の水盆の前でジュリアの姿を見かけた。物想いに耽っている素振りのそれに声をかけ、どうしたのかと尋ねる。すると彼女は微苦笑を洩らし、何でもないと答えた。
 しかしこちらが黙ったまま彼女の隣に佇み、しばらく半分よりやや丸みを帯びた月を眺めていると、やがてジュリアは静かに話し出した。
「ボウルは…親の決めた結婚相手だった」
 それは、それほど驚くことではなかった。彼女は良家の子女で、今年で23歳になるというのならむしろ婚姻を決めるには遅いくらいだ。実際、彼女の婚約が決まったのは16歳の時だったという。
「…私は、ずっと騎士になりたかった」
 以前にそんな話を聞いた気がする。昔の彼女はお転婆で剣や馬といったものに傾倒し、おまけに激しい気性をしていることから兄のルパートは暴れ馬だと評していたくらいだ。
 通常の16歳の女性であればドレスやアクセサリー、異性などの会話に花咲かせている年頃だろうに、剣の稽古や乗馬の技術を磨くことに明け暮れ、他に興味があることといえばどの森にどのモンスターが生息しているか、薬草や毒草の在りかといったことばかりだったようだ。
「騎士になるつもりだから結婚などできないと、私は婚約を断るべきだったんだ。それなのに憧れの騎士という職業に就いている人と知り合えたことが嬉しくて浮かれて…もっと話を聞きたくて、断りそびれてしまった」
 騎士という職業をどう思うかとその相手に問われ、言葉どおりに、とても興味があると答えてしまったジュリアを責めることがどうしてできようか。
「…ボウルには言ったんだ。私は、騎士になりたいのだと。…そうしたら、女は騎士になれないと笑われてしまった。それでも諦めないと言ったら、彼は…私の想いの分、立派な騎士になる…と答えた」
 そう言った途端、彼女は声を詰まらせて黙り込んでしまった。その肩は僅かに震えている。黙ったまま彼女の次の言葉を待っていると、
「……ずっと、なりたかったんだ…っ!」
絞り出すような声でそう告げる。泣いてはいないようだが、その声は今にも泣き出しそうなほど悲痛なものだった。
「ずっと…なりたかった。なのにボウルはあっさりと私の夢を打ち砕いた。何が、『私の想いの分』だ…。私のことなど…っ、私がどれほど騎士に憧れてきたかも知らないくせに…っ」
 憤りを隠さないまま、彼女はギュッと固く拳を握り締める。
「………」
 それからしばらく間を置いたのは、昂りかけた気持ちを落ち着かせようと思ったのだろう。次に言葉が発せられた時にはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「…その後、私はデュナン国の軍人として出仕できる道を探した」
 両親には知人の応援に行くと言って、デュナン国で行われている武術大会に内緒で出場したのだという。優勝とまではいかなかったものの、初出場でそれなりに上位の成績を収めたために、軍への仕官を果たしたようだ。当然のごとく両親は反対し、家へ連れ戻そうとした。しかし彼女がその意思がないと強く主張したことと、兄のルパートがジュリアの好きにさせるように口添えをしたことで、どうにか入隊を許して貰えたそうだ。
 当然ボウルにとっては寝耳に水の話な上に、面子を潰されたとあって憤慨したらしいが、それもルパートが謝罪をしにわざわざロックアックスまで出向いたことでどうにか納まりがついたようだ。
「最初に断らなかった私に非があることはわかっている。だが彼に話しても分かってもらえなかったろう。…彼には悪いが、本格的な結婚の話になる前に別れて良かったと思っているんだ。それにまだ騎士団長にはなっていない頃だったから…」
 彼の名誉もそれほど損なわれずに済んだと言いたいのだろう。だがボウル自身が拘っているのはそこではなく、おそらく未だに彼女を諦めきれずにいるからではないかと思う。
「…今でも、騎士になりたいか?」
 そう問うと彼女は複雑な表情をしてみせる。
「正直…今でも、なりたくないといえばウソになる」
 今回の騒乱のこともあるし、ジュリアの剣の腕前はマチルダ騎士団の知るところとなった。彼女が望めば特例として騎士になることは認めて貰えるかもしれない。だが…。
「形に拘る必要はないだろう。騎士とは…守るべき者のために剣を捧げ、忠誠を誓う。…ならば君は既にアリスの騎士なのではないか?」
 虚を突かれたように、彼女は唖然とした表情でこちらを見る。
「アリスは、君が守るに値しないか?」
 そう問うと、ジュリアは首を横に振った。
「…いいえ。いえ、私は…アリス様を御守りすることを誇りに思っている」
「ならば問題はあるまい。重要なのは名でも形でもなく、君自身の心構えだ」
 騎士という名目がなければならないということであれば仕方ないが、そうでないのなら心の中にだけその騎士たる精神があればいいのではないか。
「民を守る者は他にいても、アリスを守ってやれるのは君だけだと思うがな」
 父親の七光で親衛隊の隊長に成り果せたと陰口を叩かれるアリス。しかし自分の目から見て、アリスはとても聡明で、度胸もいい。アリスを利用しようとする輩から彼女が守ってやればおそらく父親の後を継ぐにふさわしい女傑となることだろう。そういった意味では騎士よりも余程やり甲斐のある仕事ではないだろうか。
「…そうだな。あなたに言われなければ、私はずっと騎士になれなかった己の身の上に不満を感じていたかもしれない。目の覚める想いだ。…感謝します」
 いや…と軽く首を横に振り、先ほどよりもずっと明るく、輝いて見えるジュリアの表情に安堵し、笑みを浮かべた。
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