短編
夏イベントを満喫しよう企画その4。
七英雄が海にバカンスに行って、スービエがサーフィンをする話。
ちょっぴりメルヘン設定あり。
青い空、白い雲、ギラギラと照りつける太陽。
輝く碧色の海に白いさざなみが立つ。水面を泳いでいたカモメが一斉に羽ばたき、波の音に混ざって羽音が響いた。
ボクオーンはパラソルの下に座り、白い砂浜でビーチバレーを楽しむ仲間達をぼんやりと眺めていた。
「ぎゃー」
悲鳴とともに、ノエルが叩いたボールが大砲のように重い音を立て、クジンシーの顔面にめり込んだ。
クジンシーは灼熱のコートの上に倒れ、もう一度悲鳴をあげて飛び上がる。背中が真っ赤に染まっていたが、うるさいことこの上ない。
「楽しそうだな」
微笑みながら皆を見つめてワグナスがつぶやく。
「クジンシーにとっては災難でしょうがね」
チームメイトのダンターグが「ちゃんと受け止めろ」と怒鳴り、敵チームのロックブーケが声を上げて笑っている。
「……すまないな」
ふいに謝罪されて、ボクオーンは慌てて手にしていた紙に視線を落とした。書類仕事が残っているワグナスの手伝いをしていたところだったのだ。
「書類仕事は気にしないでください。二人で取り組んだ方が早く終わりますから。とっとと終わらせて、皆に合流しましょう」
「それもあるが。……私の従兄弟が、申し訳ない」
そのことかと、ボクオーンは苦笑を浮かべた。
「ワグナス殿が謝ることではありませんよ」
その言葉は、意図せず平坦になってしまった自覚はある。
夏といえば海だ! と誰かが言い出して、七英雄は海へバカンスに訪れた。
海に行くと決まり、ボクオーンはほんの少しだけ期待をしていたことがある。
ボクオーンと恋仲のスービエは海を愛する男だ。
彼が海とどんな付き合い方をしているのか、それを見たいと思った。
皆で来ているから、恋人同士の甘い時間など最初から期待していなかった。それは本当だ。
だから海に着くなり、サーフボードを片手にふらりと消えたスービエについても、とても彼らしいと思った。
しばらくは好きなように過ごせば良いと見送った。
しかし昼を過ぎる時間になっても彼は帰ってこなかった。
良い大人なのだから好きにすればいい。引き上げる時間までに戻ってこれば何の問題もない。
だが少しだけ、蔑ろにされたような気がして腹立たしかった。
砂を踏む音が聞こえて、ボクオーンは顔を上げた。
いつの間にか仲間達が目の前に立っていた。
「ったく、しけたツラしてねぇで、追いかけりゃ良いじゃねぇか」
ダンターグが呆れたように言う。
「彼はきっと沖に出ているとは思うが……」
ダンターグの斜め後ろに立っているノエルが腕を組む。
「ボクオーンを餌にすれば、スービエが寄って来るんじゃね?」
人を餌にするなとクジンシーに異議を申し立てようとしたところ、「なるほど」と納得する複数の声が聞こえた。
――おい誰だ、今納得したやつは。
確かめようとした瞬間、屈んだダンターグがボクオーンの脇の下に手を差し込んで持ち上げる。ほぼ同時に足首をノエルに掴まれた。
「ちょっと、これはどういう状況ですか」
「海に放り込んだら釣れるだろ」
何をしようとしているのかを理解して、ボクオーンは青ざめた。
「冷静になってください。スービエはどこにいるかも分からないのですよ。それなのに……ちょっと!」
二人は勢いをつけるために大きく揺らし始めた。振り子のようにふられ、どんどん揺れが大きくなる。
「ワグナス殿っ、止めてくださいっ。ちょっ……!」
「そぉら!」
掛け声と共に、二人は海に向かってボクオーンを放り投げた。勢いも角度も最適の出来である。
ボクオーンの体は青い空に吸い込まれるように、放物線を描いて飛んだ。
ふざけるなぁ! と心の中で叫ぶ。
大声を出さなかったのは、着水に備えてのことだ。貴重な空気を溜めておく必要がある。鼻を摘まみ、唇をギュッと結んだ。
ドボンと大きな音を立てて水に沈む。足がつかないほど深い位置に落とされた。全身に水がまとわりつき、流される感覚を覚える。
薄く目を開くと、辺りは闇だった。
無駄な力を抜けば浮くと思っていた。だが、潮に引っ張られてどこが上かもわからなくなる。
――これはまずい。
ボクオーンは焦りそうになる気持ちをなんとか落ち着けようとする。パニックになったら、終わる。なぜなら、ボクオーンは泳げないのだ。
木製の人形を召喚すれば、うまく浮くことができるだろうか。一か八かで魔力を指先に集めたその時、よく知る気配が近づいてくるのに気付いた。
手を伸ばす。
手首を掴まれて引っ張られた。冷たい水の中で、彼の熱は確かだった。
目を開くと、険しい表情のスービエがいる。
顔が近付いてきて、唇が重なった。舌が唇をこじ開けて、空気を流し込んでくる。口の隙間から、空気がぶくぶくと音を立てながら漏れていった。
――何をするんだと文句を言いたいが、水の中なので心の中で罵倒するだけにとどめた。
『っあっぶねぇなぁ。お前、溺れるところだったぞ』
スービエの釣り上がっていた眉がふっと緩められた。
腰に腕が回され、体を寄せ合う。大きな手のひらで背中を撫でられ、ボクオーンはようやく助けられたことを実感した。強張っていた体から力を抜き、震える腕で彼の首にしがみついた。
『無事でよかった』
『なぜ声が……』
ついつい言葉に出して、自身の変化に戸惑う。
スービエはニヤリと口端を上げて、もう一度口を重ねてきた。先ほどと同じように、ゆっくりと空気を流し込まれる。
『俺が空気を送れば、他人も一時的に海の中で呼吸ができるようだ。海の魔物を吸収したせいかもな』
『なんですか。そのメルヘンな能力は』
『はは。面白いだろ』
――デタラメすぎる、と思った。
スービエが足を動かし、移動を始める。
先程は闇だと思っていた海の中は、青く透き通っていた。光る方を見れば、海と大気との境界に光が溢れていた。空から金色の粒子が降ってきて、スービエとボクオーンの姿がぼんやりと浮かび上がる。
辺りを見渡す。色とりどりの魚、緑が濃い海藻。全てが夢の世界のようで、息を呑んだ。
――これがスービエが見ている世界なのか。
その美しさに見とれるようにぼんやりとしていると、至近距離にスービエの碧い瞳が現れ、そっと優しく細められた。愛おしさに溢れているその表情に、どきりとする。
『可愛い顔してる』
お前の頭の中はお花畑か。そう突っ込む前に、吐息を重ねられた。長い口付けに、ぐらぐらと眩暈がしてくる。口から溢れた空気が気泡となって空へと昇っていった。
『長い』
ようやく解放されて、文句を言う。
スービエはニヤリと不敵に笑い、頬に唇を寄せた。
『必要な儀式なんだよ。頻繁に空気を送らないと溺れるからな。さて、そろそろ上がるか』
捕まっていろと指示を受けて、ボクオーンはしがみつく腕に力を込めた。
魚のように水をかいてスイスイと泳ぐ。ボクオーンを抱えていることなど意に介さずに、自由に水の中を進み、水面へと出た。
外気を浴びてようやくひと心地つく。大きく息を吸って吐いて。こんなに空気のありがたみを感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
「助かりました」
「別に構わんが。……なんで溺れてたわけ?」
お前のせいだ、と言いたい。
だがそれを語りだすと、ボクオーンがほったらかしにされて、拗ねていたことにも言及が必要となる。
思わず言葉に詰まって、どう誤魔化すかを考えた。
ふいに冷たい風が吹いた。
ぶるりと背筋が震える。ずっと海底にいたために、体が冷えたのだろうか。
「……波が出てきたな」
そう呟いたスービエの碧い瞳がキラキラと輝いていた。
良い波が来そうだ。
スービエはそう言って、ボクオーンを近くの島に連れて行った。
波打ち際にボクオーンを置いて、スービエは海に帰っていった。
ここにきてまた放置か、と思わないこともない。だが怒っても仕方がないので、木陰に入って膝を抱える。
目視できる距離で、スービエはサーフボードにもたれながらぷかぷかと浮いていた。波を待っているのだろう。
しばらくすると、彼が言った通りに波が高くなってきた。だが、彼はまだ動かない。
ボクオーンはスービエの体が波で上下するのを、ぼんやりと眺め続けた。
そしてようやく、スービエが沖に向かって漕ぎ出した。
ボクオーンは立ち上がり、彼を追いかけるように駆け出した。
波の壁がみるみる高くなり、スービエのことを押し上げる。
スービエはサーフボードの上にすっと立ち上がった。不適な笑みが彼の口元に浮かぶ。
高い波の斜面を滑り降りていく。青くて大きな空を背景に、白い飛沫を上げながら波の上を滑った。鋭い軌跡を描き、自由に、大胆に、そして繊細に。
無造作に括られた緑色の髪が風を受けてたなびいた。
雄大な自然と一体となり、彼は大海原を駆ける。
ボクオーンは立ち止まった。瞬きをするのも忘れてその光景に見とれた。
美しい、と思った。
彼自身も。彼とともに在る海も風も、全てが美しい。
だけどそれ以上に、真剣な中にも楽しくて仕方がないといった様子の彼が、良いなと思った。理屈ではなく、その言葉が心にすっと落ちてきた。
スービエは砂浜に戻るなり、サーフボードを投げ捨ててボクオーンに駆け寄ってきた。
昂る気持ちを抑えられないといった様子で、ボクオーンのことを抱きしめる。
「良い波だったろ、見たか?」
いつもどこか余裕がある表情の彼にしては、無邪気な顔をして笑っている。
ボクオーンは思わず吹き出して、
「ええ、とてもよかったですよ」
と返して、笑った。
無人島でボクオーンとスービエは穏やかな時間を過ごした。
波打ち際を並んで歩いたり、ただ寄り添って潮騒に耳を傾けてみたり。
ずっと二人の時間を過ごしたい気持ちはあったが、帰る時間もある。後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、二人は無人島を後にした。
ボクオーンはサーフボードにしがみつき、スービエがそれを押す。
元いた浜に戻ると、白い砂浜にはロックブーケとワグナスが立っていた。
「ボクオーン!」
切羽詰まった様子でワグナスが叫び、駆け寄ってくる。その後ろでは両手で顔を押さえてロックブーケが泣き出した。
「ボクオーン、生きていて良かったぁぁ」
ボクオーンとスービエは顔を見合わせた。
ぱちりと瞬きをして、この状況はなんだと考え、気付いた。一瞬で顔が青ざめる。
「皆、君が溺れたと思って探していたのだ」
スービエに助けられたことで忘れていたが、そういえばボクオーンは溺れかけていた。だいぶ流された上に、しばらく海中遊泳を楽しんでいたので、顔を出した位置は遥か遠くだ。浜にいた仲間はいつまでも浮いてこないボクオーンが溺れたのだと心配したのだろう。
「どうした?」
スービエに問われて、ボクオーンは彼を仰ぎながら答えた。
「大体あなたのせいなのですから、大人しく叱られてください」
自由なのが彼の良いところだけれども、多分ちょっと自由すぎたのだ。そして、いつの間にか自分もそれに感化されていたらしい。
振り回されっぱなしで腹が立つことが多いが、それでも、そんな彼が好きなのだから仕方がない。
疑問符を浮かべるスービエに、ボクオーンは苦笑を浮かべたのだった。
七英雄が海にバカンスに行って、スービエがサーフィンをする話。
ちょっぴりメルヘン設定あり。
海
青い空、白い雲、ギラギラと照りつける太陽。
輝く碧色の海に白いさざなみが立つ。水面を泳いでいたカモメが一斉に羽ばたき、波の音に混ざって羽音が響いた。
ボクオーンはパラソルの下に座り、白い砂浜でビーチバレーを楽しむ仲間達をぼんやりと眺めていた。
「ぎゃー」
悲鳴とともに、ノエルが叩いたボールが大砲のように重い音を立て、クジンシーの顔面にめり込んだ。
クジンシーは灼熱のコートの上に倒れ、もう一度悲鳴をあげて飛び上がる。背中が真っ赤に染まっていたが、うるさいことこの上ない。
「楽しそうだな」
微笑みながら皆を見つめてワグナスがつぶやく。
「クジンシーにとっては災難でしょうがね」
チームメイトのダンターグが「ちゃんと受け止めろ」と怒鳴り、敵チームのロックブーケが声を上げて笑っている。
「……すまないな」
ふいに謝罪されて、ボクオーンは慌てて手にしていた紙に視線を落とした。書類仕事が残っているワグナスの手伝いをしていたところだったのだ。
「書類仕事は気にしないでください。二人で取り組んだ方が早く終わりますから。とっとと終わらせて、皆に合流しましょう」
「それもあるが。……私の従兄弟が、申し訳ない」
そのことかと、ボクオーンは苦笑を浮かべた。
「ワグナス殿が謝ることではありませんよ」
その言葉は、意図せず平坦になってしまった自覚はある。
夏といえば海だ! と誰かが言い出して、七英雄は海へバカンスに訪れた。
海に行くと決まり、ボクオーンはほんの少しだけ期待をしていたことがある。
ボクオーンと恋仲のスービエは海を愛する男だ。
彼が海とどんな付き合い方をしているのか、それを見たいと思った。
皆で来ているから、恋人同士の甘い時間など最初から期待していなかった。それは本当だ。
だから海に着くなり、サーフボードを片手にふらりと消えたスービエについても、とても彼らしいと思った。
しばらくは好きなように過ごせば良いと見送った。
しかし昼を過ぎる時間になっても彼は帰ってこなかった。
良い大人なのだから好きにすればいい。引き上げる時間までに戻ってこれば何の問題もない。
だが少しだけ、蔑ろにされたような気がして腹立たしかった。
砂を踏む音が聞こえて、ボクオーンは顔を上げた。
いつの間にか仲間達が目の前に立っていた。
「ったく、しけたツラしてねぇで、追いかけりゃ良いじゃねぇか」
ダンターグが呆れたように言う。
「彼はきっと沖に出ているとは思うが……」
ダンターグの斜め後ろに立っているノエルが腕を組む。
「ボクオーンを餌にすれば、スービエが寄って来るんじゃね?」
人を餌にするなとクジンシーに異議を申し立てようとしたところ、「なるほど」と納得する複数の声が聞こえた。
――おい誰だ、今納得したやつは。
確かめようとした瞬間、屈んだダンターグがボクオーンの脇の下に手を差し込んで持ち上げる。ほぼ同時に足首をノエルに掴まれた。
「ちょっと、これはどういう状況ですか」
「海に放り込んだら釣れるだろ」
何をしようとしているのかを理解して、ボクオーンは青ざめた。
「冷静になってください。スービエはどこにいるかも分からないのですよ。それなのに……ちょっと!」
二人は勢いをつけるために大きく揺らし始めた。振り子のようにふられ、どんどん揺れが大きくなる。
「ワグナス殿っ、止めてくださいっ。ちょっ……!」
「そぉら!」
掛け声と共に、二人は海に向かってボクオーンを放り投げた。勢いも角度も最適の出来である。
ボクオーンの体は青い空に吸い込まれるように、放物線を描いて飛んだ。
ふざけるなぁ! と心の中で叫ぶ。
大声を出さなかったのは、着水に備えてのことだ。貴重な空気を溜めておく必要がある。鼻を摘まみ、唇をギュッと結んだ。
ドボンと大きな音を立てて水に沈む。足がつかないほど深い位置に落とされた。全身に水がまとわりつき、流される感覚を覚える。
薄く目を開くと、辺りは闇だった。
無駄な力を抜けば浮くと思っていた。だが、潮に引っ張られてどこが上かもわからなくなる。
――これはまずい。
ボクオーンは焦りそうになる気持ちをなんとか落ち着けようとする。パニックになったら、終わる。なぜなら、ボクオーンは泳げないのだ。
木製の人形を召喚すれば、うまく浮くことができるだろうか。一か八かで魔力を指先に集めたその時、よく知る気配が近づいてくるのに気付いた。
手を伸ばす。
手首を掴まれて引っ張られた。冷たい水の中で、彼の熱は確かだった。
目を開くと、険しい表情のスービエがいる。
顔が近付いてきて、唇が重なった。舌が唇をこじ開けて、空気を流し込んでくる。口の隙間から、空気がぶくぶくと音を立てながら漏れていった。
――何をするんだと文句を言いたいが、水の中なので心の中で罵倒するだけにとどめた。
『っあっぶねぇなぁ。お前、溺れるところだったぞ』
スービエの釣り上がっていた眉がふっと緩められた。
腰に腕が回され、体を寄せ合う。大きな手のひらで背中を撫でられ、ボクオーンはようやく助けられたことを実感した。強張っていた体から力を抜き、震える腕で彼の首にしがみついた。
『無事でよかった』
『なぜ声が……』
ついつい言葉に出して、自身の変化に戸惑う。
スービエはニヤリと口端を上げて、もう一度口を重ねてきた。先ほどと同じように、ゆっくりと空気を流し込まれる。
『俺が空気を送れば、他人も一時的に海の中で呼吸ができるようだ。海の魔物を吸収したせいかもな』
『なんですか。そのメルヘンな能力は』
『はは。面白いだろ』
――デタラメすぎる、と思った。
スービエが足を動かし、移動を始める。
先程は闇だと思っていた海の中は、青く透き通っていた。光る方を見れば、海と大気との境界に光が溢れていた。空から金色の粒子が降ってきて、スービエとボクオーンの姿がぼんやりと浮かび上がる。
辺りを見渡す。色とりどりの魚、緑が濃い海藻。全てが夢の世界のようで、息を呑んだ。
――これがスービエが見ている世界なのか。
その美しさに見とれるようにぼんやりとしていると、至近距離にスービエの碧い瞳が現れ、そっと優しく細められた。愛おしさに溢れているその表情に、どきりとする。
『可愛い顔してる』
お前の頭の中はお花畑か。そう突っ込む前に、吐息を重ねられた。長い口付けに、ぐらぐらと眩暈がしてくる。口から溢れた空気が気泡となって空へと昇っていった。
『長い』
ようやく解放されて、文句を言う。
スービエはニヤリと不敵に笑い、頬に唇を寄せた。
『必要な儀式なんだよ。頻繁に空気を送らないと溺れるからな。さて、そろそろ上がるか』
捕まっていろと指示を受けて、ボクオーンはしがみつく腕に力を込めた。
魚のように水をかいてスイスイと泳ぐ。ボクオーンを抱えていることなど意に介さずに、自由に水の中を進み、水面へと出た。
外気を浴びてようやくひと心地つく。大きく息を吸って吐いて。こんなに空気のありがたみを感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
「助かりました」
「別に構わんが。……なんで溺れてたわけ?」
お前のせいだ、と言いたい。
だがそれを語りだすと、ボクオーンがほったらかしにされて、拗ねていたことにも言及が必要となる。
思わず言葉に詰まって、どう誤魔化すかを考えた。
ふいに冷たい風が吹いた。
ぶるりと背筋が震える。ずっと海底にいたために、体が冷えたのだろうか。
「……波が出てきたな」
そう呟いたスービエの碧い瞳がキラキラと輝いていた。
良い波が来そうだ。
スービエはそう言って、ボクオーンを近くの島に連れて行った。
波打ち際にボクオーンを置いて、スービエは海に帰っていった。
ここにきてまた放置か、と思わないこともない。だが怒っても仕方がないので、木陰に入って膝を抱える。
目視できる距離で、スービエはサーフボードにもたれながらぷかぷかと浮いていた。波を待っているのだろう。
しばらくすると、彼が言った通りに波が高くなってきた。だが、彼はまだ動かない。
ボクオーンはスービエの体が波で上下するのを、ぼんやりと眺め続けた。
そしてようやく、スービエが沖に向かって漕ぎ出した。
ボクオーンは立ち上がり、彼を追いかけるように駆け出した。
波の壁がみるみる高くなり、スービエのことを押し上げる。
スービエはサーフボードの上にすっと立ち上がった。不適な笑みが彼の口元に浮かぶ。
高い波の斜面を滑り降りていく。青くて大きな空を背景に、白い飛沫を上げながら波の上を滑った。鋭い軌跡を描き、自由に、大胆に、そして繊細に。
無造作に括られた緑色の髪が風を受けてたなびいた。
雄大な自然と一体となり、彼は大海原を駆ける。
ボクオーンは立ち止まった。瞬きをするのも忘れてその光景に見とれた。
美しい、と思った。
彼自身も。彼とともに在る海も風も、全てが美しい。
だけどそれ以上に、真剣な中にも楽しくて仕方がないといった様子の彼が、良いなと思った。理屈ではなく、その言葉が心にすっと落ちてきた。
スービエは砂浜に戻るなり、サーフボードを投げ捨ててボクオーンに駆け寄ってきた。
昂る気持ちを抑えられないといった様子で、ボクオーンのことを抱きしめる。
「良い波だったろ、見たか?」
いつもどこか余裕がある表情の彼にしては、無邪気な顔をして笑っている。
ボクオーンは思わず吹き出して、
「ええ、とてもよかったですよ」
と返して、笑った。
無人島でボクオーンとスービエは穏やかな時間を過ごした。
波打ち際を並んで歩いたり、ただ寄り添って潮騒に耳を傾けてみたり。
ずっと二人の時間を過ごしたい気持ちはあったが、帰る時間もある。後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、二人は無人島を後にした。
ボクオーンはサーフボードにしがみつき、スービエがそれを押す。
元いた浜に戻ると、白い砂浜にはロックブーケとワグナスが立っていた。
「ボクオーン!」
切羽詰まった様子でワグナスが叫び、駆け寄ってくる。その後ろでは両手で顔を押さえてロックブーケが泣き出した。
「ボクオーン、生きていて良かったぁぁ」
ボクオーンとスービエは顔を見合わせた。
ぱちりと瞬きをして、この状況はなんだと考え、気付いた。一瞬で顔が青ざめる。
「皆、君が溺れたと思って探していたのだ」
スービエに助けられたことで忘れていたが、そういえばボクオーンは溺れかけていた。だいぶ流された上に、しばらく海中遊泳を楽しんでいたので、顔を出した位置は遥か遠くだ。浜にいた仲間はいつまでも浮いてこないボクオーンが溺れたのだと心配したのだろう。
「どうした?」
スービエに問われて、ボクオーンは彼を仰ぎながら答えた。
「大体あなたのせいなのですから、大人しく叱られてください」
自由なのが彼の良いところだけれども、多分ちょっと自由すぎたのだ。そして、いつの間にか自分もそれに感化されていたらしい。
振り回されっぱなしで腹が立つことが多いが、それでも、そんな彼が好きなのだから仕方がない。
疑問符を浮かべるスービエに、ボクオーンは苦笑を浮かべたのだった。