責任だけでは終われない
5(ボクオーン視点)
「そんでお前ら、一緒に寝たの?」
白いテーブルクロスが眩しく輝く。その上にはパンとベーコンと目玉焼き、サラダにスープといった、少し豪華な朝食が並んでいた。
朝、使用人が一斉に部屋へ入ってきて、朝の身支度を整えられた。
ここで揉めるのも面倒なため、ボクオーンは素直に従って着せ替え人形になった。
赤い煌びやかなワンピース姿のボクオーンが部屋を出ると、廊下に控えていたワグナスが手を差し出してきた。
ワグナスは長い豊かな黒髪を後ろで結び、レースのクラバットを巻いた貴族装束に身を包んでいる。貴族としては控えめな装いだが、彼のような美形でスタイルのいい人間が身につけると、眩しすぎる。
エスコートをされたまま、食堂へと移動した。
女性扱いなんてされたくないのに、なぜか胸がざわついた。重ねた手が、熱を帯びる。
彼には文句を言いたいことがたくさんあった。『責任』と言えばなんでも許されると思うなよ、とか、善意で人を追い詰めるのはやめろとか。
だが、人の良さそうな微笑みを向けられると、何も言えなくなってしまう。今まであまり自覚はなかったが、自分は彼に甘いのかもしれない。
食堂を訪れると、すでに席にはスービエが座っていた。
「やはりお前の仕業だったのだな、スービエ」
ワグナスの口から呪詛のような低い声が漏れた。
スービエは「長の命令だから」と言い訳はしていたが、悪びれない笑みを浮かべていた。
そして、三人で朝食をとっていたところで、スービエからの忌々しい質問である。
ワグナスは不快に眉を寄せ、ボクオーンは表情を変えないままスービエへと視線をやった。
「あなたが望むようなことは何も」
「同じ布団で寝た」
ほぼ同時に告げて、互いを見る。
フォークを握るボクオーンの手が震えた。
――ワグナスめ、余計なことを。怒りに目を鋭くすると、ワグナスは眉間に皺を寄せ、身を強張らせる。怒られるのを待つ子供のようだ。
素直なのは彼の美徳だが、今後のためにも少し教育が必要そうだ。
「含みなどなく、文字通りの意味で清く正しく寝ただけですよ」
事実のみを告げ、ボクオーンはミルクを飲んだ。
ほんの少しだけ、ワグナスが誘ってくるかもしれないと警戒をしたが、杞憂であった。さすがは品行方正で、俗世の欲などとは無縁そうな男だ。
「ほうほう。面白いことになってるじゃん」
スービエはニヤニヤと笑いながら、パンを頬張る。
「今はタームの件で手一杯だ。正式な婚約の手続きはその後だ」
ワグナスは毅然と告げて、食事を再開する。
昨晩、使用人達が不在だったのは、一族の長の命だったらしい。実行役として間にスービエが入っていたようだった。ワグナスは怒りの矛先を収め、使用人にはお咎めなしだった。
「今度は逃げられないように、とっとと手をつけておけよって、ワグナスの親父さんが言ってた」
「……スービエ、怒るぞ」
ワグナスはスービエを睨みつけたが、対するスービエは口元に軽薄な笑みを貼り付けたままだ。
「ボクオーン、ワグナスは仕事に熱中すると寝食すらも疎かになる。嫁としてそこを管理するのは、お前の役目だ。よろしくな」
「まだ嫁ではありませんが、ワグナス殿をサポートできるよう、努めましょう」
よろしくなーと軽く返してくるその態度に含みを感じたが、それを指摘するより先に、ワグナスが問いかけた。
「ところでスービエ。お前は、ボクオーンが女性と知っても驚かないのだな」
「……知らなかったのはお前くらいだぞ、ワグナス。ノエルもダンターグも気付いてたぜ」
「……っな!」
驚愕したのはワグナスだけでなく、ボクオーンもまた同じだった。
男としての振る舞いは完璧だったはずなのに――一体どこでばれたというのだろう。
険しい顔をする二人を見やり、スービエは屈託のない笑みを浮かべた。
「そういうとこ、お前ら本当にお似合いだよ」
朝食の後は自室でくつろいだ。
ワグナスの隣の部屋の客間を整えてもらって、馬車に積んでいた荷物を運んでもらった。
荷を解きながら、ボクオーンは考えた。
「さて、どうするか」
婚約することは一応納得済みであるが、この後どう動くべきか。
まずはターム討伐。それは間違いがない。
そしてワグナスの権力を借りてあれこれするのであれば、まずは妻として、公私ともにワグナスを支える必要がある。執事をはじめとする使用人とも交流し、家の中のことも掌握しておいた方がいい。さらには今のうちから彼の仕事内容を把握し、助言をすることで信頼を勝ち取り、自分の意見を評議会で提案してもらう。そんな筋道を頭の中で描く。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
このまま流れに身をゆだねるのは楽だが、ワグナスに依存するだけなど、自分らしくないではないか。もっと本気でワグナスを飼い慣らすか、または別の道を模索するかすべきではないか。
扉が乱暴に叩かれ、思考が止められた。この叩き方はスービエであろう。
扉を開けると案の定、気安く片手をあげた青緑の髪の男が立っていた。
「嫁としての最初の仕事だ」
「まだ嫁ではありません」
異議を唱えたが、どうせ耳を右から左へ通り抜けていったのだろう。
スービエに促されるがままにワグナスの部屋に入る。応接間には彼の姿はなかった。
「昼食の時間だが、ワグナスが出てこない。引きずり出すぞ」
「食事の声掛けくらい、使用人に任せればいいのではありませんか?」
「ワグナスの仕事部屋は秘匿情報が多いから、使用人は出入り禁止なんだよ」
スービエは無造作にワグナスの仕事部屋の扉を開いた。ノックぐらいしろと心の中で注意をする。
照明の光が目を刺した。昼間なのに部屋の天井の照明がついており、風が入ったことで舞い上がった埃が、光を浴びてキラキラと輝いている。
カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の端に、ワグナスは座っていた。
彼の姿が輝いて見えるが、埃の効果だ。ありがたくない。
「なんですか、この部屋は……」
呆然と、ボクオーンはつぶやいた。
床一面に紙が散らばり、足の踏み場がなかった。天井まで続く書棚からは適当に積み重なった本が溢れ、ワグナスが書き物をしている机には彼の姿を隠すほどの本が積まれている。
そこは一言で表せば、汚部屋だった。
「ん? ワグナスの仕事部屋だ」
「そんなことは分かっています!」
苛立ちがそのまま言葉に出ると、さすがのスービエも肩をすくめてみせた。
ボクオーンは足元に落ちている紙を手に取った。複雑な術式は、ボクオーンが知っているものではないし、読み解くこともできない。別の紙には何かの装置の設計図が。さらには星詠みの記録まで、様々なデータが無造作に散らばっている。
「落ちているのは不要になったもんだから、時間があるときに俺がまとめて捨ててる」
「それくらい、自分でやるべきなのでは?」
「……それはごもっともだが、ワグナスにも世界にも、時間はないからな」
ぴくりと、意図せず肩が揺れた。
スービエの口元は笑みを形作っていたが、瞳はその碧色と同じで冷めた光をたたえていた。
――世界は滅びに向かっている。
その噂は聞いたことはある。気候の変動や魔物の襲撃が重なり、悲観する民の嘆きがその話を広めていた。
ボクオーンは伝手を頼って情報を集めたが、結局真偽は確定できなかった。
だが、ワグナスはこの国の中枢と関わりがある者だ。彼であれば正確な情報を持っているはずだ。
「スービエ、余計なことを言うな」
威圧するような低い声が耳に届いた。びりりと空気が震え、ボクオーンは緊張に喉を鳴らした。
しかし隣に立つ男は軽薄な笑みを浮かべ、自然体のままだ。
「飯だぞーの声は聞こえないくせに、都合のいい耳だな」
「目の前で機密事項を漏らされていれば、注意しないわけにはいかないだろう」
ため息交じりに告げ、ワグナスは散り積もる紙を器用に避けながら優雅に歩いてくる。
「嫁にもらうなら、遅かれ早かれボクオーンも知ることになる」
「その時期を判断するのはお前ではない」
目の前に立ったワグナスは、険を含んだ表情をしていた。しかしボクオーンへと視線を滑らせた彼は、少しだけ目元を緩めて苦笑を浮かべる。
「君であれば多少は把握しているだろうが、聞いての通りだ。私に与えられた任務は、天変地異の脅威を回避すること。今は転移装置の開発を指揮して皆を異世界に逃がそうと画策中だ。……細かいことは、おいおい話していこう」
転移装置を開発しているという情報はもちろん掴んでいた。だが、それほどまでに切羽詰まっているというのか。
同じ一族であるスービエはともかく、他の仲間たちは知っているのだろうか。――ワグナスはノエルを信頼しているから、彼には話しているかもしれない。
だが、共に戦う自分には何も知らされてはいなかった。自分はターム討伐の作戦参謀として参加しているのだから、違う分野の話をする意味はないと判断されたのだろう。
だが、それでも――。ボクオーンは無意識のうちに奥歯を噛みしめた。
ワグナスは性別にかかわらず、ボクオーンの知略を認めてくれた存在だ。だから勝手に浮かれて、彼にとって特別なのだと期待してしまっていた。
冷静に考えれば、付き合いの浅い、胡散臭い自分に機密情報を漏らすはずがない。付き合いも信頼の度合いも、ノエルやスービエとは比べるまでもない。彼らの方がワグナスの中心に位置しているのは当たり前だ。
頭では分かっている。だがその事実は喉に突っかかって、うまく飲み込むことができない。
だけど灰色の瞳が優しく向けられるから、ボクオーンは不満を言うこともできず、頷くことしかできなかった。
ワグナスも頷き返して、ボクオーンの頭に手をのせた。その体温に、強張っていた体から力が抜けていく。
「今日はこちらの報告書をまとめねばならないので、対タームの作戦案は君に任せるよ」
言いたいことだけを言って、踵を返していくワグナス。揺れる黒髪が視界に入り、ボクオーンは我に返ってワグナスの腕にしがみついた。
驚くように目を見開くワグナスを見上げ、ボクオーンは抑揚なく告げた。
「昼食の時間です。このまま食堂へ向かいましょう」
「……いや、今は仕事がまだ残って……」
「あなたも戦場に出て戦う戦士ですよね。ならば体が資本です。三食栄養のバランスが取れた食事をする必要があります」
男だと思われていた数日前であれば、あっさりと手を振りほどかれていただろう。だがワグナスは意外と女性には強く出られないし、ましてや縋りついている自分は一応の婚約者でもある。
困ったように視線を泳がせるワグナスを引っ張ると、彼は眉間にしわを寄せた難しい顔をしたものの、素直に従った。
よし、これで使用人たちの心証は良くなるはずだ。ボクオーンは内心で拳を握った。
すると、それを見ていた隣に立つスービエは声をあげて笑い、
「やっぱお前ら、お似合いだわ」
と、本日二度目になるコメントを発していた。