責任だけでは終われない

4(ワグナス視点)


 互いの両親が何をするかわからない状況の中、ボクオーンを一人にすることは憚られた。馬車の中で相談をした結果、ボクオーンが滞在していた宿を引き払い、ワグナスの屋敷に向かうことにした。
 ボクオーンほどではないが、ワグナスも一族と関係は良好とは言えないため、生家を出てこの屋敷で暮らしている。
 
「ここが我が家なのだが、……様子がおかしいな」
 屋敷に着き、見上げた建物に違和感を覚える。門の前の篝火が消えているだけではなく、窓から漏れる灯りが皆無で、人の気配がない。
「君は馬車で街に戻っていてくれないか?」
「嫌です。仮に、これがあなたの実家の仕業だとしたら、一人で街に戻る方もリスクが高いでしょう」
 それは確かに一理あると納得せざるを得なかった。
 彼女の実力はワグナスも十分に知っていたので、二人でそれぞれの獲物を手にする。
 馬車に明朝まで町で待機をするように言い含め、逃した後、二人は屋敷へと足を踏み入れた。
 常であれば、どんな時間に帰宅しようが出迎える執事や使用人の姿がない。やはり異常事態のようだ。
 手のひらに出した光球の明かりを頼りに、廊下を進む。
 普段、執事たちが滞在する部屋には鍵がかけられ、状況もわからない。
「密室殺人ミステリ小説的な展開ですね」
「そういう不安を煽るようなコメントは、控えてもらえないだろうか」
 ひとつひとつ確認をしていったが、どの部屋にも鍵がかかっていた。これはどういう状況なのだろうか。
 三階のワグナスの自室に来た時、ようやく進展はあった。部屋の扉に紙が張り付いていたのだ。
 その紙に書かれている文面を要約すると、『ワグナスの実家から呼び出されたので使用人一同は本家に行く。客間の用意はできなかったので、お客様はワグナスの部屋でもてなしてください』というような内容だった。
 そして『今晩は二人きりなので、仲良くお過ごし下さい』という、締めの文言の筆跡には見覚えがあった。
 ワグナスはその紙をくしゃりと握りつぶした。
 両親の差し金だろう。そして、実行役は確実にスービエだ。彼は実家を飛び出した身の上であるはずなのに、今回は随分と従順なようだ。
「客間の扉を破壊しよう」
 いつ来客があってもいいように部屋自体は整っているはずだ。
 しかしボクオーンは首を振った。
「使用人から私への心証を悪くさせないでください。ソファでも貸していただければそこで寝ますよ」
「女性をソファで寝かせるわけにはいかない。ソファで寝るならば私の方が!」
 聞いているのかいないのか、ボクオーンは勝手に部屋に入っていく。
 ワグナスの私室は、入るとまず応接の間があり、左手に寝室、右手に仕事部屋がある。応接の間と寝室は使用人が整えてくれているため、滞在するのに問題はないだろう。
「数日前まで男扱いだったではありませんか。床で寝ていても気にしていなかったくせに」
「女性と知ってしまったからには、礼を尽くさせてくれ。それに、君は実家に戻って心身ともに疲れているだろう。……使用人が整えてくれているので、不快な匂いなどはないとは思うが、気になるだろうか?」
 肯定されたら少し落ち込むなと思いながら問うと、ボクオーンは慌てた様子で首を振った。
「そんなことはありません。ただ、ここはあなたの部屋で、私にとってあなたはリーダーだ。そんなあなたを差し置いて、温かい布団で寝ることはできないという理由です」
 生理的嫌悪感があるわけではないことに、そっと安堵するワグナスであった。
 だが問題は何も解決していない。
 ボクオーンもワグナスも弁が立つ方なので、互いに理由をこじつけて相手をベッドで寝させようとする討論が始まった。不毛の極みである。
 十数回やり取りが続いた後、ワグナスはため息をつきながら提案をした。このように言えば、彼女も折れるだろうと踏んでいた。
「ならば、一緒にベッドで寝よう」
「なんですと!?」
 ボクオーンは固まった。目を見開いて口を引き結ぶ。かと思えばみるみる頬を染め、何かを言おうとして口を何度か開け閉めする。
 あの策士ボクオーンが言葉を失って動揺する様は、珍しい。
 疲労困憊なワグナスも、普段は屈強な精神が緩んでいるのか、その初々しい反応に鼓動が高鳴った。抱きしめたい衝動が沸いてしまう。
 むろん、そんな行為は彼女からの信頼を裏切るものなので、理性を総動員させて、邪な気持ちを抑えたが。
 さて。否定して折れるのを待っていたワグナスだが、彼女の結論は予想外であった。
「分かりました。一緒に寝ましょう」
 ワグナスが思うよりもはるかに、彼女は負けず嫌いなのかもしれない。
 提案した手前受け入れるしかなく、ワグナスは頷いた。
 優秀な使用人が体を拭う準備をしてくれていたので――しかも桶はちゃんと二つあった――ワグナスは応接の間で、ボクオーンは寝室で就寝の支度をした。
 体を拭いながら、これはきっと初夜を想定して用意されたものなのだろうと思ってしまう。
 理知的な鋭い眼差しですべてを見透かし、策を企てる、そんな自信にあふれた彼女の表情は美しい。しかし彼女の実家で手を引いた時の顔は、張りつめた糸のように今にも擦り切れてしまいそうで、守ってあげたいと思ってしまった――と、今はそんなことを考えるべきではないと、慌てて頭を振った。
 寝巻に着替え、手持ち無沙汰になった間に未処理の書類に目を通していると、寝室から自分を呼ぶ声が聞こえた。
 緊張に汗ばむ手で寝室の扉を開く。
 ベッドの端にボクオーンはちょこんと座っていた。足までを隠す白いワンピースは使用人が用意したものなのだろう。ワグナスの寝巻のデザインと同じものだ。
 ボクオーンは普段黒を基調とした装いをする印象が強いため、清楚さを際立たせている。
「その掛布団は君が使ってくれ。私は毛布を使う」
 ワグナスは窓側からベッドに入り、体を横たえた。衣擦れの音が耳元で聞こえ、ボクオーンがワグナスとは逆の隅に丸くなる気配を感じる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 挨拶をして、目を伏せた。
 だが、眠れるはずなどなかった。女性と同じベッドの上で安眠できるはずがない。
 目を開くと、カーテンの隙間から闇がのぞいていた。
 闇は癒しだ。高ぶった心を落ち着けてくれる。
 背後からすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。
 しばし迷って振り返り、顔を覗き込むとボクオーンは熟睡しているようだった。よほど疲れていたのか、単に図太いだけなのか。
 普段の理知的で、何かを計算高く企んでいる表情とはうって変わり、無防備であどけないものであった。
 まとまらない感情が頭の中に広がっていくが、ワグナスはそれらを追い出した。
 ワグナスは元の位置に転がり、目を伏せた。
 頭の中で羊を数えるが一向に眠気はやってこない。それでもワグナスは必死で羊の数を数え続けたのだった。


 鳥の鳴き声が聞こえる。
 瞼の向こう側は白で塗り替えられていて、朝の訪れを知る。
 心が穏やかだった。柔らかくて温かいものに包まれて、心地がいい。
 その違和感に気付いた瞬間、かっと目を見開いた。最初に視界に飛び込んできたのは白い布だ。そして頬に感じる柔らかなふくらみ。
「何が起こっているのだっ」
 悲鳴が漏れそうになるのを、必死で飲み込んだ。
 ワグナスはボクオーンに抱きしめられていた。ワグナスはほとんど移動していないので、意外とボクオーンは寝相が悪いのかもしれない。
 そっと抜け出そうとして、はだけた右肩に盛り上がっている薄い赤色の傷跡が目に入った。
 自分をかばったせいでできた傷だ。実の親に醜いと罵られ、彼女自身の価値がないとまで言わしめてしまった。
 すべて自分のせいだと、奥歯を噛みしめる。
 確かに見た目は醜いかもしれない。だがこれは彼女が身を挺してワグナスの命を守ってくれた証だ。やるせなさと一緒に、愛おしさが込み上げてくる。こんな傷があろうがなかろうが、彼女はとても美しい。
 撫でようとして、思いとどまる。女性の体に気やすく触るべきではないと、理性が止める。
 しかしふいに、馬車の中で彼女が浮かべた屈託ない笑顔が脳裏をよぎる。
 胸の奥がざわめいて、罪悪感の中に別の何かが雫となって一滴混ざる。そして、気づいた時には傷跡に唇を寄せていた。
 ――何をしているのだ!
 ワグナスは自らを叱咤しながら、慌てて距離を置こうと、無理矢理ボクオーンの腕をほどいた。
 ――その時、彼女の瞳が開いた。
 外から入ってくる日の光を受けた瞳がキラキラと輝く。
 それに魅了され、呆然と見つめる。その純真な輝きが鏡のように自分を映し、やましい気持ちを抱いていた己を恥じた。
 慌てて後ずさる。
 体を支えようとした手が空気をかき、支えを失ってベッドから転がり落ちた。
「ワグナス殿!?」
 ボクオーンの悲鳴が朝の静寂を破る。
 ベッドの上から心配そうに覗くボクオーンは、いつも通りの平坦な表情をしていた。
「はは……大丈夫だ」
 本当は腰がとても痛かった。だがそれを悟らせるのはプライドが邪魔をして、ややひきつった笑みを浮かべる。
 ボクオーンは不思議そうに瞬きをしていたものの、特に何かを感じた風もなく「おはようございます。意外と寝相が悪いのですね」とあいさつをしてきた。
 「寝相が悪いのは君の方だ」、という一言は飲み込んだ。
「ああ、おはよう」
 彼女には異性として認識されていないのかもしれない、と直感した。それが少しだけ面白くないと思ってしまったが、ワグナスは気づかないふりをした。
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