責任だけでは終われない

2(ボクオーン視点)


 ワグナスの求婚から三日が経った。
 あの日の作戦自体は成功したが、結局クイーンの居場所もわからないまま。タームの殲滅という最終目標を考えると成果は不十分だった。
 無意識のうちに右の肩に触れる。
 指にわずかに引っかかる傷跡。これは全て自分の油断が招いた事態だ。敵に囲まれ、リーダーであるワグナスを命の危機に晒した。その挽回のために、敵を力で制圧することすら、ボクオーンは失敗してしまった。その代償がこの傷跡であるのならば、安いものだ。
 扉がノックされる。
 応対に出ると、宿の主人から手紙を渡された。礼を告げて見送った後、その宛先を見るために封筒を裏返し、思わず舌打ちをした。
 視界に飛び込んできたのは、嫌悪する家紋の封蝋だった。
「今さら何の用だ」
 忌々しげに吐き捨て、ボクオーンはその封を切った。
 

 王都の外れに位置する狭い屋敷は、相変わらず陰気な空気を醸し出していた。
「まだ生きていたのか」
 七年ぶりに見る父親の第一声だった。
 鋭い金色の瞳にはボクオーンを侮蔑する色が含まれている。隣の母も似たようなものだった。年の離れた弟はぼんやりとした面持ちで、両親に挟まれて座っていた。
 対するボクオーンは優雅に一礼をした。喪服のような黒いワンピースに同色のヒール付きの靴を履き、付け毛を一つにまとめて頭の上に結い上げた女性の装いをしている。嫌味な家族からの悪態のネタは少しでも減らしておきたい。
「ご無沙汰しておりました。何かご用がおありでしょうか?」
 抑揚なく事務的に問いかけると、母が口元を扇で覆いながら嘲るような笑みを浮かべた。
「政略結婚が嫌だと家を出て行ったあなたが、よもや、大貴族の御曹司を引っ掛けてくるなんて。その貧相な体で、どんな色仕掛けをしたのだか。……まあね、あなた、顔だけは私に似て美形ですもの」
 きつめの目元と整った顔の造りは、確かに母親似なのだろう。忌々しいことに。
「お顔については、昔から余計な評価を頂くことが多いようでして。……お母様のおかげですね」
 艶やかに微笑む。しかし、その目の奥は冷え切っていた。
 ボクオーンは手のひらを握りしめた。爪が食い込み、血が滲む。
 ――やってくれたな、ワグナスめ。
 脳裏に浮かんだ端正な男の顔に、拳を叩き込みたい気持ちでいっぱいだった。
 ワグナスは貴族の娘を娶るための正式な手順を踏んだのだろう。貴族としてはそれが正しい。だが、家と縁を切っていたボクオーンに対しては最悪の一手だ。
 そもそも、彼はボクオーンが貴族だと気づいていたのか。ボクオーンを信頼していると見せかけて、裏では出自を探り、警戒していたというのか。
 つきん、と胸の奥に痛みが走る。
 今までワグナスに抱いていた高潔なリーダーとしての印象も、彼に抱いていた信頼も好意も、すべてが掻き消えていく。
「聞いているのっ」
 ヒステリックな金切り声に、ボクオーンはうんざりしながらため息をついた。
 馬鹿馬鹿しくて何も聞いていなかったが、それをわざわざ告げるのも新たな火種を投げ込むだけだ。
「聞いていますとも。ですが、私はこの家を勘当された身ゆえ、誰と婚姻を結ぼうがあなた方には関係ないでしょうに。そもそもの話、婚約をした覚えがありません」
 父親が立ち上がった拍子に、がたっと音を立てて椅子が倒れた。
 怯える母と弟を視界の片隅に映しながら、ボクオーンは近づいてくる父を静かに見つめた。肩をいからせて威圧してこようとするが、日ごろ屈強な戦士たちに囲まれているボクオーンが臆することなどない。
 伸びてきた腕が、荒々しくボクオーンの襟を引っ張った。甲高い音とともに衣服が裂かれ、白い肩がむき出しになる。
 母の悲鳴が響く中、ボクオーンの手は反射的に肌を隠そうとしたが、拳を握り締めることでなんとか堪えた。こんな奴らに動揺など見せてやるものか。この虚勢だけの小さくみじめな奴らなど、いつでもつぶせる。そんな奴らの行動に反応なんて――。
 ボクオーンは静かに目の前の男を見つめた。
 血が繋がっているだけの無作法な男は、露わになった傷口を不躾に見下ろし、嫌悪感を露わにするよう顔をしかめた。
「大切な一人娘の体にこんなに醜い傷が付き、価値をなくされたんだ。莫大な慰謝料とともに、責任を問うのは当然の権利だ」
 道具扱いされることは昔からだったので、今更傷つきなどしない。こんな奴と血がつながっている事実に虫唾が走るが、短絡的で身勝手な彼らにはむしろ憐れみさえ覚える。
「失礼」
 部屋に凛とした声が響き、ボクオーンは振り返った。
 入り口から歩いてきたのはワグナスだった。いつも険しい表情をしているが、眉間のしわはいつになく深く刻まれている。
「ワグナス殿……」
 なぜここにと問う前に薄緑色の羽織を頭からかけられ、視界が覆われた。
 肩を掴まれ、彼の手元に引き寄せられる。その手のひらの熱さが胸にしみ、何故か目頭が熱くなった。――羽織で顔が隠れていてよかった。
「婚姻については、後日改めて話をさせてくれ。今日のところはご息女と一緒に失礼する」
 怒りを滲ませた強い口調で言い切り、ワグナスはボクオーンの手を引いて歩きだした。
 両親が声を上げたが、ワグナスは鋭い一瞥をくれる。その体から鋭い殺気が迸る。父は情けない声をあげてその場にへたり込み、ボクオーンですらも背筋が冷えた。ワグナスは珍しく、心の底から怒っているようだ。
 ボクオーンは引きずられるがままに屋敷を出て、門の前に控えていた馬車に乗り込んだ。
 馬車が走り出す。
 ボクオーンはワグナスと対面で座り、椅子に伝わる振動をぼんやりと感じていた。
 聞きたいこともあるし、何より勝手なことをするなと責めたい気持ちもある。
 だが、久々に両親と対面したことで体も心も疲労していた。ボクオーンは胸の前で合わせたワグナスの羽織を握りしめ、馬車の床に視線を落としていた。
 その視界に、黒い髪が流れるように飛び込んできた。
「すまない」
 顔を上げると、ワグナスは深く頭を下げていた。
「最初に君と話そうとは思っていたのだ。だが、家のあれこれがあるので、身分がない娘と婚姻を結ぶための手続きを執事に確認した結果、その情報が実家の両親と、さらに君の実家にまで伝わってしまった。我が家の人間の独断のせいで、君には迷惑をかけた。本当に申し訳ない」
 大きく瞬きをして、ワグナスの言葉を頭の中で反芻する。
 ワグナスはボクオーンが貴族であることを知らなかったのか。――すっと、胸が軽くなるのを感じた。
「ワグナス殿のご両親の暴走だということは理解しましたが、なぜこんなに急展開になったのでしょう」
「それは……一族が、私が興味を持った女性を囲い込もうと必死のようだ」
「そもそもの疑問だったのですが。あなたほどの立場であれば、婚約者くらいいるのではありませんか?」
 ワグナスは口を堅く引き結び、ばつが悪そうにそっと視線を逸らした。
 そんな反応をされると、気になってしまうではないか。答えを請うように待つと、観念した彼は情けなさそうに告げた。
「……仕事を優先し、便りも出さずに放置した結果、破談になった」
「どのくらい放置したのですか?」
「最長で一年くらいかな? それが三人も続き、それ以降は見合い自体を断っているので、両親も躍起になっているのだろう」
 絶句して、その先の言葉に迷う。
 ワグナスといえば女性からの人気も高い、将来有望な神官だ。容姿端麗、背も高く、剣技も術も達人級で、だからと言って奢るわけでもなく、身分にかかわらず誰に対しても優しく思いやりがある。
 その彼が、三人の婚約者に逃げられているだなんて――
「ふふっ」
 思わず笑みがこぼれた。
 ワグナスは口元をわずかに引きつらせて、頭を掻きながら窓へと視線を反らした。
「参ったな」
 そんな様子にひやりと冷え切っていた心に血が通ってくるのを感じた。なんだか楽しくなってきて、ボクオーンはついには声を上げて笑い出した。
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