責任だけでは終われない
10(ボクオーン視点)
扉が閉まる音が聞こえて、意識が覚醒する。
――だるい。
最初に感じたのは、体の重さだった。もう少し寝ていたいと、ふかふかの布団に顔を埋め直す。
正直、体は絶不調だったが、心は軽く、温かいもので満たされていた。
やっとのことで重たいまぶたを開いたボクオーンの視界に入ってきた部屋の景色は、見慣れない物だった。大きなベッド、部屋の反対側の机上には紙の束が積み重なっている。
黄色のカーテンから漏れる光は赤みを帯びていて、今は夕方なのだと知れた。
足音が聞こえたので視線を移すと、書簡を抱えるワグナスがいた。彼はそれらを無造作に机に乗せる。
それはダメだろうと思っていると、案の定机の上で雪崩が起き、乾いた音を立てながら紙が床に落ちていく。
ワグナスは慌てた風もなく、何かの書類を拾うと読み始めた。
「青い紐で括られている方を先に処理したほうがいいですよ」
床の上にぶちまけられた書類を見て、ボクオーンは告げた。それはボクオーンが評議会に提出した物だった。急ぎの案件だったので、戻ってきたのであれば修正をして再提出した方がいい。
「体は大丈夫か?」
「はい。眠ってしまったようで、申し訳ありません」
「いや、ほとんど寝ていないよ。……その、私が原因でもあるので、ゆっくり休んでくれ」
ワグナスは頬を染めながら、青い紐の提案書に視線を落とした。
先ほどまでの記憶が蘇り、ボクオーンにも照れが伝播した。熱くなる顔を手のひらで覆い、俯いた。
落ち着きないそわそわとした様子のまま、ワグナスは書類を読んでいる。
内容が気になったボクオーンはそばに寄ろうと立ち上がり――一歩を踏み出そうとした瞬間、腰が悲鳴を上げた。さらに足に踏ん張りが効かず、その場にぺたりと座り込む。
――なんだこれ!
衝撃を受けて内心で叫んでいると、慌てた様子のワグナスが駆け寄ってきた。
「無理をしないでくれ」
「大丈夫です。それより、内容が気になります」
手を借りて立ちあがろうとするが、ワグナスは眉間に皺を寄せてため息をついた。
ふわりと体が持ち上がる。
「わっ」
ワグナスはボクオーンを横抱きにして、机へと歩いていく。間近に迫るワグナスの端正な顔に胸がときめいてしまって、距離を空けようともがいた。
「大人しくしてくれ」
「顔が、近い!」
「何を今更。先ほどはもっと……」
「思い出させないでくださいっ」
真っ赤になりながら抵抗したが、体格も力もワグナスには敵わず、されるがままになる。
全部ワグナスのせいだ。彼がしつこく迫ってくるから、こんなに疲労困憊になった。愛していると言えば許されると思うなよ、と胸中でうめく。そしてベッドの中での熱っぽい瞳と、低く聴き心地のいい囁き声を思い出して、悶えた。
ワグナスは穏やかに微笑みながら椅子にボクオーンのことをおろし、青い紐の書類を手渡してきた。
ボクオーンは唇を尖らせながらそれを受け取り、中身を検めた。
長い髪が視界の端で揺れた。
ボクオーンの肩に手を置いたワグナスが手元を覗き込んできた。
「いつもの評議会の言い分だな。自分たちに利がないことには、腰が重い」
「とはいえ、ここを突破されると王都自体の防衛が困難になります」
どうにかして彼らを頷かせたいが、どうすれば。
考えながら、なんとなく机上に散らかっている書類を整理し始める。
書類の間に挟まっていた白い封筒。そこに押されている封蝋は実家のものだ。つまみ上げてワグナスを振り返ると、彼は苦虫を噛み潰したように口端を歪めた。
ボクオーンはそっと息を吐いた。
この様子では、ボクオーンが知らないところで何通か手紙が来ていたのだろう。
「半ば縁を切っているとはいえ、身内が大変失礼をいたしました」
「いや。私は構わないのだが……」
あまりボクオーンには読ませたくない内容なのか、ワグナスは封筒をボクオーンの手から抜き取った。
しばし悩むように視線を落とし、彼はため息をつきながら真っ直ぐにボクオーンを見つめてくる。
「君が苦痛を感じるのであれば、黙らせようか?」
口調こそ優しいが、瞳の奥には冷たい光が煌めいていた。
清廉潔白で汚いことなんて何も知らないような顔をしているくせに、実は権力者としての顔も持っている。――最高だ。
ボクオーンは恍惚とするように頬を染め、ワグナスの腕に頬を寄せた。
「先日されるがままだったのは、状況が分からない中で下手を打って、事態を悪化させたくなかったからです」
一旦言葉を区切る。自立した姿を認めてもらいたいとか、いつか改心してくれることを願うとか、そんな気持ちは皆無だ。可愛がってくれた祖父母や無力な弟はともかくとして、両親に対する情なんて全くない。
無意識のうちに右肩を撫でると、ワグナスの大きな手がそれに重ねられた。その力強さが励ましてくれているようで、傷ついているわけではないのにと苦笑する。
「手紙は無視して構いませんよ。あまりにもあなたに迷惑をかけるようでしたら、自ら引導を渡しに行きます」
「それなら良いが……」
ワグナスの手から奪った白い封筒を握りつぶし、投げた。放物線を描いた紙屑は綺麗にゴミ箱へと収まる。
ボクオーンは満足げに口元に笑みを浮かべ、整理した書類の束をワグナスへと差し出した。
「私は提案書を直すので、ワグナス殿はこちらをよろしくお願いいたします」
受け取った資料に目を通しながら、ワグナスは案じるような視線を向けてくる。
「私がやるから、君は休んでいてくれ」
「時間が惜しいですし、リーダー殿にやらせて寝ているのは落ち着きません」
「……君は、仕事中毒気味なところがあるな」
「あなたにだけは言われたくありません」
ため息をつきながら、ワグナスが隣の部屋から椅子を運んできた。斜め前に座る距離感が近くて、くすぐったい気持ちになる。
ワグナスが書類を手にするのを見て、ボクオーンは思考を切り替えた。
問題は山積みだ。
民を救うなんて理想を掲げたこの男を放っておくと、己の身も顧みずに無茶ばかりするだろう。ボクオーンの目的のためにも、利用価値のあるこの男を志半ばで失うわけにはいかない。――滅びに向かうこの世界で、何ができるかはわからないけれど。
一度契約はなくなったが、新たな責任は生まれた。
絶対に彼を勝利に導く。そして、彼を愛し続ける。その責を全うしてみせる。
視線を感じて顔を上げると、眩しそうに目を細めてこちらを見るワグナスがいた。
「見惚れてないで、作業を進めてください」
強がって返すと、彼はやわらかく微笑む。
「そうだな」
窓から差し込む茜色の光がワグナスを染める。燃えるような情熱は、世界を照らす希望の光のようだ。
それがとても美しくて、ボクオーンも微笑みを返した。
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