ワグボクで学パロ!
この感情の名前は
自覚した瞬間、叶わぬと諦めた恋だった。
梅雨が終わり、陽射しが強烈に照りつける季節に移り変わった。
ワグナスはノエルと一緒に帰っていたが、油断して傘を持たずにいたところ、通り雨に遭遇した。
肌にまとわりつく湿った空気に息苦しさを覚えながら、慌てて近くの本屋に駆け込んだ。
雨が止むのを待つさなか、ノエルと共に参考書を見ていると、ガラスの向こう側に折り畳み傘を差した見知った顔が通りかかった。
ボクオーンだ。
その傘の下には女生徒の姿もあった。肩が触れ合うほどに寄り添い、話をしながら歩いている。女生徒は頬を染め、はにかむような微笑みを浮かべた。それに対するボクオーンも、いつもの皮肉めいた顔ではなく柔らかい表情をしていた。
ワグナスは頭を殴られたような衝撃に打たれた。
自分達だけに見せてくれていると思っていたその特別な顔を、見知らぬ誰かに向けている。胸の奥で黒い何かが蠢いた。
呆然とガラスの向こう側を見つめるワグナスと同じものを見て、ノエルは首を傾げた。ワグナスの異変を不審に思っている様子だった。
「あの女生徒は誰なんだ?」
「恋人らしい。同じ園芸部だと聞いたな」
再び衝撃が走った。
ワグナスが知らなかったことを、ノエルは当然のように知っていた。
「俺も先日ばったり会った時に知ったのだ。……今度は長く続くと良いのだが」
聞けば、ボクオーンには過去に何人かお付き合いをした女性がいるそうだが、いずれも長続きはしていないらしい。
三度目の衝撃だ。
そんな話は初めて聞いた。
ボクオーンとは信頼関係があると思っていた。なぜ自分には教えてくれなかったのだろうか。
親しい仲だと思っていたのは、自分だけだったのだろうか。
「お前は……なんというか。こういうことに興味がないように見えるから」
取り繕うように、ノエルが言った。
気付けばボクオーン達の姿は消えていた。それなのに、なぜかそこから視線を逸らすことができなかった。
この日の出来事は、ワグナスの凪いだ水面のような穏やかな心に、大きな波紋を刻み込んだ。
そのまま夏休みに入った。
ボクオーンとは生徒会の仕事で週一程度で顔を合わせるものの、作業をするのみで私的な話はしない。友人達はそれぞれ部活などで忙しくて皆で集まる機会もなく、さらに近所でばったり会うほど家が近くもなく、彼と話すこともなかった。
部活に生徒会活動、さらに塾の夏期講習もあり、多忙な日々を送る中でワグナスは考えた。――あの日の動揺の理由を。
ボクオーンはワグナスの掲げる理想の実現のために誰よりも冷静に道筋を描き、皆が熱くなって走りかけた時に苦言を呈して現実に引き戻してくれた。
そして他と意見が対立した時には、ワグナスや他の仲間に非難が向かないように汚れ役を引き受けた。
感謝をする一方で、その危うさが気がかりだった。
協力者は他にもいる。親友や従兄弟といった、昔から価値観や思想を共有する者達だ。だがボクオーンは違う。彼の思想は自分とは明らかに異なるし、中学からの付き合いだ。それなのに、中学時代からなぜ自分にそこまでしてくれるのか。
与えられたものには返さなければならない。しかし何を返せば良いのだろう。中学・高校と一緒にいて、その答えはずっと出なかった。
そして結局、また同じ問いに行き着いた。彼の献身の理由を。
――そこに、自分でも気付かないうちに、甘えと期待を抱いていたのかもしれない。
自分を見つめ直すため、親戚の寺で座禅を組んだり、滝に打たれたりした。
だがいくら修行をしても、答えは出なかった。
自分のことなのに、ボクオーンに抱くこの気持ちの名前が分からなかった。
夏休みが終わり、新学期が始まった。
あの雨の日にボクオーンと歩いていた女生徒は、最近ボクオーンの近くにはいない。
「夏休みの間に破局したそうだ」
ノエルが教えてくれた。
それを聞いた瞬間、胸がとても軽くなった。
他人の不幸を喜んでいる。――それに気付いたワグナスは深く反省し、滝に打たれて邪念を払おうとした。残暑は厳しいが、水は凍えるほどに冷たかった。
やがて生徒会選挙が始まり、慌ただしくなった。
自らも会計に立候補するというのに、ボクオーンはワグナスのサポートも買って出てくれた。
そんな彼の献身が、心に沁みた。
隣にいてくれることが幸せだと感じた。
怜悧なその瞳が自分以外の誰かを映すだけで、胸の奥でどす黒い独占欲が蠢くのを感じた。
恋とはもっと穏やかで温かいものではないのだろうか。こんな黒い感情はあまりにもかけ離れすぎている。
――これを恋と呼んで良いのだろうか。
だが、今までに経験がないため、この感情に名前をつけることがためらわれた。
無事に生徒会長に就任し、息をつく暇もなく体育祭の準備が始まった。
何かがあったわけではない。
何もなかったわけでもない。
ただ、心は日に日に重くなっていった。ワグナスは日々大きくなる自らの得体の知れない感情を持て余しつつあった。
そして体育祭を間近に控えたある休日に、ワグナスはノエルとスービエをスマホで呼び出したのだった。