ワグボクで学パロ!
解散宣言
青く澄んだ高い秋空の下、校舎全体が熱気に包まれていた。
模擬店から立ち上るソースと焼き菓子の甘い匂い、野外ステージから響く軽音楽部の賑やかな音、そして客引きの威勢がいい声。校舎内外どちらからも生徒達の熱気と興奮の声が聞こえてくる。
今日は文化祭だ。
窓から見下ろせるグラウンドには色とりどりの垂れ幕や看板が飾られ、華やかな装いを見せていた。
その喧騒を背に、生徒会室は静けさに包まれていた。
劇のためにと渡された服は、白地に金の豪華な刺繍が施された上着に、純白のマント。学園祭の出し物とは思えないほどの精巧な作りの衣装だ。
「ワグナス様ぁ〜。サイズはいかがですか?」
部屋の中に誂えたカーテンの、向こう側からロックブーケの声が聞こえてくる。
「ピッタリだ。それにしても、随分と凝っているな。君が作ったのか?」
「手芸部に協力してもらいました。みなさま、ワグナス様の王子様衣装に命をかけるくらいの気合いで、夜なべをしてくださいました」
「大袈裟だな」
苦笑とともにカーテンを開いてロックブーケの前に立つ。彼女はすでに劇の衣装を身に纏っていた。黒衣のドレスは彼女を一輪の薔薇のように気高く美しく彩っていた。
ワグナスの登場に彼女は頬を染め、恍惚とした表情で胸の前で手を組んだ。
「まさに、白馬に乗った王子様ですわ」
ワグナスは流石に気恥ずかしくなって咳払いをした。
ロックブーケは誤魔化すような笑みを浮かべ、印刷したプリントの束を差し出してきた。
「頼まれていたものは、こちらに」
礼を言いながらそれを受け取る。目を通すと、最近増えていたファンクラブ間のトラブルや、他の生徒への嫌がらせなどが一覧化されていた。
「忙しいのに、わざわざすまないな」
「うふふ。ボクオーンが不在なので立候補しただけですわ。この仕事ぶりを評価していただけるのでしたら、ワグナス様の秘書に取り立ててくださいね」
にこりと可憐に微笑むその顔に苦笑を送る。
ワグナスは知らなかったが、ファンクラブが起こしたトラブルの窓口はボクオーンが引き受けていたようだ。彼女達が問題を起こすことはワグナスの責任にもなるからと、教師と連携をとって監視をしていたらしい。
いつだって彼はワグナスの預かり知らぬところで、ワグナスのために動いていた。彼が他人に悪く言われようとも、ワグナスの名誉を守るため、身を粉にして働いていた。それをぼんやりと享受するばかりだった自分が不甲斐なくて仕方がない。
だから、今度は自分自身で決着をつけようと覚悟を決めた。
ワグナスの決意はボクオーンの仕事を横から奪うことでもあった。ボクオーンは自分の描いた道筋に邪魔が入ることを嫌う。ワグナスが行おうとしていることは彼の矜持を傷つけ、そして恨みを買う行為だった。
だがそうであっても、もう彼だけに責を押し付けるのは嫌だった。
扉が叩かれる音が響く。
無言で差し出されたロックブーケの手のひらに紙の束を乗せ、ワグナスは返事をした。
「失礼します。この衣装、少し凝りすぎではありませんか。衣装合わせの時より、さらに装飾が増えていますよ」
文句とともに入ってきたボクオーンを見て、ワグナスは思わず息を呑んだ。
可憐な美女だった。赤色の髪の上から純白のヴェールをかぶり、レースがあしらわれた薄紅色の清楚なドレス姿は儚げながらも、目つきは妖艶で。相反する絶妙な美しさを醸し出していた。
「予算は大丈夫なんでしょうね」
ボクオーンは金色の瞳を鋭くさせ、ロックブーケを問い詰めようとする。
差し込む日光を浴びて輝く彼は太陽よりも眩しく、美の女神も逃げ出すほどの美しさだと見惚れた。――劇の台本を読みすぎたせいで、感化されている自覚はあったが、普段の彼がまとう鋭さが消えた可憐な姿には、どんな言葉であってもその美しさを形容することはできないと思った。
同時に、容姿をいちいち気にしたことはなかったが、ボクオーンは整った顔立ちをしているのだと初めて気付いた。
金色の瞳をワグナスに向けたボクオーンが動きを止める。その頬が瞬時に染まり、瞳が大きく見開かれた。
互いに赤面しながら固まっていたが、ロックブーケの咳払いによって我に返った。
「さあ、開演ですわ」
有無を言わせぬ彼女の言葉に二人は頷き、劇の会場であるホールへと歩き出した。
軽く立ち位置と進行を確認した後、ワグナスは舞台袖から観客席をのぞいた。席は満席。立ち見までいる様子だ。明日と合わせて二回上演予定だが、大盛況のようだ。
ファンクラブの生徒も多くいるし、校長の姿もある。
汗ばむ手のひらを握りしめ、ワグナスは目つきを鋭くした。必ずやり遂げてみせると、心に誓って。
そして、幕が開いた。
劇は、主役の姫が誕生した祝宴のシーンから始まる。
吹奏楽部の演奏の元、煌びやかなビニールテープを翻しながらダンス部員達が軽やかに踊る。
その最中、音楽が途切れると同時にロックブーケ扮する魔女が、さながらミュージカルのように歌いながら登場した。上品な黒の衣装を纏った彼女は、いつもの溌剌とした可愛らしさとは真逆の魔性のオーラを振り舞いている。
優雅に舞い踊っている姿も蠱惑的で、圧巻の歌唱力も加え、会場の皆が一様に彼女に魅了されていた。
魔女が人形の赤子に呪いをかけるシーンが終わり、暗転する。
次のシーンは姫の十六歳の誕生日の日に、姫と王子が出会うシーンだ。童話では百年眠りにつく展開であったように記憶していたが、映画の方を参考にしたらしい。
ボクオーンは普段の鋭い目つきを封印し、役になりきり可憐な姫を演じきっている。なんでも器用にこなすところは、さすがはボクオーンだ。
王子と別れた姫は魔女の策略で糸車に指を刺してしまい、魔女の呪いで眠ることになる。
ロックブーケが生き生きとしているところが印象的なシーンだった。
そして王子は姫の危機を救うため、彼女の眠る城に向かった。
そこに待ち受けていたのは魔女の手下――友情出演の剣道着を身に纏ったノエルであった。そして始まるワグナスとの一騎打ち。
ワグナスも小学生の頃までは剣道場に通っていたため、ついつい白熱するあまり、ノエルが勝ちそうになってしまうなんてハプニングもあったが、ワグナスの付人役のスービエとダンターグの介入でことなきを得た。
そして魔女を倒し、王子は姫の元に辿り着く。
ベッドの上に眠る姫に口付け――当然触れてはいない――をして、目覚めた姫に王子は愛の告白をする。そしてそれを受け入れた姫と王子とで手を取り合いながら歌を歌い、劇は終了となった。
拍手喝采を受けながら出演者が舞台に並ぶ。
ワグナスはそっとロックブーケに目配せを送った。それを受けた彼女は、例の紙の束をワグナスの手に置く。
時間的には五分程度の余裕がある。
閉幕の雰囲気の中、ワグナスはマイクを片手に中央に立ち、観客席を一望した。女生徒達からの黄色い声援が上がる。
「皆様、本日は生徒会主催の劇にお越しいただき、誠にありがとうございました」
予定にないワグナスの行動に、ロックブーケ以外の生徒会メンバーに動揺が走る。それはボクオーンも例外ではなかった。
横目で彼のことを見て口端に笑みを浮かべ、ワグナスは正面に向き直った。
「この場を借りて、私は生徒会長として、そして一人の人間として、皆さんにご理解していただきたいことがあり、時間を設けさせていただきました」
ワグナスの行動の意図を察したボクオーンが駆け寄ろうとして、スービエに止められているのが視界の片隅に映る。事前に相談をしていなかったのに意を汲んでもらったことは感謝の極みだが、後ろから抱き締めていることに対しては後程苦情を述べさせていただこう、とワグナスは心に決めた。
「ここにはこの半年間で、私の『ファンクラブ』を名乗る生徒達が起こしたトラブルのひとつひとつを記されています。これまでも我々生徒会として、水面下で解決に努めてまいりました。しかし先日、いたずらでは済まされない悪質な事例をも発生させてしまいました」
右手に持つ紙を掲げ、ワグナスは続けた。
「『ファンクラブ』の名を借りた無秩序な行動は、学校の品位を著しく損なう行為です。生徒会長として、それは看過できません。私を応援してくださるのなら、その情熱を学校での活動へと向けていただきたい。また、個人的な話で大変恐縮ですが、私が最も信頼する人を傷つける行為は、私に対する最大の裏切りでもあります。私と、私の大切な人の関係を、静かに見守ってくだされば幸いです」
しんと静まり返ったホールを見渡し、ワグナスはそっと息を吐いた。
「私の名を冠した団体としての活動は、これをもって終わりとします。この件については、先生方とも相談して方針を決定しました」
ワグナスは声を高らかに宣言した。
「『ワグナスのファンクラブ』は即刻、解散とします」
悲鳴にも似たざわめきがホールに満ちる。ワグナスはその喧騒の中で、観客席を見渡した。
その視界の隅に、表情なくこちらを見つめるボクオーンの顔が映った。怒りなのか、嘆きなのか、彼の感情は読み取れない。ただ、それが何であっても受け入れよう。
真っ直ぐに前を見据えて口を開くと、徐々に静寂が戻ってくる。
「学校関係者の皆様、先生方および関係のない生徒の皆様。私の名を冠した団体の、一部の行きすぎた行動によって、皆様にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。そして、ファンクラブの皆様には、これまで応援いただいたことに、深く感謝をいたします。ありがとうございました。なお、この場で言及させていただいた悪質な事件については、すでに学校側と当事者間での話は済んでおります。これ以上の詮索は慎んでいただけるようお願いいたします。これからの学校が、互いを尊重し合える場所であり続けることを願っています。……ご清聴、ありがとうございました」
ワグナスは深く頭を下げた。
誰かが手を叩く音が聞こえた。その音は徐々に増えていき、やがてホール中に響き渡った。