ワグボクで学パロ!
闇に差した光
好きだよ、と囁く声が耳に残っていた。
その言葉をもらった時、鼓動が高鳴り、胸が熱くなった。心の奥底から湧き上がってきたのは歓喜だった。
だがそれを無理やり平坦にする。
感情に動かされるな。思い描いた道筋をたどれ。
自分もワグナスも、これ以上互いを好きになってはいけない。だって、自分たちが一緒にいるメリットなんてもうない。だから、別れるべきだ。
弱みを見せた自分が全て悪いのだ――
「ボクオーン」
名を呼ばれて我に返る。
頬杖をついていた頭を起こして見上げると、目の前にはロックブーケが立っていた。
「もう、ぼさっとしないでください」
「ああ、すみません。考え事をしていました。それで、何でしたっけ?」
「生徒会の出し物ですわよ」
ホワイトボードには彼女の可愛らしい字でいくつかの案が書かれていた。
「喫茶店一択でしょう」
今年はワグナスとロックブーケがいるのだ。二人が給仕をするだけでぼったくり価格でも行列ができるだろう。
「でも、毎年劇をやっているじゃありませんか」
「手間がかかりすぎます」
「今年は話題の二人がいるので、満席間違いなしですわ」
美しく微笑む顔に魅了され、ボクオーンとワグナスの他に異論を唱えられる者はいない。いつの間にか生徒会メンバーは彼女に懐柔されていたようだ。
ワグナスも反対は唱えなかったので、多数決で彼女の意見に決まった。
明日までに各自演目を考えることを宿題として、場は解散となった。ボクオーンには過去の生徒会の劇の演目を調査する役目も与えられた。
筆記用具を持って図書室へ移動する。
その道中、自分以外の足音がひたひたと響いた。ボクオーンの歩調に合わせて少し離れたところから聞こえてくる。
わざと遠回りをして、正面に窓ガラスを臨む位置に来た時に、その姿がガラスに映った。体育祭の時の校舎で会ったあの三年生だ。
下駄箱に手紙を仕込んだ者の中にはいなかったが、ここで会ったのは偶然か必然か。
ボクオーンの唇がほんの少しだけ歪んだ。
「失礼します」
図書室のカウンターに座っていた司書に事情を説明すると、過去の文化祭関連の資料は書庫にあると教えてくれた。
書庫は部屋の外からのみ、鍵の開け閉めと照明の操作ができる造りだ。誰かが入っていることを示すため扉は開放したままで、鍵は扉の横のフックにかけておくルールだと説明を受けた。
司書が扉を開いた。
古びた蛍光灯が点き、ブーンという低い唸りが部屋に満ちた。
狭いわけではないが、大量の本があるため圧迫感がある。
司書は文化祭の資料置き場に案内すると、自身の仕事に戻っていった。
ボクオーンは床に筆記用具を置いて、過去の文化祭のパンフレットを眺めてみた。桃太郎、ロミオとジュリエット、美女と野獣――。
加えて、文化祭全体の決裁報告や、教室の割り振り、どの出し物が人気があったかの集計結果など、さまざまな情報が揃っている。
時が経つのも忘れて資料を読み耽っていると、バタンと叩きつけるように扉が閉まり、錠がかかる音が響いた。
次いで蛍光灯の灯りがふつりと消え、耳障りだった音が沈黙する。
目と鼻の先すら判別できない深い闇。得体の知れない恐怖に飲み込まれそうになって、背筋に悪寒が走った。
無意識に、自身の体を掻き抱く。
あの三年生がつけていたから予想はしていたが、本当にやるとは愚かだなと嘆息する。ボクオーンがここにいることは司書も生徒会メンバーも知っているので、いずれは誰かが迎えに来るだろう。
それより、予想外だったのは自身の変化だ。子供の頃、かくれんぼで押し入れに隠れた時に苦手意識があったため多少は自覚はあったが、閉鎖感のある暗い場所に対してこれほど体が強い反応をするとは思わなかった。
大きく深呼吸をする。
気を紛らわせようと、目を伏せながら別のことを考えた。
ワグナスのファンクラブが発足したのは去年、彼が入学してすぐのことだった。当初は当時の三年が皆をまとめて統制をとってくれた。それはワグナスが健全な高校生活を送るための役に立った。ワグナスの非公認の団体ではあったが、教師達もそれで統制が取れるのならばと黙認していた。
しかしその三年生が卒業してからは、個々が勝手にファンクラブの権威を傘に着せた暴走が見られるようになっていた。
――この辺が潮時だろうな。
脅迫めいた手紙は悪戯ですむが、人を閉じ込める行為は悪質だ。防犯カメラにも映っているのに迂闊なことだ、と冷えた意識の中でそんなことばかり考えていた。
これを口実に、ファンクラブを解散または活動停止に追い込もう。そして――
冷えた意識とは裏腹に、鼓動が早くなり、呼吸も浅くなる。冷や汗が体を濡らす。恐怖に体が震え、思わず身を縮めた。
己の本能が闇を恐れている。その一方で、真の闇とはこんなものではないことも、知っている。そんな経験はないはずなのに、不思議なものだ。
この程度では人は死なない。
それなのに、まるで走馬灯のように過去の情景が浮かんでくる。ワグナスの笑顔、気難しい顔、困った顔。思い出すのは彼のことばかりだ。
制御できない感情に苛立つ。恐怖も恋も、全部消え去れば良いのに――。
どれくらいの時間が経ったのかはわからない。
そして、助けが来るのは確実だが、どれくらい先なのかもわからない。だからボクオーンは心を無にして、自らの心臓が脈を打つ音をひたすらに数えていた。
ふと、闇に一条の光が差し込んだ。
「ボクオーン!」
伏せていた顔を上げる。外の世界から差し込んだ光に、視界が一瞬真っ白になった。
見えなくとも声で分かる、ワグナスだと。
肩を掴まれ、無事を確かめるように顔を覗き込まれた。安堵に強張っていた体から力が抜けると、腰に腕が回されて抱きしめられる。彼の温もりが生を実感させた。
蛍光灯の光が部屋を照らす。
慣れてきた視界に、怒りに顔を歪めたワグナスの顔が映った。光を受けた埃がキラキラと輝き、彼を彩っていた。それが、とても美しくて、瞬きをするのも忘れて見つめた。
「怪我はないか?」
頷く。
「ファンクラブの仕業か」
「ええ。回復したら追及を……」
「君は何もしなくていい。あとは私に任せてくれ」
首を振る。
「そんな些事で、あなたの手を煩わせるわけにはいきません。私が……」
「些事などではない! 大切な人が傷つけられているのに、黙っていられるほど私は聖人ではない」
続けようと思っていた言葉は、ワグナスの荒々しい声に遮られた。
感情的な声を出すワグナスなんてかつて見たことがない。ボクオーンは驚きのあまり、口を開いたまま固まった。
「君が私のことを守ろうとするように、私も君のことを守りたいのだ。一人で汚れ役を引き受ける必要はない。楽しみも苦しみも、一緒に分かち合ってくれないか? 与えるだけでも、与えられるだけでもなく、君とは対等な関係でいたいのだ」
ワグナスはボクオーンの存在を確かめるように、両腕に力を込めてきつく抱きしめた。
視界がじんわりと滲んだ。
悲しかったわけではない。
ただ、彼から感じる温もりと、彼に言われた対等という言葉が、胸を揺さぶって、制御不能な気持ちが溢れ出してきた。そんなものは不快なはずなのに、とても心地よくて。
なぜか、泣けてきた――