ワグボクで学パロ!

不穏


 ――面倒くせぇ。
 日直に当たっていたので、学級日誌を取るために職員室前の棚を覗いていたら、担任から教材の準備を頼まれた。
 仕方なく、ダンターグは社会科準備室に向かって歩いていた。
 音を立てて引き戸が開いたのでそちらを見ると、ぴょんっと一房だけ跳ねた赤い髪が視界に入った。ボクオーンだ。
「よぉ。珍しいな」
 声をかけると、どこか気まずそうな顔をした彼がこちらを向く。
 彼は上履きを履かずに靴下のままで立ち、右手に外履きの靴を持っていた。
 ダンターグは目を細め、不審なその足元を見つめた。
「おはようございます。あなたこそ、こんなところにいるなんて珍しいですね」
 正直を言えば、他人の恋愛事情に首なんて突っ込みたくない。だがワグナスがボクオーンに避けられて落ち込んでいる、とノエルが言っていたのを思い出してしまった。
「……。社会科準備室から地図を取って来いって言われたんだよ。どれか分からねぇから、付き合えよ」
「分からないものを引き受けないでください」
 なんのかんの言って面倒を見てくれるのがボクオーンだ。彼は文句を言いながらも、社会科準備室についてくる。
 鍵を開けて中に入ると、紙とカビの匂いがまとわりついてくる。ダンターグは不快そうに顔をしかめたが、ボクオーンはむしろ楽しそうに口元を緩めた。
 彼はお宝探しでもするように棚を検分し、必要な地図をダンターグに渡してくる。
「……朝早くに将棋部で何やってたんだ? 朝練なんて聞いたことがねぇぞ」
 ボクオーンは答える気がないのか、教師のメモを見ながら無言で次の地図を探している。
 ――本当に、面倒くせぇ。
 ため息をつきながら、ダンターグは頭をガリガリと掻いた。
「園芸部の水やり当番だから、ワグナスを置いて朝早くに来てるって聞いた」
 これで答えないようならば、もう知らん。そんな気持ちで告げると、ボクオーンの動きが止まった。
 地図が収まっている箱を指先でなぞり、耳をすまさなければ聞こえないほど小さく答える。
「いつもはちゃんと水やりをしていますよ。ただ、今日は……当番に元カノがいたので、ワグナスが嫌がるかと思いました」
 そんな繊細な気遣いをするくせに、ワグナスを避ける行為はもっと彼を傷つけているだろうに。そんな矛盾は彼らしくない。
「この先どうすんだよ。ずっと避け続けんのか?」
「一ヶ月も付き合えば、相手が私なのでワグナスの評判も落ちないかと思います。文化祭が終わったら別れますよ。どうせ運動会の余興で付き合い出したようなものですし」
 大袈裟にため息をついてやった。
 好き合っているのに、なんでそんな結論になるのか全く理解ができない。だがこんな奴でも友達なのだ。放っておけない。
「なんでだよ?」
「……。ワグナスは高潔で、自分を律することができる人間です。そんな彼でも衝動的な行動を取ってしまうのが恋なんですよ。怖くないですか?」
「いや、全然」
「ああ、あなたは本能で動く側の人間でしたね。失礼しました」
 人が心配をしているのにこの言い様だ。腹が立って仕方がない。だが、それこそがボクオーンの目論みなのだろう。
「お前ぇ、ワグナスに理想を持ちすぎてねぇか? ワグナスだってただの高校生男子なんだから、頭の中は煩悩まみれでエロいことだって考えんだろ」
「それは解釈違いなのでやめてほしいですね」
 笑い声をあげながらボクオーンは最後の地図を引き抜き、ダンターグに渡した。
「キスが嫌だったんか?」
 ボクオーンがそっと視線を落とす。無意識なのだろう、その指先がゆっくりと唇をなぞった。
「それは、……」
 キーンコーンカーンコーン。
 ボクオーンの言葉は予鈴の鐘に溶けて、泡のように儚く消えていった。
 鐘の音が消える前に、ボクオーンは踵を返して歩き出した。
 何を言ったのかは聞こえなかった。ただ、それを告げた時のやわらかく慈しむような微笑みは、おそらく本人には自覚はなかったのだろう。
 あんな顔を見せられて、別れようとしていることを黙って見過ごすわけにはいかない。
 ダンターグは大きく舌打ちをして、ボクオーンの後を追った。

 靴を履き替えるボクオーンに付き合って昇降口を訪れる。
 もうすぐ始業の時間だ。遅刻をすまいと慌ただしく走る生徒達とすれ違った。
 ボクオーンが下駄箱の蓋を開くと、白いものがひらりと舞いながら足元に落ちた。折り畳まれた、ただの紙だ。
 ダンターグは眉を寄せた。
 下駄箱といえば恋文が定番だが、これはもっと悪意に満ちたものだと直感が告げる。
 ボクオーンに止められたが、無視をして紙を開くと「別れろ」と端的に一言だけ、プリンタで出力された印字が並んでいた。
「あーあ。触ってしまいましたか。せっかく通販で指紋採取キットを買ったのに……」
 嘆くような呟きに、ダンターグは咄嗟にボクオーンの肩を掴んだ。逃げられないように下駄箱に押し付け、顔を覗き込む。
「初めてじゃねぇんだな。いつからだ?」
「試験結果が張り出された翌日からですね。でも……」
 ボクオーンの人差し指がダンターグの後方を指す。そちらを確認すると、天井に設置された防犯カメラがあった。
「昨年度、このような事例が増えていると相談があったので、不審者対策にも活用できると教員を説得して設置しました。まさか自分が使うことになるとは思いませんでしたが」
 すでに教員には相談済みなこと。この紙の出力は図書室のプリンタで行われた可能性が高く、かつパソコンの利用記録は入手済みであること。防犯カメラの映像も合わせて、犯人は特定できていることが抑揚なく語られる。
「ワグナスには?」
「こんな些事、伝える必要はありません」
「お前一人の問題じゃねぇだろ」
 ムキになるあまり、肩を掴む手に力が入る。
 ボクオーンは痛そうに顔をしかめ、見上げてきた。その瞳の奥にほの昏い不気味なゆらめきを感じる。
 その目に射すくめられ、思わずのけぞる。次の瞬間、ボクオーンに腕を振り払われた。
「この事態は隙を見せてしまった私の失態です。自分で解決しますよ」
 目を細めて口の端を吊り上げた顔は、静かな決意を秘めた表情で――。
 始業を伝える鐘が鳴る。
 ボクオーンは上履きを履きながら、ゆっくりと歩いていった。
 その後ろ姿を、ダンターグは顰めっ面のままで見送ることしかできなかった。
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