ワグボクで学パロ!

完成しないパズル


 薄暗い蔵の中で、橙色の電灯が作る影がゆらゆらと蠢いていた。
 ボクオーンが見上げた先の灰色の瞳が、灯りを映してゆらめいていた。まるで静かな炎を湛えているように。
 その瞳がとても美しいと見惚れた。
 オルゴールの切ないけれど優しい旋律が胸に響く。
 長いまつ毛が縁取る切れ長の瞳が、何かを訴えるように切実にボクオーンを映していた。
 何を伝えたいのだろうか。
 ワグナスの震える指が、愛しむようにボクオーンの頬をなぞる。くすぐったくて「ふふっ」と息を漏らすと、微笑んだワグナスの顔が近づいてきた。
 灼けるような熱が唇に押しつけられた。
 口付けと呼ぶにはあまりにも稚拙な、一瞬触れただけのものだった。
 けれど呼吸も、鼓動も、音も、全てが止まった。
 彼の吐息が口に触れ、熱をゆっくりと冷ましていく。
 視界には橙色の温かな炎が映っている。それは穏やかで心地良く、どこまでも愛おしい輝きだった。
 オルゴールの静かな旋律が戻ってきた。くしがねに弾かれた音が雫となって、ボクオーンの心の中の器に溜まっていく。
 この行為が意味するものはなんだろう。
 なぜワグナスはキスをしたのか。
 その場では、「恋人だから」と答えを出した。
 
 それから、ボクオーンの頭の中ではずっとオルゴールの音色が響き続けていた。
 自分が一度出した回答が腑に落ちずに考え直した。ワグナスはなぜあんなことをしたのだろう。
 彼はとても誠実な人間だ。たかがキスとはいえ、戯れで実行するような人間ではない。
 真面目な彼だからこそ、愛がなければキスなんてするはずがない。
 では、彼は自分のことが好きなのだろうか。
 ――いや、そんなはずはない。
 彼が自分に好意を寄せる理由が見当たらない。友人として、参謀としての信頼を勝ち取っている自負はあるが、愛なんて重い情熱を向けられる理由はない。
 ならばなぜ彼はキスをしたのか。
 その回答を知りたくて、特に体育祭からの彼の行動を思い返す。
 練習試合での様子、生徒手帳に写真を挟んでいた行動、蔵での出来事。どれだけ反芻をしても、自分に好意を寄せていることに対する否定の材料が見つけられない。
 頭の中に響く曲が終わり、音色が途切れる。しばしの静寂の後で、また繊細な音が響き始めた。
 ――ああ、そうだな。
 何度も体育祭からの彼の行動を反芻しても答えは変わらず、ついに認めた。
 ワグナスが伝えたかったのは、ただの純粋な愛の感情だったのだと――。

 胸の奥が煮えたぎるようだった。掻きむしりたくなるほど熱くて、経験したことがないほどの説明できない重い何かに押しつぶされそうになる。
 その正体がわからない。
 だが、彼の真摯な想いとは裏腹に、ボクオーンの方は利点を享受しようとした、打算的なものであることは確実であった。 
 この歪な関係をどうすべきか。――考えても答えは出ない。
 試験に集中しなければならないのに、頭の中で思考のピースが正しくはまる場所を探してしまう。
 試験に臨むためには睡眠も重要だ。しかし眠りは浅くすぐに目覚めた。
 ワグナスの人気は最近ますます高まってきて、小さなトラブルの報告は続いていた。彼の学校生活を円滑に進めるために恋人がファンクラブに睨みを利かせる構図は続けたい。
 だがそれではワグナスの気持ちを弄ぶことになる。誠実であろうと努めてくれる彼に対する裏切りだ。
 ならば自分以外の誰かを、――周囲が守ることができる人物をワグナスの隣に宛てがおうか。
 ――いや、それは違う。
 思い浮かんだ水色の髪の少女の顔を打ち消すように、頭を振る。そんなことはワグナスだけではなく、彼女の気持ちも軽んじている。それだけは絶対にダメだ。
 ならばメリットを捨ててでも、ワグナスとは速やかに別れるべきだ。ボクオーンが原因であればワグナスの評判が落ちることもない。
 だが、それを考えた時に気持ちが重くなることに気付いた。なぜかワグナスと別れることを惜しむ気持ちが自分にはあるらしい。
 それはなぜだ。
 
 次なる課題は自分の感情の整理だった。
 ワグナスとの出会いからこれまでの出来事と、自分の感情をたどる。
 彼は頼れるリーダーだ。彼と――そして友人達と一つの目標に向かって進み、達成することがとても楽しかった。成果を出したことで、他人からの賞賛を浴びることが自尊心を満たしていった。
 基本的に皆の目標を設定するのはワグナスだ。だから目標の達成は彼の望みを叶えることでもあった。
 目的を果たした時の、彼の笑顔を見ることが好きだった。
 その顔を見るためならば、強引な手段も、手を汚すことにも躊躇いはなかった。
 それを動機と呼ぶのであれば、己の行動原理の中枢には彼がいたのだ。
 鳴り響くオルゴールの音色が雨粒のように降り注ぎ、ボクオーンの中の見えない器を満たしていく。 
 自分の中には無意識に、ワグナスに好ましく思われたいという感情があるようだ。
 そう考えれば、体育祭からの不可解な自分の感情の揺れにも理由がつく。借り物競走でワグナスの顔が思い浮かんだことも、ワグナスとスービエが抱き合っていた時の胸の痛みも、キスをされた後の動揺も。
 ――そうか。自分は動揺しているのか。
 眠れないほどに。やらなくてはならないことを疎かにしてまで、そればかりを考えるほどに。
 自分は、ワグナスのことが――

 終業を表す鐘が鳴る。
 ずっと頭の中で鳴り響いていたあの曲が消え、代わりに不協和音が響き始めた。ガラスを爪で引っ掻くような音は、頭痛と耳鳴りを引き起こす。
 目を開き、ぼんやりと答案用紙を見つめた。回答欄は半分が空欄のままだった。まるでまだ埋まっていないピースのようだ。
 ――居眠りをしていたのか。
 些細なことで心を乱され、振り回されている自分に怒りが湧く。
 後ろから回ってきた答案用紙に自分の分を重ねて、前へ送った。
 ぐるぐると視界が回る。たかだか数日寝ていないくらいで情けない。
 そうは思うのに、体はいうことを聞かない。
 周囲がボクオーンの異変に気付き、案ずる声が頭痛を酷くする。
 頼むから静かにしてほしい。
 霞む視界の中に教師の姿が見えた。
「……保健室に、行きます」
 ゆっくりと立ち上がり、教師に向かって告げた。
 慌てて保健委員を呼ぶ声が聞こえたが、それを無視をして、ふらつく足取りで歩き出した。
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