想いを乗せて花は咲く
5日目
調査五日目。
朝食のメニューは木の実入り雑穀パンに目玉焼きとベーコンだ。
パンは隣家の老婦人が焼いたものをお裾分けしてもらった。村人達とも親交が深まり、食事の差し入れをもらうようになっていた。
ボクオーンとワグナスは朝食を食べながら本日の予定の相談をした。
ボクオーンは引き続き村長宅の書物庫の調査。ワグナスは魔法陣の解析が完了した――この世界での魔除け程度のものだった――ので、遺跡の外観の調査をすることとなった。
蜂蜜入りのバターを塗った雑穀パンを食べながら、ワグナスは神妙な顔で何かを考えている。
「どうかされましたか?」
ボクオーンの問いかけにワグナスは一度頷いてから、口の中の物を咀嚼して飲み込み、口を開いた。
「そろそろ次の段階に入っても良いかと考えていた」
「と、言うと?」
「交換日記で互いを知ることはできていると思う」
本当か、とボクオーンは心の中で疑問符を浮かべた。
ワグナスからの手紙風日記はともかく、自分からの分は初日こそ自分について綴ったが、二日目からは調査報告しか書いていない。
「次の段階とはどのような?」
「手を繋いでみようと思う」
――子供かっ、と声を上げるのを飲み込んだのは、我ながらよくやったと思う。
ワグナスは大真面目なのだろう。さすがは女性との交際経験がない我がリーダー殿だ。純粋すぎる……。
精神的でなく、物理的な意味で恋人として振る舞うなら、手っ取り早く体を繋げてしまえばいい。
しかし装置の仕掛けはそんなに単純ではないだろうから、ワグナスがこれまで大切にしていた気持ちを無視して、無理矢理それを行使する意味はないとボクオーンは思っていた。
「分かりました。今日の午前中は手を繋いで村を散歩してみましょう」
朝の支度を終え、二人は家を出た。
森の入り口に位置する村は緑の匂いで満たされている。森の木々、畑の野菜、その辺に咲いている花々。
そよ風を受けて、ボクオーンの白いローブの裾がひらりと揺れた。
風にさらわれた香りが撹拌されて、一瞬消える。木々が、草花が、ザワザワと音を立てた。
静かに、しかし力強く、生命の息吹を感じさせるこの村の雰囲気を、ボクオーンは気に入っていた。
ワグナスに手を差し出すと、重ねられる。
てのひらに触れた指先は少し震えていて、熱を持っていた。
「そんなに恥ずかしがらないでください」
ふふっと思わず声に出して笑うと、ワグナスは気まずそうな顔をして空を仰いだ。
その視線を追う。澄んだ青空には白い雲が浮かんでいた。今日は快晴だ。
親が子供の手を引くようにして歩き出す。
「おや、今日は二人一緒なんだね」
隣の家の老婆は洗濯物を干していた。
「おはようございます。気分転換に散歩をしようかと思って」
ボクオーンは微笑みながら柔らかく返す。
人が良さそうな腰が曲がった老婆は、白いシャツを籠に戻して近づいてくる。
「お洗濯、お手伝いしましょうか?」
「いやいや、良いんだよ。それにしても、あんたの彼氏、惚れ惚れするような美貌だねぇ」
ワグナスは驚いたように目を見開いた。ウロウロと視線を左右させ、繋いだ手を握りしめられる。貴族社会ではあけすけに容姿の美醜を口にすることはなかったので、戸惑っているのだろう。
面白そうだったのでボクオーンは見守ることにした。
ワグナスは狼狽えた末に、もう一度強くボクオーンの手を握り、微笑んだ。柔らかくまなじりを下げ、穏やかに口元に弧を描く、優しげな笑みだった。その美しさに惹かれたかのように、風がふわりと吹き、彼の長い髪を揺らした。
目を見開いた老婆の頬が赤く染まる。
ボクオーンもまた瞬きを忘れ、ワグナスのことを見上げた。なぜか、彼の微笑みから視線が離せない。
誰も言葉を発することができず、木の葉が擦れる音だけが耳に響いた。
くいっと手を引っ張られて、ボクオーンは我に返った。瞬きをして、改めてワグナスへと焦点を合わせる。厳格な表情を崩さない彼にしては珍しく、情けなさそうに眉根を下げて、瞳に頼るような色が浮かんでいた。
「あ……。おばあさん。彼は照れ屋なので、あまり見つめないであげてください」
「い、いや、こちらこそジロジロ見ちゃってすまないねぇ。とっても綺麗で、見とれちゃったよ。ボクオーンちゃんも美人だし、お似合いだねぇ。羨ましい」
手が揺れる。今震えたのはボクオーンか、ワグナスか。
微妙な空気のまま別れの言葉を伝え、二人はその場を後にした。
繋がれた手は汗ばんでいる。手から互いの緊張が伝わってくるようだ。ワグナスはともかく、どうして自分の鼓動が跳ねているのか。――その先は考えてはいけないような気がして、ボクオーンは別の話題を振った。
「ワグナス殿。先ほどの微笑みはダメです。特に若い女性には向けないでください。絶対にトラブルの元になります」
「む。……よくわからないが、心得た」
しばらくの間、すれ違う村人に挨拶をしながら歩いた。
村の至る所で花が風にそよいでいる。寒い季節が終わり、土の下で慎ましく出番を待っていた花々が開花したのだろう。鮮やかに咲く色とりどりの花が、気持ちを明るくさせてくれる。
ふと思いついて、ボクオーンはワグナスを見上げた。家を出た時には強張っていた顔も、いつの間にか常に戻って辺りを見ている。
「手を繋ぐことに慣れましたか?」
ワグナスは真面目な顔をしたままこくりと頷く。
それを受けて、ボクオーンは一度手を離すと、今度は指を絡めるようにして手を握った。
「……っな!」
ワグナスが驚愕のあまり手を振り解こうとするが、力で押さえ込んだ。
「先ほどのでは初々しいカップルです。今から向かう広場には若者が多いので、こなれた感を出した方がいい」
「嫁入り前の娘との触れ合いにしては密着しすぎだ」
「嫁に行くことはありませんし、娘でもないのでご心配なく」
「いや、しかし」
「つべこべ言うのなら、腕に抱きつきますよ」
しゅんっと眉根を下げて、ワグナスは指を絡めることを許容した。しかし落ち着かず、顎に手をやったかと思えば髪に触れ、視線を彷徨わせたままだ。
「同性なのですから、いちいち気にする必要もないでしょう」
「いや。君は誰だと問いたいくらいなのだが」
「ボクオーンですが?」
「そういうことではなくて」
伝わらないもどかしさを示すように、ワグナスは大きくかぶりを振った。
「表情といい、話し方といい、全くの別人ではないか」
「そりゃあ、情報が欲しいという下心があるので、愛想良く振る舞っています。そういうものです。情報収集の任にはあなたの従兄弟と当たることが多いですが、彼の方がすごいですよ」
「想像はできるが、それについては言わないでくれ。身内のそんな話は聞きたくない」
遠くからボクオーンの名前を呼ぶ声が聞こえる。
二人は会話を中断して、声の方を向いた。観念したワグナスがきつく手を握ってくるのに満足をして、ボクオーンは口元に笑みを浮かべた。
現れたのは茶色の髪の少女だった。
昨日ボクオーンが知り合い、一緒に花冠を作る練習をした仲だ。走ってくる彼女の後ろを、姉らしい十代後半程度の茶髪の娘が追いかけてくる。
「ボクオーンさん、見て見てー」
少女が手にした赤い花の冠を掲げると、ふわりと甘い香りが漂った。
その花の見た目はアネモネだ。だがあの花はこんな香りはしなかったような記憶がある。
少女に促されるままにその場にしゃがむと、ボクオーンの頭に花冠が乗せられた。
「ボクオーンさんの髪の色、フィネアの花とおんなじね。とっても、似合ってるわ」
「ありがとう。上手にできていますね」
ボクオーンは優しく微笑んで、少女の頭を撫でた。
ボクオーンが立ち上がった拍子に花冠がずれる。すると、ワグナスの長い指が恭しく赤い花びらに伸びて、ボクオーンの頭に乗せ直してくれた。
「ありがとうございます」
礼を言うと、ワグナスからは微笑みが返ってくる。ボクオーンは頷いて、改めて少女に向き直った。
すると、目の前の姉妹は頬を染めて、うっとりとした表情をこちらに向けている。
「王子さまとお姫さまみたい。ねぇ、お姉ちゃん」
「ええ。お似合いの二人で羨ましい」
肯定も否定もできない複雑な心境で愛想笑いを浮かべ、傍のワグナスを見上げる。
彼はなぜか頬を染めて、口元を押さえてそっぽを向いていた。
そんな態度に胸の奥がざわめく。
なぜそんなに照れているのだろうか。この反応では、まるで――
下から視線を感じて、ボクオーンは我に返った。少女達は笑みを深くして、にこにこ顔でボクオーン達を見ていた。
おほん、とわざとらしく咳払いをして、ボクオーンはお守り役の娘へと問いかけた。
「この花はアネモネに似ていますが、違うのですか?」
「はい。見た目はそっくりなんですけれど、香りが違うでしょう? この辺にしか咲かない品種だと聞いています」
「フィネアっていう名前なの」
少女が得意げに教えてくれた。
「フィネアとは、昨日教えてくれた歌の?」
「うん。かぜにゆれて〜フィネアの花〜赤くゆれて空をよぶ〜」
まだ少し舌たらずな高い声で歌ってくれる。その一生懸命さがとても微笑ましく、ボクオーンは口元を緩めた。
「神様とは、風の神のことですか?」
視線を姉の方へ向けると、彼女は頷いた。
「はい。フィネアの花には、花を持つ人の想いを風の神様に届ける力があると言われています」
「フィネアの花が咲いている季節に風が吹いたら、風の神さまが大切な人におもいを届けてくれるのよ」
フィネアの花が風の王に想いを伝え、風の王が配るシステム。花が直接本人に届けたほうが効率がいいのに、とついついボクオーンは考えてしまった。
「わたしも王子さまがむかえにきてくれるかしら」
まだ見ぬ王子様に思いを馳せて、夢見心地に語る少女。その可愛らしさに和んでいると、おませな少女は頬を染めながらいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「でも、だいじょうぶよ。かっこよくてステキだけど、ボクオーンさんが大好きな王子さまは、取らないからねっ」
思わず否定する言葉が出かかって、慌てて飲み込んだ。
胸の鼓動が早鐘を打つかのように響く。こんなに大きく鳴ったら、ワグナスにも子供達にも聞こえてしまう。
頬を染めて、しかしそれを見られたくなくて。ボクオーンはついに口元を手で押さえてそっぽを向いた。
【拝啓 風も軽やかに、花の香たちこめる好季節になってきたように思う。
休める時はしっかり休み、体を大切にしてほしい。
今日の散歩では恋人のように振る舞えていただろうか。
いまだ慣れぬ身ゆえ、落ち度があれば忌憚ない意見を聞かせてくれ。
それにしても不思議な気持ちだ。
紺色に塗りつぶされる朱い色の空を眺めていたら、君を思い出した。
この調査が終われば、恋人としての君とも、こうして言葉を交わすことはなくなるのだろう。そう思うと、少し感傷的になってしまった。
泡沫の夢のようだな。
君が子供達に懐かれていることにとても驚いた。子供の無邪気さや勢いは、どの世界でも心の救いになる。
あのフィネアの花は君に似ていると思った。
あの花びらの鮮やかさも、中心に潜む静かな影も、とても――。
君は無理をしがちなので、調査でも家の中のことでも、手を貸せることがあれば言ってくれ。
敬具
ワグナス
】
居間のテーブルで村長宅で写したメモの整理を終え、ボクオーンは交換日記を読んだ。
静まり返った漆黒の世界に虫の音だけが響いていた。
蝋燭の灯が、ため息で大きく揺れた。
胸がぎゅうっと締め付けられる。心の奥深くに潜んでいる、名前のない感情が疼いて、落ち着かない。
椅子の背もたれに寄りかかり、うっすらと橙色に浮かび上がる天井を仰ぐ。
いつもであればボクオーンの日記を返して一日が終わる。
しかし、言葉を返す気にはなれなかった。
右手に、昼間触れ合った指先の熱が蘇ったような気がする。
降り注ぐ日差しのように、安らぎと希望を灯す慈悲深い微笑みは、追放される前のワグナスを思い出させた。彼が英雄に憧れ、自らを顧みることなく人々に慈愛を向けていた、あの頃に。――もっとも、その微笑みがボクオーンに向けられることはなかったが。
「胡蝶の夢……私ならそう書いたかな」
空に向かって優雅に舞う美しい蝶にあの人の姿を重ねて、ボクオーンは目を伏せた。