想いを乗せて花は咲く
1日目
森の奥深く。青々と生い茂る木々に隠されるように、その巨大な遺跡は佇んでいた。
崩れかけた外壁には蔦が這い、緑の紋様を描いていた。
かつて門であっただろう柱の内側は、腰丈の雑草と色とりどりの花が咲き乱れていた。
「これは、なかなかの年季物ですね」
森では獣の遠吠えと鳥の囀りが、賑やかなハーモニーを奏でている。ひらりひらりと舞う蝶々。この遺跡は、どこか浮世離れをした幻想的な雰囲気に覆われていた。
森の入り口の村で部屋を借りたボクオーンとワグナスは、早速遺跡を訪れていた。村で得た情報は、かつてボクオーンとスービエが集めた物と大差ないものだった。
女性として村に入ったボクオーンだったが、今はいつものローブ姿に戻っている。
とはいえ、偽装のために長袖と手袋を身につけて、肌の露出は隠していた。いくら小柄で細身とはいえ、骨格は男のそれだからだ。
ロックブーケ直伝のメイクで、頬は紅を帯び、小さめの唇は柔らかい桃色だ。横に流した前髪のおかげで顕になった目元は大きく、柔らかい印象を与える。
「魔力の流れが少し歪ですね」
具体的には詳細な調査を積まなければ分からないがと続けて、傍の壁を拳で叩いてみた。
亀裂に杖の先端を押し込んで削ってみると、内部から現れたのは白い普通の石。所々に掠れた浮き彫りが残っており、かつての栄華の残滓を残していた。
遺跡の内部は静寂に包まれていた。ボクオーン達が歩く足音だけが高い天井に反響する。
ここまで見たところ、建物自体に仕掛けはない。だが、奥の方から何か得体の知れない圧を感じる。
それは魔力の歪みのせいか。はたまた――
遺跡の地図を開いて順路を再確認する。村でもらった、かつてこの遺跡を探索した冒険者が残したものの写しだ。
魔力の出どころは、この地図の最深部の方角と一致する。
「ワグナス殿は何か違和感を感じますか?」
ワグナスは元々賑やかに喋る方ではないが、それにしても口数が少なすぎることに違和感を覚えた。
ワグナスは腕を組んでいた。
ボクオーンの視線を受けて、視線が合うやいなや天井を仰ぐ。
何かあるのかとその視線を追うが、走った亀裂から空がのぞくだけ。彼の行動の真意を図りかねて、ボクオーンは首を傾げた。
「ワグナス殿?」
「ああ、すまない。君の顔がいつもと違うので、慣れずに困っていた」
「そんなにおかしいでしょうか?」
まあ、男の顔に女性らしく可愛いメイクを乗せているのだから、違和感がなければ困る。
「むしろ、似合いすぎていて落ち着かない。声と格好はボクオーンなのに、顔だけが別人のようで……」
「慣れてくださいとしか言えませんね。この遺跡の調査をする間はこのままなので」
目の前に階段が見える。無駄話はここまでだとばかりに口をつぐんだ。
階段を下る。通路は温かな橙色の光に包まれていた。壁の中に一定間隔で埋め込まれた発光石が、静かに地下通路を照らしている。
「君の指摘通り、神殿自体が魔力に覆われているな。ただ、私はねっとりとした視線にさらされている気分だ」
背筋を震わせながら、ワグナスが二の腕をさする。
その感覚はボクオーンには分からないが、魔力が溢れていることは共通見解だ。杖を掴む手に力を込めた。
通路を進むと、複雑な紋様が刻まれた扉にぶつかった。魔法陣と文言が刻まれているが、馴染みのものではない。
「私は解読できませんね。ワグナス殿に見覚えは?」
「私も見たことがないな。我々の世界でいう魔法陣に似ているが、魔力を感じない」
ボクオーンは人差し指で扉に触れた。何も起こらない。
紋様をなぞってみるが、何かが発動するわけでもなさそうだ。
「中に入ってみましょう」
促して、重厚な扉に体重をかけて開く。
開けた視界に青い光が目に刺さった。鼻孔をくすぐるのは甘い香り。
目を細めて室内を見渡す。
青みがかった石材でできた空間。壁には透明感のある水晶が散りばめられて、淡い光が揺らめいている。
その輝きは幽玄で、美しい。
「不穏なものは感じられないな」
ボクオーンは頷き、部屋へと足を踏み入れた。ワグナスは扉の位置に立ったまま。扉が突然閉まることを警戒している。
ボクオーンは注意深く部屋を探索した。村長からの事前情報の通りに、罠の類は仕掛けられていないようだ。
中央の台座にはボクオーンの頭ほどもある大きな青い水晶が鎮座していた。その透明すぎる光は、見る者を異なる世界へと吸い込みそうだ。
青い水晶に触れるが、何も反応はない。
視線をさらに下へと落とす。台座を緑に染めるほどに蔦が絡み、その隙間には赤い花が咲き乱れていた。
「アネモネ?」
日の当たらない、こんな場所に咲くことに違和感を覚える。
蔦にしてもそうだ。外壁周りには存在していたが、地下では見かけなかった。なぜここにだけあるのだろう。
そして甘い匂いは、この花からかぐわっていることに気付いた。
「異常はないようだな」
傍に立つワグナスが水晶に触れるが、やはり反応はない。
二人は視線を交わして同時に手を伸ばした。しかし水晶は沈黙をしたまま。濁りがない姿で、二人の顔を歪に映していた。
「恋人と認められるには、どうすべきだろうか」
顎に手をやりながらワグナスが呟き、扉へと歩き出す。扉を閉めて戻ってきたワグナスに手を引かれ、手を重ねた状態で水晶に触れるも結果は同じ。
恋人の条件とは、とボクオーンは考えた。
ひとつは水晶が心を読んで審判を下すこと。だが、人の心を高々水晶が判定するのは難しいし、基準が曖昧だ。
もっと物理的な、手っ取り早い方法はないだろうか。ボクオーンは口付けが最も単純かつ、象徴的と考えた。
ボクオーンは背の高いワグナスのことを見上げた。視線に気付いた彼が首をかしげる。
「ワグナス殿、少し屈んでいただけますか」
素直に応じたワグナスの手を取る。その手を水晶に重ねたままで、もう片方の手で彼の後頭部を引き寄せて唇を重ねた。
ワグナスの肩が揺れる。
一瞬だけ合わせて、すぐに彼の少し荒れた唇から離れた。
そしてボクオーンは水晶を眺め、嘆息をした。
「口付けでもダメですか。流石にこの場で体を重ねるわけにもいかないし、単純な話ではないようですね。あとは心が通じ合った恋人という線ですが、この水晶にそこまでの機能が備わっているとは考えにくいですね」
ふむと唸って顎に手を当てた。
「扉の紋様を写して、村で調べてみますか。あとは遺跡の他の部屋の探索と……ワグナス殿?」
反応が返っていないことを怪訝に思い、彼の方を向く。
ワグナスは右手を口元に当てて、難しい顔をしていた。普段から厳しい顔をしているワグナスであるが、眉間に刻まれた皺の深さといい表情の険しさといい、いつも以上である。
さらに水晶の光で青白く浮かび上がった肌が、わずかに紅潮しているのは、気のせいではないはずだ。
「どうされましたか?」
「ん、いや。突然口付けをしてくるから、驚いて……」
「ああ。予告もなしに申し訳ありませんでした。でもまあ、犬に噛まれたとでも思って、忘れてください」
たかだか口付けくらいで、放心されても困る。
ボクオーンが鞄から紙とペンを取り出し、扉へと向かいかけたところで、背中にワグナスの堅い声が届いた。
「……初めてだったので。どう反応して良いか、わからなかった。そうだな、これは遺跡の仕掛けを発動させるためのものだ。君の言うとおり、忘れることにしよう」
「んん?」
ボクオーンは動きを止めて、目だけを何度も瞬かせた。
ワグナスの言葉を解することを、頭が放棄していた。何度か反芻して、咀嚼して、ようやく理解したボクオーンはぎこちない動きで振り向いた。
ワグナスの難しい表情はそのままであった。しかし気持ちを切り替えたようで、扉へと歩き出す。
「嘘でしょう?」
一体何百年生きているというのだ。口付けの一つや二つ、それどころかもっと先のことも経験していて当然の年齢ではないのか。貴族だからか。いやしかし、ワグナスの従兄弟なんて、今はともかく、昔は相当奔放だったと聞く。
「このような触れ合いは、婚前にすべきではないと思っている」
ボクオーンは心の中だけで「堅すぎる」と呟いた。
だが、そうであっても。無断で彼が大切にしてきたものを汚してしまったことには変わりがない。
「ワグナス殿、申し訳ありませんでした」
ボクオーンは素直に頭を下げて謝罪をするのだった。
その後、扉の描かれていた紋様を写し、二人は帰宅をした。
赤い夕陽が部屋を朱に染める中、ボクオーンはスープをかき混ぜ、つい深いため息をこぼした。体の疲労はそれほどでもなかったが、精神的な疲労は激しかった。
「ボクオーン」
呼ばれて振り向くと、居間と寝室の境目の扉にワグナスが立っていた。手には紙の束を持っている。
「恋人同士と認められるには、仮初とはいえ真剣な交際をすべきと考えた。良いだろうか?」
「はぁ。ワグナス殿がそうしたいのでしたら、お付き合いしましょう」
うむ、とワグナスは鷹揚に頷いた。そして手にしていた紙の束を持ち上げた。
「心を通わせるため、まずは交換日記を始めるのはどうだろう」
「……は?」
意味が分からない。何故、交換日記なのだろうか。
「互いを知るところから始めようと思ったのだ」
さすがは真面目が服を着て歩いている男だ。呆れ半分、尊敬の意半分の心地で彼から紙を受け取る。紙の束は端を紐で括られていた。
「夕食の準備は頼む。私はあの文様の解読を試みよう」
「はい。よろしくお願いします」
生返事を返し、扉の向こう側へと消えていくワグナスを見送った。
さて。
残された紙の表紙を捲ると、流麗な文字が並んでいた。
『拝啓
陽射しが暖かく、穏やかな日々が続いております――』
手紙か、と心の中でツッコミを入れる。
読み進めていくと、名を名乗り、趣味や好きなことなどの自己紹介が始まった。
「互いを知るため……」
確かに、己とワグナスは仲間ではあるが深い付き合いをしているわけではない。ワグナスの趣味など初めて明かされたものばかりだ。
最後まで文字を追ったボクオーンの口元に苦笑が浮かぶ。
まあ仕方がないか、と息を吐いて。ボクオーンはスープを煮込む間、テーブルの上で日記を書くのであった。