想いを乗せて花は咲く

浮遊島3


 階段を登った先にある扉を開くと視界が開け、白く輝く雲の海が広がっていた。
 肌を撫でる空気が変わる。風がまるでここを通すまいとするかのように、正面から吹き付けていた。冷たい風がワグナスの長い髪を靡かせた。
「浮遊城か。噂は本当だったようだな」
 ワグナスは呟きながら横に聳え立つ城の残骸を見上げた。
 そこにはかつてはまばゆく輝いていたであろう城の廃墟があった。ところどころ壁が崩れ落ち、巨大な口を開けたような窓からは虚無が覗いている。
「花の香りを効果的に使うのであれば室内。植物を操るのであれば屋外。どちらにいるか……」
 とワグナスの思考が言葉として溢れると、傍のボクオーンがふふと声を出して楽しそうに笑った。
「見た目に反して、負けん気が強いので、きっと迎え撃ってきますよ」
 彼女と精神を同調させた経験のあるボクオーンが言う。ワグナスは眉間に皺を寄せた。ボクオーンの言葉で、あの時の血まみれの彼の姿が鮮明に蘇ったのだ。
 ボクオーンは手のひらを見つめながら、開いたり閉じたりを繰り返していた。その手のひらから緑色の蔦が伸び、紫色のフィネアの花が花開いた。
「……それは?」
「先ほど、巫女の力の一部を吸収できたみたいで、能力が使えるようになりました。……私の魔力で咲かせた花は、精神と体を共有している状態ならばともかく、通常状態の巫女にはダメージは与えられないでしょう。何かの特殊効果でもあれば良いのですが」
 ずきりと胸が痛む。ワグナスはかぶりを振って、震える声でボクオーンに訴えた。
「……ボクオーン。もう二度と自分を餌にするような戦い方はしないでくれ」
 ボクオーンを探しながらたどり着いた部屋で、蔦に絡まった状態で意識を失っている彼を見つけた。その時を思い出して背筋を震わせる。血まみれの彼に呼びかけても返事がなく、介抱する間も生きた心地がしなかった。
 しかしボクオーンは何も答えずに、見つけた物を指差した。
「有翼人の像ですかね」
 少し離れた場所にある台座の上には、背に鳥のような羽を生やした石像が立っていた。
 ワグナスは像を見上げた。背中に羽が生えているのならば空を翔けることができるのだろうか。
「ちょっとかっこいいなと思いましたね」
 思考を読まれて言葉に詰まると、楽しげにボクオーンが笑う。
「さあ、行きましょう」
 先に歩いていくボクオーンの背中を追いかける。
 答えをはぐらかしたことは分かっていた。それでも今はただ背を追うだけにした。
 彼の策は、いつだって皆が助かる道を選択しているのだから。
 きっと大丈夫だと信じているから――。


 二人はまず、城へと向かうことにした。
 ヒューヒューと乾いた音が廃墟の隙間をすり抜け、遠くへと消えていった。
 この場の空気は張り詰めていた。しかしそれは緊張ではなく、この場の圧倒的な自然の力が織りなしている、神聖な空気のせいだ。

 足元から震動を感じた。地の底から脈打つような音が響く。
「ボクオーンっ」
 叫びながら、ワグナスは飛んだ。
 その直後、土を破って数本の茶色の蔦が、まるで鋼の鞭のようにしなりながら飛び出した。
 先端は鋭く尖がり、狙いを定めたかのように、ワグナスに襲いかかってくる。空気を切り裂く音が耳元を掠め、ワグナスは身を翻した。
 横目でボクオーンを窺う。召喚した木製の、のっぺりとした人形が障壁を張り、彼の身を守っていた。
 ワグナスは剣で蔦を切断した。
 次いで、赤い花の雨が襲いかかってくる。
 ワグナスを庇うように二体の人形が飛び出し、障壁が花を弾いた。直後に風が吹いて、砂嵐が赤を攫って天空へと押し返していく。
 ワグナスは背後に立つボクオーンを庇うように剣を構えて、正面を向いた。
 風が止む。
 緑の雑草で覆われていた地面に、赤いフィネアの花が一斉に花開いた。甘く妖しい香りが空気を染め、地面につくほどに伸びた赤い髪を揺らす巫女が現れる。
 巫女の幻体の姿は、白いローブ姿の儚げな少女だった。しかし今の彼女からは禍々しい気配を感じる。全身に赤いフィネアの花を生やして、まるで赤い服を着ているようだ。背中には茶色の蔦で編まれた羽のようなものが生えている。
 そして特徴的なのは、その目全てが粘性の高い血のようなどろりとした赤で満たされている点だ。
 彼女は微笑んでいた。だが、瞳は微動だにしていない。その笑顔は人の温かさを一切感じさせない、氷のような冷たさを湛えていた。
 背筋にぞわりと悪寒が走る。
「先ほどはどうも、お世話になりました」
 知人に挨拶をするように、軽い口調でボクオーンが話しかける。
「本当、嫌な人ね。意識がある状態で同化しようと思っていたけど、殺した後でゆっくりと食べてあげる」
 澄んだ声で歌うように告げ、彼女は笑った。

 炎で花畑ごと燃やしてやろうと、術を発動させるために魔力を集中した。
 しかしその前にフィネアの花びらが襲いかかってきて妨害される。剣で弾くが、捌ききれなかった。刃の様に研ぎ澄まされた花びらが、ワグナスの肌に突き刺さった。
 毒が塗り込められていたのか、吐き気とともに視界がぶれ、思わず膝をつく。
 花の香りが、脳に直接囁きかけるように響いてくる。
『お前の愛おしい人は、わたしのものよ』
 ――まさか。振り返ると、血まみれのボクオーンが倒れていた。
 ぎゅっと、心臓が握りつぶされるようにきしみをあげる。
 現実と、幻惑の境界が曖昧になる。
 その直後、頭から水を浴びせられた。ボクオーンが放った状態異常回復の術だ。視界がクリアになり、倒れていたボクオーンの幻は消えた。
「ファイアストーム」
 集めていた魔力を解放した。声と共に広がった紅蓮の炎が、轟音と共に赤い花を黒に染めながら地を走る。炎の渦は花畑をたちまち焼き尽くし、焦げ付く匂いが充満した。
 風が、花から放たれていた紅い妖気と臭気をさらって、全てをかき消した。
 巫女の体から生える花が黒煙を上げる。彼女の白い肌に火傷の爛れた跡が浮かんだ。花への攻撃は彼女にもダメージを与えている。
「寝惚けないで下さい。私のことは振り返らず、敵に集中してください」
「すまない」
 近寄ってきたボクオーンに叱咤される。
「私が惑わすようなことを言い出したら、幻体か乗っ取られたと判断して、ぶん殴ってください」
「承知した」
 巫女は胸の前で手を組んで、祈りを捧げるように、目を伏せる。
 地面から光が立ち登り、彼女の体を包んだ。光に包まれた彼女の傷は癒え、代わりに彼女を中心にして、地面に生えていた雑草が一瞬にして枯れていった。
 ボクオーンが舌打ちをする。
「植物の生命を奪って自分の傷を治しているのですか……。この島の植物を全て燃やし尽くすことは?」
「即座には難しいな」
 一つの町くらいの面積がある場所だ。そこにある植物を全て燃やすことは、さすがに骨が折れる。
「まあ、そうでしょうね」
 巫女が手を掲げると、地面から蔦が飛び出してくる。
 しなりを上げて振り下ろされる蔦の鞭を、二人は方々に飛んでかわした。
 ボクオーンを襲う蔦を人形の障壁が守ろうとするが、防ぎきれず人形もろとも破壊された。ボクオーンは手にする杖でかろうじて捌く。
 敵がボクオーンに集中しているうちに、ワグナスは魔力に光を込めて、解き放った。
「ギャラクシィッ!」
 辺りの物もまとめて吹き飛ばす威力の、ワグナスの光の最強の術だ。直撃を受けて無事で済むはずがない。
 光が消えたその場に立つ巫女も、花も蔦も全てがずたずたに引き裂かれていた。巫女の頭から流れた血が顔の半分を濡らし、腕も足も真っ赤に染まっている。
「あはははははは」
 狂ったような笑い声が響いた。
 その顔はどこか、自分を見失った子供のようでもあった。
 地面から放たれた光が彼女を包み、みるみる傷を治していく。その影響を受けたらしい、遠くにそびえていた大木が朽ちて行くのが視界に入り、ワグナスは顔を顰めた。
「一気に回復不能なほどのダメージを与えるか、回復を封じるか」
 側に寄ってきたボクオーンもまた、渋い顔をしていた。壊れた人形の代わりを召喚して、苛立たしげに舌打ちした。
「時間が経つほどに、体力も魔力も消耗してこちらが不利になります。何か対策を考えねば……」
 ゆっくりと頷いて、ワグナスは巫女を見た。
 笑っているというのに、その顔には何の感情も宿っていなかった。悍ましさすら通り越して、ただ、哀れにすら見えた。

 彼女の攻撃は蔦と花が主だ。戦闘の技術的には大したことがないが、威力の大きさやその範囲、毒や幻覚が混ざることが厄介であった。
 何度も攻撃をかわし、時に傷を負う。そうして反撃を続けるうちに、ワグナスは呼吸が荒くなるのを自覚した。ボクオーンも杖を握る手を震わせながら、額の汗を拭っている。
 一方で、巫女は致命傷に近い傷を与えても、すぐに癒やす。まるでこの島の植物すべてが、彼女ひとりの生命であるかのように。
 
 巫女が飛ぶ。蔦でできた羽で、鳥のように自由に大空を翔け、その羽から花びらの雨を降らせる。
 ワグナスの手から数発の火球が放たれ、花びらを灰に帰した。
 巫女が旋回しながら、再び上空から再び花びらを降らす。火球で応対しようとしたが、その花びらが自分の意思を持った蝶の群れのように複雑な軌道を描き、ワグナスを襲った。
「サンドストーム!」
 ボクオーンの声と共に、荒れ狂う砂が渦巻く竜巻となり、無数の鋭利な砂粒が花びらを容赦なく刻んで、粉々にする。
 竜巻はそのまま一直線に巫女を飲み込み、彼女の蔦でできた翼を切り裂いた。
 さらに上空から激しい雨粒が巫女の体を打つ。それは羽を溶かし、ついに巫女は空中での制御を失って地面に落ちた。
 ワグナスはその落下地点に駆け寄り、斬撃を重ねた。
 腹、首、心臓。しかしどれも決定打にならない。
 ボクオーンの人形が落下してきて、組んだ拳を巫女の頭に叩き込む。その勢いで上半身を沈めた彼女の目がぎらりと光った。
「人形風情がっ」
 フィネアの芳香が漂うと、足元に巨大なフィネアの花が現れた。咄嗟にワグナスは飛んだ。刹那、花びらが閉じて、退避が遅れた人形が粉砕される。
 無数の蔦が狂ったように襲いかかってきた。後ろに飛び退きながら火球をぶつけ、蔦を消している間に、巫女は祈りを捧げる。
 心臓を突いても死が訪れない。首を切り落としてもだ。ワグナスは眉間に皺を刻んだ。急所はどこだ?
 ボクオーンが合成術を放つ。そしてワグナスも最大威力の炎の術で攻撃を重ねた。
 炎の中で黒い影がゆらめいた。
 全身に火傷を負い、体の一部を欠損させ、髪を燃やし――。それでも巫女は不気味な笑みを湛えていた。祈りと共に、彼女の傷がみるみる癒えて、鮮やかだった緑が一瞬で色褪せていく。
「どこかに核のようなものがあるとは思うのです」
 ボクオーンは肩で息をしていた。大きな術を連発しているので、かなり疲弊しているようだった。
「今はかなり体が崩れていたが、それらしきものは見当たらなかった」
 焼き尽くしても、刻んでも、すぐに蘇る。植物がある限り、無限に回復するというのだろうか。
 ワグナスはボクオーンの横顔を見た。汗と土埃にまみれた顔は、何かを考えているようだった。
「……フィネアは攻撃の手段であると同時に弱点です。彼女もそれを分かっているから、一度に咲かせる花の数を制限していると思います」
「……つまり?」
「ねぇ、そろそろ諦めて欲しいのだけれど」
 ぞくり、と肌が粟立った。巫女の高い声が耳元で響き、ワグナスたちが目視していた巫女の姿は、赤い花びらとなり崩れていく。
 ワグナスは勢いよく跳躍してその場を離脱した。
 同時にボクオーンも身を翻した。しかし巫女の髪が蛇のようにしなってボクオーンの体にまとわりつく。体勢を崩した彼の動きが一瞬止まった。刹那、天から降ってきた赤い棒状の光が彼の手足を地面に縫い付ける。
「ボクオーンっ」
 意識がボクオーンに向いた一瞬の隙に、ワグナスの腕に蔦が絡みつく。槍の穂先のように鋭い蔦が脇腹を貫き、さらに細い蔦が体を締め付けていった。
 巫女の赤い目が愉快そうに細まった。
「やぁっと、捕まえた」
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