想いを乗せて花は咲く

浮遊島2


 ボクオーンは鋭い視線で部屋を見渡した。
 青みがかった石材でできた空間。壁には透明感のある水晶が散りばめられ、淡い光が揺らめいている。青い水晶が乗っている台座には蔦もフィネアの花も巻き付いていない。そこだけが地上との差だ。
「転移が成功したようですね」
 恋人と認められたのか、他の理由か――。
 傍に立つワグナスは、腕を組んだ姿勢で壁の方を向いていた。
「何か気になることでも?」
「いや、特には」
 部屋には扉が一つあるのみ。ボクオーンは歩き出した。
 ふと、今は離れている手のひらを見下ろす。――違和感を感じた。
 ボクオーンはそれを心に留め置き、扉を開いた。
 扉の先は狭い通路だった。転移前と同じ、橙色の発光石が埋め込まれている。
 乾いた風に乗ってフィネアの甘い香りが漂ってきた。ボクオーンはローブの袖でそっと鼻と口を押さえた。
「いつもの視線は感じますか?」
 傍のワグナスに問いかけると、彼は首を振った。
 その瞳に先ほど感じたものと同じ違和感を覚える。じっと見上げると、彼は愛おしみに満ちた熱のこもった眼差しで微笑んだ。
 それはいつもと同じ顔だったが、ボクオーンの胸は冷えたままだ。そっと自分の胸を撫でて、かぶりを振った。
「行きましょう」
 促し、突き当たりの階段を登る。
 階段の先の通路には扉があった。
 中は転移装置があった場所と同じような部屋だった。壁に嵌め込まれた小さな水晶が淡い光を放ち、部屋の灯りとなっている。先ほどの部屋との唯一の違いは、台座の上に鎮座している大きな水晶が赤いこと。
「この水晶で転移をするのでしょうか」
「……最初の転移装置と同様に、心を重ねた恋人が転移できるのだろう」
 ワグナスは右手をボクオーンに差し出した。
 ボクオーンが見上げるとワグナスと目が合い、彼が微笑みを浮かべる。
「愛している、ボクオーン」
 ボクオーンはにこりと微笑んだ。
 その左手をワグナスへと向けて、声を放つ。
「ロッククラッシュ」
 ワグナスの瞳が驚愕に見開かれる。
 尖ったいくつもの岩がワグナスに襲いかかり、彼の体を切り裂いた。血液の代わりに赤い粒子が、刻まれた黒い髪と共に宙に舞う。
 間髪を入れずボクオーンは跳躍し、落下の勢いを乗せて右手の杖をワグナスの脳天に叩き込んだ。
「ぐあっ」
 ワグナスの呻き声を聞きながら、着地したボクオーンはその場でくるりと回り、魔力を杖から放出する。魔力の塊はふらつくワグナスに直撃した。吹き飛ばされた体は台座へと激突し、その場に崩れる。
 赤い光が弾け、偽のワグナスは花びらとなって消えた。
 ボクオーンが左手を振り下ろすと、指先から伸びた紫色の糸が赤い花びらを切り刻む。粉々になった花びらは、空気に溶けるように消えていった。
 台座に乗っていた赤い水晶にヒビが入り、砕け散る。その様をボクオーンは口元に薄い笑みを浮かべながら見つめていた。
「恋人でしょう? 愛していると言っている相手を攻撃するなんて、酷いのね」
 台座に現れた赤い髪の巫女はわざとらしく眉を上げ、口元を押さえて驚愕の表情を作っていた。
「そういう約束ですから」
 意味が分からないとばかりに、大袈裟に肩をすくめて見せる巫女。
 ふふ、と声に出してボクオーンは笑った。
 ――なるほど。ボクオーンとワグナスが立てた作戦は彼女には伝わっていないようだ。つまり、彼女には思考を随時読まれる心配はない。
「この前は、『愛してる』って言われただけで狼狽えていたのに。可愛くないのね」
「私の恋人は本当に困った人でしてね。演技で恋人のふりをしているだけなのに、愛してるだのなんだのとうるさく喚くので、耐性がつきました」
 辛辣な言葉とは裏腹に、脳裏に真摯で熱っぽく囁くワグナスの姿が浮かび、ボクオーンの胸が温かくなる。
 それを見つめる巫女は面白くなさそうな顔をして、ふんっと鼻を鳴らせた。
「あなただって彼を愛しているんじゃない」
「いいえ。リーダーとして好ましくは思っていますが、愛していません」
「強情ね」
 ふう、と息を吐いて心を鎮める。
 ボクオーンは人差し指を上げて、巫女に一つの提案をした。
「せっかくなので、少し話をしませんか? 二週間ばかりですが、遺跡の装置の調査をしたり、あなたの伝承をいろいろ聞きました。その答え合わせがしたいのです」
 その申し出に巫女はきょとんと目を瞬かせ、心底楽しそうに笑い声をあげた。

 巫女は台座の上にちょこんと行儀良く座っている。
 少し距離を開けたところに立ったまま、ボクオーンは問いかけた。
「あの転送装置。元々はここと地上とを繋ぐ扉だったのでしょうか。恋人限定ではなかった、で合っていますか?」
「わたしの時代ではね」
「では、恋人限定にしたのはあなたなのですか?」
 巫女は頷く。
「食料にするため?」
 探りを入れるように、慎重に問う。
 巫女は優しげな笑みを浮かべて、可愛らしく小首を傾げた。
「そうよ。恋人達が互いを信じられなかった時の、嘆きや恨みの念が好物なの。でも、わたしが課した試練を乗り越えた恋人には、ちゃんとご褒美をあげたわよ。わたしってば優しい」
「悪趣味な」
「そういう存在なのだから、仕方がないでしょう? あなた達人間にだって、好き嫌いはあるでしょう。あのリーダーさんが蜂蜜好きなようにね。ふふ。見た目はあんなにかっこいいのに、蝶柄の服を着ていたり甘いものが好きだったり、可愛いのね」
 ボクオーンを取り込もうとするように、フィネアの花の香りが徐々に強くなっていた。
 嫌悪感を露わにし、くすくすと笑う巫女から視線を逸らしながらさりげなく周囲に気を配る。
 この部屋は密室だ。一つだけある扉は今は閉まっており、風の気配はない。
 しぃんと静まり返った部屋に、可愛らしいのに、どこか背筋を寒くさせるような笑い声が響く。
「……この場所は、かつて風の神が住んでいた場所なのでしょうか。有翼人と言った方が正確でしょうか」
 笑い声が止まった。
 彼女の動揺に共鳴するように、魔力がゆらゆらと揺れる。
 内心ほくそ笑みながらも、ボクオーンは案じるような表情を作ってやった。
「あなたは有翼人に仕える巫女。そして、有翼人の一人と恋仲になった。けれど彼はあなたの前から姿を消した。……何らかの原因で、有翼人が滅んだのではありませんか? 戦があった記録も伝承もないので、疫病か何かでしょうか」
 巫女の顔から表情が消え、人形のように美しい顔が強張った。赤い髪は怒りのせいか、蛇のようにうねっている。
「あなたは恋人を信じられなかった」
 告げる口調が弾んだ。
 ここのところずっと猫をかぶっていたので、素の自分を出せることに心地よさを覚える。平静を装おうとする引き攣った巫女の顔が滑稽でたまらない。
「それから、恋人に試練を課す? なるほどなるほど。相手を信じることができずに裏切り合う恋人を見て、安堵していたわけですか」
 一度言葉を止める。
 ボクオーンは杖を持つ指先に力を込めた。緊張を悟らせぬように、そっと。
 そして、満面の笑みを浮かべる。
「恋人を信じられないのは、自分だけではないと。自らの裏切りを正当化していたのですね」
「黙りなさいっ!」
 巫女の金切り声が響く。血色の瞳が輝き、髪が生き物のように蠢いた。
 ゆらり、と巫女の体から赤い魔力が迸るのが見えた。その魔力が次々にフィネアへと変じていく。むせかえるような芳香が部屋に充満し、目眩に襲われた。ボクオーンは手のひらに爪を立てて、懸命に堪えた。
 彼女の周りに現れた大量のフィネアの花が、一斉にボクオーンに襲いかかった。
「ストーンシャワー!」
 飛んできた花を岩が押し潰す。岩を掻い潜ってきた花はボクオーンの指から伸びた魔力の糸で切り刻まれた。
 赤い魔力が渦を巻いて部屋を覆った。
 ボクオーンは左手の袖で口と鼻を塞ぎながら、岩の塊を壁にぶつける。壁が砕け、外気が吹き込んできた。
「その程度の風で、何ができると思って?」
 床に、壁に、天井に。部屋の至る所に赤い花が咲き乱れ、蔦が現れる。
「マリオネット!」
 ボクオーンから伸びた魔力の糸が巫女に絡まった。操られた彼女の腕が水平に薙ぎ、それに導かれた蔦が壁を破壊する。
「こんなもので操れると思わないで」
 巫女の周りに赤い花の雨が降り、花弁の刃が彼女に絡まっていた糸を切っていく。
 魔法を放とうとしたボクオーンの足元から蔦が飛び出し、蛇のように腕に絡まった。それは本数を増やしながらボクオーンの体にも巻き付いて、動きを封じる。
 蔦の表面に生えた棘が皮膚に食い込み、血が滴り落ちる。
 台座から跳躍した巫女が、ボクオーンの目の前に降り立った。
 花の香りが鼻腔から直接脳に痺れを与えてくるが、必死で意識を繋ぎ止めようとした。
「お話は終わり。さあ、一緒になりましょう。あなたと私はよく似ているから、とても心地よいはずよ」
 巫女の手がボクオーンの額に触れた。
 幻覚を見せるのではなく、彼女はボクオーンの精神に入りこもうとしている。精神体では彼女自身の存在も脆くになるだろうに、ボクオーンの体を乗っ取ろうとしてきた。
 ――読み通りだ。
 だからボクオーンは自由になる指先に魔力を込めて解放した。
 自分の手足となる、人形達の召喚を――

 フィネアの花が咲き乱れる、現実とは別の精神世界。
 こちらでもボクオーンの体は蔦で拘束されていた。
 頭の中に彼女の怒りの感情が入り込んでくる。
 ――思考と感情を切り離せ。指先に神経を集中しろ。外の世界の人形の魔力を感知して、操れ。
「ねぇ、ボクオーン。無駄な抵抗はやめなさい。あなただって、ワグナスの愛を信じきれていないんでしょう?」
 血のように毒々しい瞳がボクオーンの瞳に近づいてくる。思考を、感情を覗き込むように。
 彼女の指がボクオーンの頬を撫でた。ぞっとするほど冷たい、生気を感じない、無機質な物体のような指先。
「どうせ彼は、皆を顧みないわ。口ではなんと言おうとも、独りよがりで、身勝手な男よ。あの人によく似ている」
 額同士が触れ合う。
 巫女がボクオーンの記憶を読み取るのと同時に、彼女の記憶も流れ込んでくる。
 裏切られた絶望が彼女を魔物に堕とした。彼女を裏切ったのは恋人だけではない。彼女を愛し育んだはずの村も、彼女を見捨てた。誰も信じられなかった。
 彼女の怒りは呪いを呼び込み、他の植物の生命を奪って赤いフィネアで森を覆った。
 そして次なる復讐のために浮遊城へと来てみれば、すでに全滅していた有翼人達。
 ――ああ、そうだな。彼女の言う通り、自分たちと彼女は似た境遇だ。復讐に囚われ魔へと堕ちていく姿は、自分たちの未来の姿かもしれない。
 心が凍えそうなほど、冷たくなっていくのを感じた。ワグナスに触れられている時とは逆だ。あの身も心も溶かすような熱を思い出し、おかしくてたまらなくなる。彼のことなんて愛していないはずなのに、なぜ――。
「本当に、滑稽な話ですね」
 口から笑みがこぼれる。
 ぴくりと、巫女の眉が神経質に動いた。
「本当に、強情ね。あなたが一番欲しいものをわたしが与えると言っているのに」
「ほう、それは興味深い。何をいただけるのでしょうか」
 巫女の血の色の目が怪しく光る。
 同時に、ボクオーンの脳裏にクイーンを倒した後の情景が浮かんだ。凱旋を果たし、民衆からの喝采を受けた時の気持ちが蘇る。
 仲間達と共にやり遂げた達成感に気分は高揚し、温かいものがじんわりと胸に沁みた。ひとりで生きてきたそれまでの苦労と努力とが報われて、皆に認められたような気がした。
 他人のために自らを犠牲にするワグナスを嘲っていた。そのくせ、自分にはないその慈悲深さや高潔さに憧れもした。その彼と並べたような気がした。
 もっと、自分の力を皆のために使いたいと願った。それなのに――。
 ぐっ、と歯を食いしばった。
 惑わされぬように、意識を強く持とうと。
「君は他人から必要とされて、居場所を得たかっただけなのではないか」
 ワグナスの声が響く。よく通る、七英雄のリーダーとしての威厳を滲ませた声音だ。そのグレーの瞳が冷ややかにボクオーンを見下ろす。
 目が合うと、彼らしくなく唇を歪ませた。その表情は憐れむようだった。
「君はようやく居場所を見つけた。だからそれを失うのが、一番怖かったのではないのか? それなのに七英雄の頭脳たる君が、民衆達の動向調査を疎かにし、大神官の策略にも気付けなかった」
 彼の顔を見ていられない風を装って目を伏せた。そして神経を集中させて指を動かす。正確に、機械的に。巫女に気付かれぬように注意を払いながら。
 巫女の笑い声が、ひどく耳障りだった。
「あの丘で、転移装置の可能性に気付いた君が、もっと早くに皆に逃げるように警告をしていればよかったのだ」
 あの時の情景と後悔が蘇る。罠への警戒はしていた。だが、ワグナスの救出を焦るあまり、敵の真の目的を察するのが遅れた。
 赤い光、身を裂かれるような激痛、苦悶に歪んだ皆の顔――。
 巫女の揺さぶりが、心を闇に塗り替えようとしてくる。
 だが、伏せた瞼の裏側に、熱っぽくこちらを見つめるワグナスの姿が浮かんだ。自分を信じると彼は言ってくれた。
 リーダーの期待に応えろと自分を叱咤する。
 後悔があるのは自分だけではない。ワグナスも、そしておそらく他の仲間達も似たようなものなのだ。
「そうすれば、私も君も、こんな復讐心を抱くこともなく――」
 と告げられた瞬間、思わずボクオーンは声を上げて笑った。
 目を開くと、ワグナスは不快に眉を顰めていた。巫女は険しい顔をしている。
 悪夢にうなされ、苦衷を滲ませるような表情をしていたワグナスを思い出す。そんな彼が――
「ワグナス殿が、人に責を擦りつけるわけがない」
「なんですって。……っつ」
 苦悶の声をあげた巫女の全身に裂傷が走る。彼女の目が驚愕に見開かれた。
 予想通りだ。精神世界の彼女は現実世界のフィネアの花への攻撃の影響を受ける。外の世界ではボクオーンの人形達が、花を踏んで刻んで暴れていることであろう。人形達は広範囲の攻撃を持たないため、花をひと所に集めていたので時間がかかった。
 ボクオーンは手のひらに意識を集中した。体にまとわりつく蔦に魔力をぶつけると、蔦はかき消えた。
 ボクオーンが手を振るうと、その手のひらから放たれた水流が偽ワグナスを吹き飛ばす。
 この精神世界は彼女の世界だから、彼女への直接的な攻撃は無効になるだろう。だからボクオーンは巫女と精神が繋がっている――体を共有している自分に対して、術を放った。
「ポイゾナブロウ」
 紫色の魔力がボクオーンの全身を包む。それは毒の霧。ボクオーンは毒に耐性があるが、巫女はどうだろうか。
 巫女の腕が紫色に変色し、唇から血が滴り落ちた。毒の効果はあるようで何よりだと、ボクオーンはほくそ笑んだ。
 外部からの干渉を受けた巫女の皮膚が裂け、肉が抉られ、血が吹き出す。それと同じ色の瞳は血走り、憎しみを込めてボクオーンへと向けられた。
 あまりにも計算通りに進んでいることに機嫌を良くして、ボクオーンは巫女に向かって手を掲げた。
 その瞬間、巫女の体を紅蓮の炎が覆って悲鳴が上がる。予期せぬ展開にボクオーンは動きを止めた。だがすぐにワグナスの加勢だと分かった。
 そのタイミングの良さに口元に笑みを浮かべる。
 巫女はかなりの深手を負っている。ボクオーンは吸収の法で、のたうち回る彼女を吸収しようとした。
 存在を吸われかけた彼女の姿が朧げになる。その瞬間に精神世界との接続が強制的に切られて、世界が真っ白になった。巫女は不利を悟って逃げたのだ。
 思わず舌打ちをする。精神世界はおそらく互いに脆く儚い存在であっただろうから、ここで決着をつけたかったのに――

 ボクオーンが目を開けると、ワグナスが己を抱き抱えているのが見えた。先に巫女の攻撃を退けて、駆けつけてくれたようだ。
 焦げた臭いが鼻をつく。フィネアの花が焼かれているのだろう。
「大丈夫か?」
 心配そうなんてものではなく、泣き出しそうな顔をしてワグナスが問うて来る。ボクオーンは苦笑を浮かべて、彼の髪に優しく指を滑らせた。
 情報共有したいことは山ほどある。
 だけどボクオーンは微笑みながら、一言だけ告げた。
「ただいま」
 それを聞いたワグナスは安堵に息を漏らし、優しげな表情で微笑みながら「おかえり」と返してくれた。
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